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マルクスのオリジナル版
フォイエルバッハに関するテーゼ

 

 

カール·マルクス

 

1.カール・マルクス 『ドイツイデオロギー』

2.カール・マルクス 『共産党宣言』

3.カール・マルクス 『フランスにおける階級闘争』『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』

4.カール・マルクス 『哲学の貧困』

5.カール・マルクス 『賃労働と資本』『賃金・価格・利潤』

6.カールマルクス 『経済学批判』

7.カール・マルクス 『フランスの内乱』

 

 

 

 

カール・マルクス
資 本 論
[サミエル・ムーア訳 エンゲルス監修の英文 (Capital) の和訳] (第一章)

英語版 「資本論」 の邦訳に当たって


訳者  宮 崎 恭 一

 カール マルクスの「資本論」"Das Kapital"(1867 初版)の英語版は、フランス語版とドイツ語版第三版の間、1887年(初版から20年後)に出版された。マルクスの書き込みが、フランス語版とドイツ語版第二版に残っており、それらを含めて編集されたのが英語版なのであるから、そう言う意味では、マルクスの最後の手稿による最初の資本論なのである。 (Translated by Samuel Moore and Edward Aveling, Edited by Friedrich Engels)

 資本論は、日本でも、複数の出版社から、様々な翻訳者によって、出版されており、勿論、日本語で読める。ドイツ語原本からの訳や、フランス語版からの訳もある。だが、英文からの訳はまだない。ではなぜ、英語版からの和訳が出版されていないのか。その理由は分からない。私が手がけることになったのは、単に、英語版を、つまりドイツ語やフランス語は読めないが、英語が多少なりとも読めるからである。誰でもそうだが、なにはともあれ、中学生からの英語が少しは残っており、辞書を引けば、読めるからである。

 すでに、日本語で読めるのであるから、改めて英語版の和訳をする必要はないと、普通は、そう思うところである。だが、そこが、日本の「資本論本」の弱点なのである。要するに、読める代物ではないからである。難解・挫折と称される由縁である。私に云わせれば、読んで把握することができない訳だからとなる。沢山あっても、すべてが、ほとんど同じような訳出であるため、どれを読んでも、難解・挫折にしか行き着かない。はっきり云えば、向坂逸郎氏の訳に統一されているような状態なのである。私も大学生の時読み始め、最初のページで挫折した。

 どう言うわけで、英語版「資本論」の和訳に取り組むことになったのかの経過は、後に触れるが、簡単でやさしい資本論もあるだろうと、パソコンに聞いてみたことから一挙に進展した。リンク先も、後に触れる経過説明の中で表示する。      

  ありがたいもので、ネットで、「やさしい資本論」を検索することは誰にでも容易にできる。だが、やっては見たが、そんなものは見つからない。その代わりと云ってはなんだが、英語版「資本論」が引っかかってきた。釣りの長靴である。当然のこととはいえ、英語でなんやら書いてある。外国製の長靴では、ただの厄介なごみそのものでしかない。でも、無料ダウンロードには極めて弱い性格ということもあってか、ちょこっとは読んだのである。するとすんなり理解できてしまったではないか。

  長靴から駒である。なぜ、やさしいのか。英文の論理的構造の明解さと、ありふれた単語が多いからである。ドイツ語を英語に翻訳した人の頭脳の明晰さと、資本論の神髄に迫る揺るぎなき理解を、彼が持っていたからである。エンゲルスの監修にも、なみなみならぬものがあったであろう。ブログを拾い読みしていて、資本論の日本語版共同翻訳者の一人が云った言葉として、資本論を読むなら、この私が共同のメンバーとして加わって訳した本を、英語版を傍らに置いて読むのがいいと云ったと書かれているものに出会った。まさに、その通りというか、英語版の和訳は、その存在意義があるのである。

  また、海外に留学して、英語で資本論を読んだ人のブログには、すんなり読めて、分かりやすく、難解のなの字もないとのことであった。まさに、その通りであろう。私の英語力、中学生程度と自負しているが、それで読めるのであるから、結果的にはやさしい資本論が手に入ったのである。多分、辞書を片手に、中学生でも読めるであろう。そして、中学生でも、その内容がある程度は理解できると思う。社会的、歴史的興味も広がるはずである。    

  いっちゃあなんだが、私は資本主義社会で、後期高齢者になろうとしている。制度廃止案も国会に掛かるから、ひょっとして、その名称範囲に入れないでしまうかも知れないが、それだけ長く生きて来たからこそ、その内容が身に沁みて理解できたのである。 大学生の頃では、挫折しなくても、これほどの理解には達しなかったであろう。それでも、読んでいたら、人生の過ごし方を、もう少しは、充実したものにできたかも知れない。そうはならなかったが、この歳で読むと云うのも、改めて喜び深いものがある。

  邦訳本文は、各文節ごとに、英文本文と同様段落・改行していく。文節の頭には、番号が括弧書きで示される、これは英文にはないが、英文本文との照合がしやすいようにと、入れた。章・節と文節番号が分かるので、直接的に英文が参照できる。私の訳出に疑問が湧いたら、即英文原文をたどって見ればよい。     

  かくして、私の英文和訳、英語版資本論の和訳が進展している。多くの人に、資本論を読んで貰うことができる状況にはなった。英語版の和訳で、資本論の魅力をぜひ感じてもらいたいものである。ここに収録させて貰えることになったことについては、大いに感謝している。

 

私は青年期のマルクスA、
ヘーゲルの影響下あるマルクスB、
『資本論』に結実するマルクスC
において、AはBCの土台として作動し、ABはCの土台として作動しつづけたと思います。
マルクスはAを捨ててBになったのではなく、
Bを捨ててCになったのではないという理解が
きわめて重要だと思います。

青年期のマルクスAの言葉です。
人類の幸福に貢献しようという彼の人生への決意が伝わってきます。
この見方は生涯、彼の心の深部のプログラムとして作動しつづけたと思います。

「われわれを導いてくれなければならぬい主要な導き手は、
人類の幸福であり、われわれの自身の完成である。・・・
歴史は、普遍的なもののために働くことによって自己自身を高貴なものとした人々を偉人と呼ぶ。
経験は最大多数の人を幸福にした人をもっとも幸福な人としてほめたたえる。
宗教そのものは、万人が追求する理想が人類のために
自己を犠牲したことをわれわれに教えている。
そして誰がこうした金言をあえて否定するであろうか。・・・
われわれは、貧弱で局限された喜びを味わうものではない。
そうではなくて、われわれの幸福は数百万人のものであり、
われわれの行為は、静かに、しかし永遠に働きながら生き続けるのである。
そしてわれわれの遺体の灰は、高貴な人々の熱い涙によって濡らされるであろう」
(『マルクス・エンゲルス全集40巻』515~519ページ)

 

 

 

 

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