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レーニン:

国家と革命

1917

 

 

 

 

第一章 階級社会と国家

 

 

一 階級対立の非和解性の産物としての国家

 

いまマルクスの学説には、解放のためにたたかう被抑圧階級の革命的思想家や指導者の学説について、歴史上再三起こったと同じことが起こっている。大革命家の生前には、抑圧階級はたえまない迫害を彼らにむくい、野蛮このうえない敵意、狂暴あくなき憎悪、嘘と中傷の乱暴きわまる攻撃でその学説をむかえた。彼らの死後には、革命的学説の内容を去勢し、その革命的な鋒先をにぶらせ、それを卑俗化するとともに、被抑圧階級を「慰め」、欺くために、彼らを無害の聖像に変え、彼らをいわば聖列にくわえ、彼らの名前にある栄誉を与えようとする企てがなされる。

 マルクス主義をこのように「加工する」点で、いま、ブルジョアジーと労働運動内の日和見主義者とは一致している。彼らは学説の革命的側面、その革命的精神を忘却し、抹殺し、歪曲している。そして、ブルジョアジーに受けいれられるもの、あるいは受けいれられるように見えるものを、全面に押しだし、礼賛している。すべての社会排外主義者が今日「マルクス主義」である――冗談ではない! そしてきのうまではマルクス主義撲滅の専門家であったドイツのブルジョア学者たちは、略奪戦争をおこなうためにあれほどみごとに組織された労働組合を育てあげたという「ドイツ民族的な」マルクスを口にすることが、ますます頻繁になっている。

 事態はこのとおりで、マルクス主義の歪曲が未曾有にひろがっているこのさい、われわれの任務は、なによりもまず、マルクスの真の国家学説を原状に復することである。このためには、マルクス、エンゲルス自身の著作から、多くの長い引用をする必要がある。もちろん、長い引用文は、叙述をおもくるしいものにし、叙述の平易化にはすこしも役だたないであろう。だが、引用文なしですますことは全然不可能である。

 読者が、科学的社会主義の創始者たちの見解の全体とこの見解の発展とについて、自分なりの見解をもてるようになるためには、また、今日支配的な「カウツキー主義」がこの見解を歪めていることを文献的に立証して、明瞭に示すためには、マルクスとエンゲルスの著作から、国家の問題について述べた個所をみな、すくなくとも決定的な個所はみな、できるだけ完全な姿で、ぜひ引用しなければならない。

 もっとも普及しているフリードリヒ・エンゲルスの著作『家族、私有財産および国家の起源』から始めよう。この著作は、1894年にシュトゥットガルトですでに第六版が出ている。われわれは引用文をドイツ語の原書から訳さなければならない。なぜなら、ロシア語訳は、たくさん出てはいるが、多くは不完全なものか、きわめて不出来なものだからである。

 エンゲルスは、彼の歴史的分析を総括してこう述べている、「国家はけっして外から社会におしつけられた権力ではない。またそれは、ヘーゲルの主張するような、『人倫的理念が現実化したもの』、『理性が形象化し、現実化したもの』でもない。それは、むしろ一定の発展段階における社会の産物である。それは、この社会が自分自身との解決できない矛盾にまきこまれ、自分でははらいのける力のない、和解できない対立物に分裂したことを白状するものである。ところで、これらの対立物が、すなわちあい争う経済的利害をもつ諸階級が、無益な闘争によって自分自身と社会を滅ぼさないようにするためには、外見的には社会のうえに立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』のわく内にたもつべき権力が必要となった。そして、社会から生まれながら社会のうえに立ち、社会にたいしてますます外的なものとなってゆくこの権力が、国家である」〔選集第13巻、473―474P〕。

 ここには、国家の歴史的役割とその意義の問題についてのマルクス主義の基本思想が、まったく明瞭に言いあらわされている。国家は、階級対立の非和解性の産物であり、その現われである。国家は階級対立が客観的に和解させることができないところに、またそのときに、その限りで、発生する。逆にまた、国家の存在は、階級対立が和解できないものであることを証明している。

 ほかならぬこのもっとも重要な根本的な点について、マルクス主義の歪曲が始まる。それは二つの主要な方向をとっている。一方では、ブルジョア・イデオローグ、とくに小ブルジョア・イデオローグは、――議論の余地のない歴史的事実にせまられて、国家は階級対立と階級闘争のあるところにしか存在しないことを、承認せざるをえなくなって――国家は諸階級を和解させる機関であるといったふうにマルクスを「やや修正」する。

 マルクスによれば、諸階級を和解させることができるようなら、国家は発生することも存続することもできないはずである。ところが、小市民的で俗物的な教授や政論家たちによると、――たえず、マルクスをご親切にも引合いに出してはいるが!――国家はまさに諸階級を和解させるものだということになる。マルクスによれば、国家は階級支配の機関であり、一階級が他の階級を抑圧する機関であり、階級の衝突を緩和させながら、この抑圧を公認し強固なものにする「秩序」を創出することである。小ブルジョア政治家の意見によれば、秩序とは、ほかならぬ階級の和解であって、一階級が他の階級を抑圧することではなく、また衝突を緩和させるとは、和解させることであって、抑圧者を打ち倒すための一定の闘争手段と闘争方法とを被抑圧階級から奪い取ることではないのである。

 たとえば、1917年の革命で、国家の意義と役割の問題が全貌を現わし、即時の行動、しまも大衆的な規模での行動の問題として実践的に現われたとき、エス・エル(社会革命党)とメンシェヴィキはみな、「国家」は階級を「和解」させるという小ブルジョア理論へ、たちまち完全に転落してしまった。これら両党の政治家の無数の決議や論文には、この小市民的・俗物的な「和解」論が骨の髄までしみこんでいる。

 国家は、自分の対立者(自分に対立する階級)と和解できない一定の階級の支配の機関である。――このことが小ブルジョア民主主義派にはどうしても理解できないのである。国家にたいする態度は、わが国のエス・エルやメンシェヴィキが、けっして社会主義者ではなく(それは、われわれボリシェヴィキがつねに証明してきたことである)、社会主義まがいの物言いをする小ブルジョア民主主義者だということの、もっとも明瞭な現われの一つである。

 他方、マルクス主義の「カウツキー主義的」歪曲は、はるかに巧妙である。国家が階級支配の機関であることも、階級対立が和解できないことも、「理論的には」否定されていない。しかし、つぎの点が忘れられるか、あいまいにされている。すなわち、もし国家が階級対立の非和解性の産物であるなら、また国家が社会のうえに立ち、「社会にたいしてますます外的なものになってゆく」権力であるなら、明らかに、被抑圧階級の解放は、暴力革命なしには不可能なばかりでなく、さらに、支配階級によってつくりだされ、この「疎外」を体現している国家権力機関を破壊することなしには不可能であるということが、それである。理論的には自明なこの結論を、マルクスは――あとで見るように――革命の諸任務の具体的・歴史的分析にもとづいてきわめて明確にひきだしている。ところが、ほかならぬこの結論を、カウツキーは――以下の叙述で詳しく示すことにするが――なんと・・・・「忘却し」、歪曲したのである。

 


二 武装した人間の特殊な部隊、監獄その他

 

 エンゲルスは、こう続けている。概要「古いゲンス(氏族またはクラン)組織にくらべてみた国家の特徴は、第一に、国民を地域によって区分することである。この区分は、『自然なこと』のように思われる。しかし、それには、血族または氏族別の旧組織との長いたたかいが必要であった」。「第二は、自分を武装力として組織する住民とはもはや直接には一致しない一つの公的権力をうちたてることである。この特殊な公的権力が必要なのは、階級に分裂して以来、住民の自主的に行動する武装組織が不可能になったからである。こういう公的権力はどの国家にもある。それは武装した人間から成っているばかりでなく、さらに氏族社会(クラン社会)のまったく知らなかった物的な付属物、すなわち監獄やあらゆる種類の強制施設から成っている」〔選集13巻、474P〕。

 エンゲルスは、国家とよばれる「権力」、すなわち、社会から生まれながら、社会のうえに立ち、社会にたいしてますます外的なものとなってゆく権力の概念を展開している。この権力は、主としてなににあるのか? それは、監獄等を意のままにする武装した人間の特殊な部隊にある。われわれが武装した人間の特殊な部隊と言うのは、正当である。なぜなら、あらゆる国家に特有な公的権力は、武装した住民や、住民の「自主的に行動する武装組織」とは、「直接には一致しない」ものだからである。

 すべての偉大な革命的思想家と同じように、エンゲルスは、世間一般の俗物どもにはなにも注意するにあたらない、もっともありきたりのものと思われているもの、強い偏見どころか、いわば石のようにこりかたまった偏見によって神聖視されているもの、ほかならぬこうしたものに自覚した労働者の注意をむけようとつとめている。常備軍と警察とは、国家権力の主要な力の道具である。だが、――はたしてそれ以外のものでありうるだろうか?

 エンゲルスが話しかけている19世紀末のヨーロッパ人――大革命を体験したこともなければ、またこれを目(マ)ぢかに見たこともなかったヨーロッパ人――の大多数の見地からすれば、それ以外のものではあるはずがなかった。彼らには、「住民の自主的に行動する武装組織」がどんなものか、まったく理解できない。社会のうえに立ち、社会にたいして外的なものとなってゆく、武装した人間の特殊な部隊(警察、常備軍)の必要が、どうして現われたのかという質問にたいしては、西ヨーロッパやロシアの俗物は、スペンサーやミハイロフスキーから二、三の文句をかりてきて、社会生活の複雑化とか、機能の分化などを引合いにだして答えるのが好きである。

 こうした引証は「科学的」に見える。そして、和解しがたく敵対する階級へ社会が分裂したという、主要で基本的なことをぼかすことによって、俗物をみごとにねむらせる。この分裂がなかったとすれば、「住民の自主的に行動する武装組織」は、棒をもつ猿の群や、原始人や、あるいは氏族社会に統一された人間やの原始的な組織とは、その複雑さや、その技術の高さや、その他の点で違うではあろうが、しかし、そういう組織は可能であっただろう。

 そういう組織が不可能なのは、文明社会が、敵対する諸階級に、しかも和解しがたく敵対する諸階級に分裂していて、もしこれらの階級の「自主的に行動する」武装があったなら、これらの階級間の武装闘争をもたらすにちがいないからである。国家が形成され、特殊な力、武装した人間の特殊な部隊がつくりだされる。そして、どの革命も、国家機関を破壊することによって、われわれにむきだしの階級闘争を示しているし、支配階級は、自分に奉仕する武装した人間の特殊な部隊を復活させることにどんなに努力するものであるか、被抑圧階級は、搾取社会ではなく、被搾取者に奉仕しうるこの種の新しい組織をつくりだすことにどんなに努力するものであるかを、われわれに如実に示している。

 エンゲルスは、前提の考察のなかで、あらゆる大革命が、われわれのまえに、実践的に、明瞭に、しかも大衆行動の規模で提起する、ほかならぬこの問題、すなわち、武装した人間の「特殊な」部隊と、「住民の自主的に行動する武装組織」との相互関係の問題を、理論的に提起している。この問題がヨーロッパとロシアの革命の経験によってどのように具体的に例証されているかは、あとで見るとおりである。

 しかし、エンゲルスの叙述にかえろう。彼は、ときとすると、たとえば、北アメリカのここかしこでは、この公的権力は弱いが(ここで問題になっているのは、資本主義社会としてはまれな例外であり、自由な植民者が優勢であった、帝国主義前の時代の北アメリカの諸地方である)、一般的には、それが強化されつつあることを指摘している。「国家の内部の階級対立が激しくなるにつれ、また境を接する諸国家が大きくなり人口がふえるにつれて公的権力は強化する――まあ今日のわがヨーロッパを見るがよい。そこでは、階級闘争と侵略競争とが公的権力を増大させて、いまにも全社会を、いな国家をすらのみこもうとするほどの高さにおしあげてしまった」〔選集第13巻、475P〕。

 これが書かれたのは、おそくも前世紀の90年代のはじめである。エンゲルスの最後の序文は、1891年の6月16日付になっている。当時帝国主義への転換は、――トラストの完全な支配という意味でも、巨大銀行の無制限の権力という意味でも、大がかりな植民地政策等々という意味でも――フランスでは、ようやく始まったばかりであり、北アメリカやドイツでは、なおいっそう微々たるものであった。

 そのとき以来、「侵略競争」は一大前進をとげた。20世紀の10年代のはじめに、地球が、これらの「競争する侵略者」すなわち大きな強盗国家のあいだに、最後的に分割されてしまったので、ますますそうである。そのとき以来、陸海軍備は、信じられないまでに増大し、そして、イギリスが世界を支配するか、ドイツが世界を支配するかをめぐり、獲物の分配をめぐって起こった1914―1917年の略奪戦争は、盗賊的国家権力が社会のすべての力を「のみこむ」過程を、完全な破局へと近づけたのである。

 エンゲルスは、はやくも1891年に、「侵略競争」を、大国の対外政策のきわめて重要な特徴の一つとして指摘することができたが、社会排外主義の悪党どもは、まさにこの競争が何倍も激化して帝国主義戦争を生みだした1914―1917年に、「自国の」ブルジョアジーの略奪者的利益の擁護を、「祖国擁護」とか、「共和制と革命の防衛」とかいった空文句でおおいかくしているのだ!

 


被抑圧階級を搾取する道具としての国家

 

 

社会のうえに立つ特殊な公的暴力を維持するためには、租税と国債が必要である。エンゲルスはこう書いている。概要「公的暴力と徴税権とをにぎって、官吏は、いまや社会の機関でありながら、社会のうえに立っている。氏族(クラン)社会の諸機関にはらわれていた自由な、自発的な尊敬では、たとえ彼らがそういう尊敬を得られるにしても、この官吏には十分でない。官吏の神聖不可侵性についての特別な法律がつくられる。『もっともみずぼらしい警察吏でさえ』クランの代表者より大きな『権威』をもっている。だが文明国家の軍事権力の長でさえ、社会の『強(シ)いられざる尊敬』をうけているクランの首長を羨(うらや)んでよい〔選集第13巻、475―476P〕。

 国家権力機関としての官吏の特権的地位の問題が、ここで提起されている。なにが官吏を社会のうえに立たせるのかということが、基本的なこととして指摘されている。この理論上の問題が、1871年にはパリ・コンミューンによって実践的に解決されたこと、また1912年にはカウツキーによって反動的にあいまいにされたことは、あとで見よう。

 概要「国家は階級対立を抑制しておく必要から生じたものであるから、だが同時にこれらの階級の衝突のただなかで生じたものであるから、それは、普通、もっとも勢力のある、経済的に支配する階級の国家である。この階級は、国家を手段として政治的にも支配する階級となり、こうして、被抑圧階級を抑圧し搾取する新しい手段を獲得する」、「古代国家と封建国家が奴隷と農奴を搾取する機関であっただけでなく、近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取する道具である。しかし、例外として、あい闘う諸階級がほとんど力の均衡をたもっているため、国家権力が、見かけのうえの調停者として、一時両者にたいしてある程度独自性を得る時期がある。17世紀と18世紀の絶対君主制、フランスの第一および第二帝制のボナパルティズム、ドイツのビスマルクがそうである」〔選集第13巻、476P〕。

 われわれのほうでつけくわえれば、革命的プロレタリアートの迫害に移ったのちの共和制ロシアのケレンスキー政府、すなわち、ソヴェトは小ブルジョア民主主義者が指導していたためにすでに無力であったが、ブルジョアジーはまだソヴェトを直接に解散させることができるほど強くはなかった時期のケレンスキー政府がそうである。

 エンゲルスはこう続けている。概要「民主的共和制では、富はその権力を間接に、しかしそれだけにいっそう確実に行使する。すなわち、第一には、『直接に官吏を買収する』(アメリカのばあい)ことによって、第二には、間接に『政府と取引所の同盟』(フランスとアメリカのばあい)によって行使する」〔選集第13巻、477P〕。

 今日では、帝国主義と銀行の支配とは、どんな民主的共和制にあっても、富の無制限の権力を擁護し実現するこれら二つの方法をなみなみならぬ技量に「発達」させている。たとえば、ロシアにおける民主的共和制の最初の数カ月、エス・エルおよびメンシェヴィキの「社会主義者」とブルジョアジーとの結婚のいわば蜜月に、連立政府にあってパリチンスキー氏は、資本家と彼らの略奪行為、軍需品納入による彼らの官金横領を抑制する措置をまったくサボタージュしていたが、その後内閣を去ったこのパリチンスキー氏が(もちろん、まったく同じ別のパリチンスキーと交替したのであるが)、年俸12万ルーブリというちょっとした地位を資本家から「褒美にもらった」のは、あれはいったいなにか? 直接の買収か、それとも、間接の買収か? 政府とシンジケートとの同盟か、それとも友人関係に「すぎない」のか? チェルノフとツェレテリ、アウクセンチエフとスコベレフといった連中は、どういう役割を演じているのか? 彼らは、官金私消者である百万長者の「直接の」同盟者なのか、それともたんに間接の同盟者にすぎないのか?

 「富」の無制限の権力が民主的共和制ではいっそう確実なのは、この権力が資本主義の質の悪い政治的外被にたよっていないからである。民主的共和制は、資本主義の最良の政治的外被であり、そのために、ひとたびこの最良の外被を(パリチンスキー、チェルノフ、ツェレテリの一派をつうじて)わがものにすると、資本は、その権力をきわめて信頼できる確実な土台のうえにきずくために、ブルジョア民主共和制では、人物や、制度や、党派のどのような交替も、この権力を動揺させることができないのである。

 なお注意しておかねばならないのは、エンゲルスが、きわめて明確に、普通選挙権をブルジョアジーの支配の道具とよんでいることである。彼は、明らかにドイツ社会民主党の多年の経験を考慮しながら、つぎのように言っている。普通選挙権は、「労働者階級の成熟度の計器である。それは、今日の国家では、それ以上のものとはなりえないし、またけっしてならないであろう」〔選集13巻、477P〕。

 わが国のエス・エルやメンシェヴィキのような小ブルジョア民主主義者、そしてまた、彼らの実の兄弟である西ヨーロッパのすべての社会排外主義者や日和見主義者は、普通選挙権にまさに「それ以上のもの」を期待している。彼らは、「今日の国家で」普通選挙権が実際に勤労者の大多数の意志を表明し、その実現を確保できるかのような、誤った考えをいだき、またそれを人民にふきこんでいる。

 われわれは、ここでは、この誤った考えを注意しておくことしかできないし、また、エンゲルスのまったく明白で、正確で、具体的な言明が「公認の」(すなわち日和見主義的な)社会主義諸党の宣伝・扇動のなかではいたるところでゆがめられていることを指摘することしかできない。エンゲルスがここでしりぞけているこの考えがまったく誤りであることは、「今日の」国家についてのマルクスとエンゲルスの見解をのちに述べるさいに、詳しく解明しよう。

 エンゲルスは、彼のもっともひろく読まれている著作のなかで、自分の見解をつぎの言葉で総括している。「こうして、国家は永遠の昔からあるものではない。国家なしにすませていた社会、国家や国家権力のことを夢想さえしなかった社会が、かつてはあった。諸階級への社会の分裂を必然的にともなった経済的発展の一定の段階において、この分裂によって国家が一つの必要となったのである。いま我々は、これらの階級の存在が必要でなくなるばかりか、かえって断然生産の障害となるような、そういう生産の発展段階に急歩調で近づいている。階級は、以前にその発生が不可避的であったように、やはり不可避的に消滅するだろう。階級が消滅するとともに、国家も不可避的に消滅する。生産者の自由で平等な協同関係(アソツィアツィオン)にもとづいて生産を組織しかえる社会は、国家機構全体を、そのとき当然おかれるべき場所へ移すであろう、――すなわち、糸車や青銅の斧(オノ)とならべて、考古博物館へ」〔選集第13巻、478P〕。

 今日の社会民主党の宣伝・扇動文書のなかで、この引用文に出会うことはまれである。しかも、この引用文が出てくるばあいでも、それは、たいていは、聖像に礼拝でもするような調子で、すなわちエンゲルスに公式の敬意を表するために、引用されるにすぎず、この「国家機構全体を考古博物館へ移す」ことが革命のきわめて幅広い深刻な展開を前提していることなど、考えてみようともしない。エンゲルスが国家機構とよんでいるものにたいする理解すら、たいていは見られないのである。



四 国家の「死滅」と暴力革命

 

 国家は「死滅する」というエンゲルスの言葉は、ひろく知られており、頻繁に引用され、マルクス主義を日和見主義に偽造する普通のやり方の急所がどこにあるかをあざやかに示しているので、これは詳しく論じる必要がある。この言葉の出所となっている考察を全文引用しよう。

 「プロレタリアートは国家権力を掌握し、生産手段をまずはじめには国家財産に転化させる。だが、そうすることで、プロレタリアートは、プロレタリアートとしての自分自身を廃絶し、そうすることであらゆる階級差別と階級対立を廃絶し、そうすることでまた国家としての国家をも廃絶する。階級対立のうちに運動してきたこれまでの社会には、国家が必要であった。すなわち、そのときどきの搾取階級が自分たちの外的な生産諸条件を維持するため、したがって、とりわけ現在の生産様式によって決められている抑圧条件(奴隷制、農奴制あるいは隷農制、賃労働)のもとに被搾取階級を暴力的におさえつけておくための組織が必要であった。国家は全社会の公式の代表者であり、目に見える一団体に全社会をまとめあげたものであった。しかし、国家がこうしたものであったのは、それがそれぞれの時代にみずから全社会を代表していた階級の国家――古代では奴隷所有市民の、中世では封建貴族の、現代ではブルジョアジーの国家――であったかぎりにすぎなかった。それは、ついに実際に全社会の代表者になることによって、自分自身をよけいなものにする。抑圧しておかなければならない社会階級がもはやなくなるやいなや、階級支配と、これまでの生産の無政府性にもとづく個人の生存闘争とがとりのぞかれるにともなって、そこから起こる衝突と暴行もまたとりのぞかれるやいなや、特殊な抑圧力である国家を必要としたような、抑圧しなければならないものがもはやなくなる。

 国家が実際に全社会の代表者としてたちあらわれる最初の行為――社会の名において生産手段を掌握すること――は、同時に国家が国家としておこなう最後の自主的な行為である。社会関係にたいする国家権力の干渉は、一分野から他の分野へとつぎつぎによけいなものとなり、それからひとりでにねむりこんでしまう。人にたいする統治に代わって、物の管理と生産過程の指導とが現われる。国家は『廃止される』のではない。それは死滅するのである。『自由な人民国家』という文句は、この点にてらして評価しなければならない。つまり、それが一時的に扇動上の理由から是認できるという面と、最終的には科学上不十分であるという面とを、評価しなければならない。国家をきょうあすにも廃止せよという、いわゆる無政府主義者の要求も、同様にこの点にてらして評価しなければならない」(『反デューリング論』ドイツ語版、三〇一―三〇三ページ)〔選集、第一四巻、四七三―四七四ページ〕。

 誤りをおそれずあえて言うならば、エンゲルスの驚くほど思想ゆたかなこの考察のなかで、今日の社会主義諸党のあいだの社会主義思想の真の財産となったものは、無政府主義者の国家「廃止」説とは違って、マルクスによれば国家は「死滅する」ということだけだ、と言ってもいい。しかし、マルクス主義をこういうふうに切りちぢめるのは、それを日和見主義にしてしまうことである。なぜなら、こういうふうに「解釈」するばあいには、緩慢で、穏やかな、徐々に生じる変化があって、飛躍と激動はなく、革命はないといったえたいのしれぬ観念しかのこらないからである。世間一般の、ひろく流布した、大衆的――こう表現してもよければ――な理解による国家の「死滅」とは、疑いもなく、革命をあいまいにする――たとえ否定しないまでも――ことを意味する。

 ところが、この種の「解釈」は、ブルジョアジーにだけ有利な、はなはだしいマルクス主義の歪曲であって、理論的には、たとえば、われわれが全文引用しておいた、エンゲルスのあの「総括的」考察のなかに述べてある、きわめて重要な事情や論点を忘れたことによるものである。

 第一に、この考察の最初でエンゲルスは、プロレタリアートは国家権力を掌握し、「そうすることで国家としての国家を廃絶する」と言っている。これがなにを意味するか、それについて考えることは「慣例になっていない」。普通それは、完全に無視されるか、そうでなければエンゲルスの「ヘーゲル主義的弱点」のようなものだと見なされている。実際には、これらの言葉には、最大のプロレタリア革命の一つである一八七一年のパリ・コンミューンの経験が、簡潔に言いあらわされている。この経験のことは、適当な場所でもっと詳しく述べよう。実際には、ここでエンゲルスが言っているのは、プロレタリア革命によるブルジョアジーの国家の「廃絶」のことである。ところが、死滅という言葉は、社会主義革命後のプロレタリア国家組織の残存物にかんすることである。エンゲルスによれば、ブルジョア国家は「死滅する」のではなく、革命のあいだにプロレタリアートによって「廃絶される」。この革命のあとで死滅するのは、プロレタリア国家または半国家である。

 第二に、国家は「特殊な抑圧力」である。エンゲルスの、このみごとな、きわめて深遠な定義は、ここで、このうえなく明瞭にくだされている。ところで、この定義から出てくることは、ブルジョアジーがプロレタリアートを、ひとにぎりの金持が数百千万の勤労者を「抑圧するための特殊な力」は、プロレタリアートがブルジョアジーを「抑圧するための特殊な力」(プロレタリアートの独裁)と交替しなければならない、ということである。「国家としての国家の廃絶」とは、まさにこのことなのである。社会の名において生産手段を掌握する「行為」とは、まさにこのことなのである。そして一つの(ブルジョア的な)「特殊な力」ともう一つの(プロレタリア的な)「特殊な力」とのこのような交替は、けっして「死滅」というかたちで生じうるものではない。

 第三に、エンゲルスが「死滅」と言い――もっとくっきりと、あざやかに――「眠りこみ」と言っているのは、まったく明白、明確に、「国家が社会の名において生産手段を掌握した」のちの、すなわち社会主義革命後の時代についてである。この時期の「国家」の政治形態がもっとも完全な民主主義であることを、われわれはみな知っている。だが、恥しらずにもマルクス主義を歪曲している日和見主義者は、したがってエンゲルスがここで問題にしているのは民主主義の「眠りこみ」と「死滅」であるということに、だれひとり気づかないのである。これは、一見はなはだ奇異に思われる。しかし、このことが「理解できない」のは、民主主義もまた国家であり、したがって、国家が死滅するときには民主主義もまた消滅する、ということをよく考えたことのない人だけである。ブルジョア国家を「廃絶」することができるのは、革命だけである。国家一般、すなわちもっとも完全な民主主義は、「死滅」するほかはない。

 第四に、「国家は死滅する」という有名な命題をかかげたのち、エンゲルスは、ただちに、この命題が日和見主義者にも無政府主義者にも鋒先をむけていることを、具体的に明らかにしている。そのさいエンゲルスは、「国家は死滅する」という命題から生まれる。日和見主義者に鋒先をむけた結論を第一においている。

 賭(カ)けをしてもよいが、国家は「死滅する」ということを読むか聞いたかした一万人のうち九九九〇人は、エンゲルスがこの命題からの結論を無政府主義者だけにむけたのではないということを、まったく知らないか、あるいはそれを記憶していない。ところで、残りの一〇人のうちおそらく九人までは、「自由な人民国家」とはなにか、なぜこのスローガンにたいする攻撃は日和見主義にたいする攻撃を意味するのか、を知らない。歴史はこうして書かれるのだ! 偉大な革命的学説が、こうして流行の俗物主義にこっそり偽造されるのだ。無政府主義者に鋒先をむけた結論は、千回もくりかえされ、卑俗化され、浅薄きわまるかたちで頭にたたきこまれ、偏見の強靭(ジン)さをもつようになった。ところが、日和見主義者に鋒先をむけた結論はあいまいにされ、「忘れさられた」!

 「自由な人民国家」は、一八七〇年代のドイツの社会民主主義者の綱領的要求であり、流行のスローガンであった。このスローガンは、民主主義の概念を小ブルジョア的に誇張して言いあらわしている以外に、政治的内容はなにもない。そのなかに民主的共和制が合法的な仕方で暗示されていたかぎりにおいて、エンゲルスは、扇動上の見地から、このスローガンを「一時」「是認する」ことを辞さなかった。しかし、このスローガンは日和見主義的であった。なぜなら、それは、ブルジョア民主主義の粉飾をあらわしていただけでなく、あらゆるたぐいの国家一般にたいする社会主義的批判についての無理解をもあらわしていたからである。

 われわれは、資本主義のもとでプロレタリアートにとって最高の国家形態として、民主的共和制に賛成である。だが、もっとも民主的なブルジョア共和制のもとでも賃金奴隷制が人民の運命であることを忘れる権利は、われわれにはない。さらに、あらゆる国家は、被抑圧階級を「抑圧するための特殊な力」である。だから、あらゆる国家は不自由で、非人民的である。マルクスとエンゲルスは、七〇年代に、このことを党のどうしにむかって再三説明した。

 第五に、そこに国家死滅論が述べられていることをだれでも思い出すエンゲルスのあの著作には、暴力革命の意義の考察があるのだ。暴力革命の役割の歴史的評価は、エンゲルスにあっては、暴力革命にたいするまぎれもない賛辞になっている。このことを「だれも思い出さない」。この思想の意義を語ること、それどころか、それを考えることすら、今日の社会主義諸党では慣例になっていない。大衆のあいだでの日常の宣伝・扇動では、この思想はなんの役割も演じていない。ところが、この思想は、国家の「死滅」と不可分に結びついて、整然たる一体をなしているのである。

 エンゲルスの考察は、つぎのとおりである。・・・・「暴力は、歴史上で、他のもう一つの役割」(悪いことをするという以外の)、「つまり革命的な役割を演じるということ、暴力は、マルクスの言葉によると、新社会をはらんでいる旧社会の助産婦であるということ、暴力は、社会的運動が自己を貫徹し、硬直し死亡した政治的諸形態を打ち砕くための道具であるということ、――こういうことについては、デューリング氏は一言も語らない。彼は、搾取経済を転覆するためにはおそらく暴力が必要となるかもしれないということを、嘆いたり、うめいたりしながら、やっと認めている。――残念なことに! というのは、すべて暴力の行使は、それを行使するものを堕落させるからだという。勝利に終わったどの革命からも、大きな道徳的・精神的高揚が結果として生じているという事実をまえにしながら、こういうことを言うのだ! ドイツでは、実際に人民は暴力的衝突をやむなくされるかもしれないが、すくなくともそれは、三十年戦争の屈辱の結果として国民の意識にしみこんだ下僕根性を根絶するという利益があるだろうに、そのドイツでこういうことを言うのだ! それでもなお気のぬけた、ひからびた、無力な説教師的考え方が、おこがましくも、歴史上に知られたもっとも革命的な党にあえて自分を押し売りしようとするのか?」(ドイツ語第三版、一九三ページ。第二編第四章のおわり)〔選集、第一四巻、三三二―三三三ページ〕。

 エンゲルスが、一八七八年から一八九四年まで、すなわちその死にいたるまで、ドイツの社会民主主義者にむかって根気よく説きつづけた、暴力革命にたいするこの賛辞と、国家「死滅」論とは、どうやって一つの学説に結合することができるだろうか? ふつう両者は、折衷主義の助けをかりて、すなわち、あるときは前者の、あるときは後者の議論を、無思想的にあるいは詭(キ)弁的に、勝手気ままに(あるいは権力者を喜ばせるために)つかみだすことによって、結合されている。しかも、一〇〇回のうち九九回――それ以上ではないとしても――は、ほかならぬ「死滅」が全面に押しだされている。弁証法が折衷主義に代えられている。――これが、マルクス主義についての今日の社会民主党の公認の文献で、もっとも普通な、もっともひろがっている現象である。

 もちろん、こうしたとりかえは新しいことではなく、ギリシア古典哲学の歴史にさえ見うけられることである。マルクス主義を日和見主義に偽造するさいには、弁証法の折衷主義的偽造がもっともやすやすと大衆を欺き、外見的な満足を与え、また過程のすべての側面、すべての発展傾向、矛盾にみちたすべての影響、等々を考慮しているかのように見えるが、しかし実際には、それは、社会的発展過程の統一ある革命的な理解を、すこしも与えるものではない。

 暴力革命の不可避性についてのマルクスとエンゲルスの学説がブルジョア国家について言われたものであることは、すでに前述したが、以下の叙述でさらに詳しくそのことを示そう。ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と交替するのは、「死滅」によっては不可能であり、それは、通例、暴力革命によってのみ可能である。エンゲルスが暴力革命にささげた賛辞は、マルクスのたびたびの言明と完全に一致しているが(われわれは、暴力革命の不可避性を誇らかに公然と言明している『哲学の貧困』と『共産党宣言』との結語を思い出すし、また、それからほとんど三〇年後の一八七五年の『ゴータ綱領批判』――マルクスは、そこでは、この綱領〔*〕の日和見主義を容赦なく糾弾している――を思い出す)――この賛辞は、けっして「陶酔」でもなければ、大言壮語でもなく、また論戦上の脱線でもない。暴力革命についてのこのような――まさにこのような――見解で大衆を系統的に教育する必要が、マルクスとエンゲルスの学説全体の基礎になっている。今日支配的な社会排外主義的傾向とカウツキー主義的傾向とがマルクスとエンゲルスの学説を裏切っていることは、両者ともにこのような宣言、このような扇動を忘れているところに、とくにあざやかに現われている。

 プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能である。プロレタリア国家の廃絶、すなわちあらゆる国家の廃絶は、「死滅」の道による以外には不可能である。

 マルクスとエンゲルスは、個々の革命的情勢を一つ一つ研究し、一つ一つの革命の経験の教訓を分析することによって、これらの見解を詳しく具体的に発展させた。つぎに、彼らの学説のなかで無条件にもっとも重要なこの部分に移ろう。



 

第二章 国家と革命(1848―1851年の経験)

 

 

革命の前夜

 

成熟したマルクス主義の最初の著作である『哲学の貧困』と『共産党宣言』とは、1848年の革命の直前のものである。そのため、これらの著作には、マルクス主義の一般原則の叙述とともに、その当時の具体的な革命的情勢が、ある程度表現されている。だから、これらの著作の筆者が、1848―1851年の経験から結論をひきだす直前に国家について語っていることを調べてみるのが、おそらくいっそう適切であろう。

 マルクスは、『哲学の貧困』のなかでこう書いている。概要「労働者階級は、その発展の過程において、諸階級とその敵対関係を排除する一つの共同社会をもって、古い市民社会におきかえるであろう。そして、本来の意味での政治権力はもはや存在しないであろう。なぜならまさに政治権力こそ、市民社会における敵対関係の公式の要約〔公的表現――ドイツ語版〕だからである」〔全集第4巻、190P〕。

 階級が廃絶されたのちには国家は消滅するという思想のこの一般的叙述を、数カ月後――すなわち1847.11月に――マルクスとエンゲルスが書いた『共産党宣言』のなかの叙述と比較対照してみると、教えられるところが多い。 概要「我々は、プロレタリアートの発展のもっとも一般的な諸段階を略述して、現存の社会の内部における多かれ少なかれ隠された内乱のあとをたどり、ついにそれが公然たる革命となって爆発し、プロレタリアートがブルジョアジーを暴力的に打倒して自分の支配をうちたてるところまで、到達した」、「すでにまえのほうで見たように、労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級に転化させること(文字どおりには、支配階級の地位に高めること)、民主主義をたたかいとることである」。

 「プロレタリアートは、その政治的支配を利用して、ブルジョアジーからつぎつぎにいっさいの資本を奪い取り、いっさいの生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し、生産諸力の量をできるだけ急速に増大させるであろう」〔全集第4巻、486―494P〕。

 ここには、国家の問題におけるマルクス主義のもっとも注目すべき、もっとも重要な思想の一つ、すなわち「プロレタリアートの独裁」(パリ・コンミューン以後マルクスとエンゲルスはこう言うようになった)の思想の定式化があり、さらに、これまたマルクス主義の「忘れられた言葉」の一つである。きわめて興味ぶかい国家の規定がある。「国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」。国家のこの規定は、公認の社会民主諸党の支配的な宣伝・扇動文書のなかで、一度も解明されたことがないだけではない。それだけではない。この規定は、まったく忘れられてきた。なぜなら、それは改良主義とは全然和解できないからであり、「民主主義の平和的発展」といったありふれた日和見主義的偏見や小市民的幻想に平手打ちをくらわせるからである。

 プロレタリアートは国家を必要とする、――日和見主義者、社会排外主義者、カウツキー派はみなこう繰り返している、そのさい彼らは、これがマルクスの学説だと断言しながら、それにつぎのことをつけくわえるのを「忘れている」。第一に、マルクスによれば、プロレタリアートに必要なのは、死滅しつつある国家、すなわち、ただちに死滅しはじめるし、また死滅せざるをえないようにつくられた国家だけであるということ、第二に、勤労者に必要なのは、「国家」、「すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」であるということ、これである。

 国家は、特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織である。ではプロレタリアートはどの階級を抑圧しなければならないのか? もちろん、搾取階級すなわちブルジョアジーだけである。勤労者に国家が必要なのは、搾取者の反抗を抑圧するためにほかならない。だが、この抑圧を指導し、それを実行することができるのは、徹底的に革命的な唯一の階級であり、ブルジョアジーにたいする闘争で、ブルジョアジーを完全に一掃するために、すべての勤労被搾取者を団結させる能力のある唯一の階級である、プロレタリアートだけである。

 搾取階級に政治的支配が必要なのは、搾取を維持するため、すなわち、人民の圧倒的多数に反対して、とるにたらぬ少数者の貪欲な利益をはかるためである。被搾取階級に政治的支配が必要なのは、あらゆる搾取を完全に廃絶するため、すなわち、とるにたらぬ少数の現代の奴隷所有者、すなわち地主と資本家に反対して、人民の圧倒的多数の利益をはかるためである。

 小ブルジョア民主主義者、階級闘争を階級協調の夢想に代えたこの自称社会主義者は、社会主義的改造をも空想的に考え、搾取階級の支配を打倒することとは考えずに、自分の任務を理解した多数者に少数者が平和的に服従することだと考えた。超階級的な国家の承認と不可分に結びついたこの小ブルジョア的空想は、実践上では、勤労諸階級の利益を裏切る結果となった。それは、たとえば、1848年と1871年のフランス革命の歴史が示すとおりであり、19世紀末と20世紀初頭のイギリス、フランス、イタリア、その他の国々のブルジョア内閣に「社会主義者」が参加した経験が示すとおりである。

 マルクスは、今日ロシアでエス・エルやメンシェヴィキの諸党が復興したこの小ブルジョア社会主義と、生涯をつうじて闘った。マルクスは、階級闘争の学説を、政治権力の学説、国家学説にいたるまで、首尾一貫して貫いた。ブルジョアジーの支配を打倒することは、その階級の経済的存在条件がこの打倒の準備を整えさせ、この打倒を遂行する可能性と能力とを与える特殊な階級としてのプロレタリアートによってのみ可能である。ブルジョアジーは、農民やすべての小ブルジョア層を分裂させ、ばらばらにするのに反して、プロレタリアートを結束させ、統一させ、組織化させる。プロレタリアートだけは――大規模生産で演じる彼らの経済的役割の結果――すべての勤労被搾取大衆の指導者となる能力をもっている。ところが、これらの大衆は、しばしばプロレタリアートにおとらず、いやそれ以上に、ブルジョアジーに搾取され、抑圧され、圧迫されているのに、自分の解放のために自主的に闘う能力をもたないのである。

 マルクスが国家の問題と社会主義革命の問題とに適用した階級闘争の学説は、必然的にプロレタリアートの政治的支配、プロレタリアートの独裁の承認に、すなわち、何者とも分有を許さない、大衆の武装力に直接立脚した権力の承認にみちびく。ブルジョアジーの打倒は、プロレタリアートが支配階級に転化すること、ブルジョアジーの不可避的な死にもの狂いの反抗を抑圧し、新しい経済制度のためにすべての勤労被搾取大衆を組織する能力のある支配階級に転化することによって、はじめて実現することができる。

 プロレタリアートには、国家権力、すなわち、中央集権的な力の組織、暴力組織が必要である――搾取者の反抗を鎮圧するためにも、社会主義経済を「組織」するうえで、膨大な住民大衆、すなわち農民、小ブルジョアジー、半プロレタリアを指導するためにも、必要である。マルクス主義は、労働者党を教育することによって、プロレタリアートの前衛――権力を奪取し、全人民を社会主義へみちびき、新しい体制を指導し組織する能力をもち、またブルジョアジーぬきで、ブルジョアジーに反対して、自分の社会生活を建設するうえで、すべての勤労被搾取者の教師となり、指導者となり、首領となる能力をもつ前衛――を教育する。

 これに反して、今日支配的な日和見主義は、労働者党を大衆から切り離された高給労働者の代表者に育てあげている。つまり、資本主義のもとでかなりよい「地位につき」、アジ豆のあつものとひきかえに自分の長子権を売り渡す、すなわち、ブルジョアジーに反対する人民の革命的指導者としての役割を放棄する代表者を育てあげているのである。

 「国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」――マルクスのこの理論は、プロレタリアートが歴史上はたす革命的役割についての彼の学説全体と不可分に結びついている。この役割を仕上げるものが、プロレタリア独裁であり、プロレタリアートの政治的支配である。

 だが、もしプロレタリアートには、ブルジョアジーに鋒先をむけた特殊な暴力装置としての国家が必要であるとすれば、この暴力組織の創出は、ブルジョアジーに自分のためにつくりだした国家機構をまえもって廃絶することなしに、それを破壊することなしに、はたして考えられるか、という結論がひとりでに出てくる。『共産党宣言』は、この結論のごくまぢかまで接近している。そしてマルクスは、1848―1851年の革命の経験を総括するさいに、この結論について述べている。

 

革命の総括

 

 

いまわれわれの関心をひいている国家問題について、マルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』のなかのつぎのような考察で、1848―1851年の革命を総括している。 概要「しかし革命は徹底的である。それはまだ煉獄を通る旅の途中にある。革命は順を追ってその仕事をなしとげる。1851.12.2(ルイ・ボナパルトがクーデターをおこなった日)までに、革命はその準備の半分を完了した。いまそれはあとの半分の完了にかかっている。革命は、はじめに議会権力を完成して、それを転覆できるようにした。この仕事をやりとげた今では、革命は執行権力を完成し、それをそのもっとも純粋な表現につきつめ、それを孤立させ、それを唯一の標的として自分に対立させ、こうして自分の破壊力をことごとく執行権力に集中できるようにする」(傍点は引用者)。「そして、革命がその準備作業のこのあと半分をなしとげたとき、ヨーロッパは席からとびあがって歓呼するであろう。あっぱれ堀りかえしたぞ、老いたもぐらよ! と」。

 「膨大な官僚・軍事組織をもち、複雑多岐で精巧な国家機構をもったこの執行権力、50万の軍隊とならぶもう50万の官僚軍、網の目のようにフランス社会の肉体にからみついて、そのすべての毛穴をふさいでいるこの恐ろしい寄生体、それは、絶対君主制の時代に、封建制度の没落につれて発生したものであって、この没落をはやめる助けをした」、「フランス第一革命は中央集権制を発展させたが、それと同時に、またその規模や、機能や、属吏の人数を拡大させざるをえなかった。ナポレオンがこの国家機構を完成した。正統王政と七月王政は、分業を拡大したほかは、なにひとつつけくわえなかった」。

 「最後に、議会的共和制は、革命に反対してたたかうさいに、弾圧措置を強めるとともに、政府権力の手段を増大させ、その集中を強めざるをえなかった。すべての変革は、この機構を打ち砕かずに、かえってそれをいっそう完全にした」(ゴシックは引用者)、「かわるがわる支配権を争った諸政党は、この巨大な国家構築物を自分の手におさめることを、勝利者のおもな獲物と見なした」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)〔全集第8巻、192―193P〕。

 この注目すべき考察では、マルクス主義は、『共産党宣言』にくらべて一大前進をとげている。『宣言』では、国家の問題は、まだきわめて抽象的に、もっとも一般的な概念と表現をつかって、提起されている。ところが、ここでは、問題は具体的に提起され、非常に正確で、明確で、実践的に具体的な結論がくだされている。これまでの革命はみな国家機構をいっそう完全なものにしたが、国家機構は粉砕し、打ち砕かなければならないのだ、と。

 この結論は、マルクス主義の国家学説のなかで主要なもの、根本的なものである。しかも、ほかならぬこの根本的なものが、支配的な公認の社会民主諸党によって、まったく忘れさられているだけでなく、さらに第二インタナショナルのもっとも著名な理論家であるK・カウツキーによって、(あとで見るように)まっこうから歪曲されているのである。

 『共産党宣言』では、歴史の総括が与えられているが、この総括は、国家を階級支配の機関と見ることをせまり、つぎのような必然的な結論へ到達させる。すなわち、プロレタリアートは、まずはじめに政治権力をたたかいとり、政治的支配権を手にいれ、国家を「支配階級として組織されたプロレタリアート」に転化することなしには、ブルジョアジーを打倒することはできない、そして、このプロレタリア国家は、勝利するやいなやただちに死滅しはじめる、なぜなら、階級対立のない社会では、国家は必要でなく、またありえないからである、というのである。ここでは、プロレタリア国家とブルジョア国家とのこの交替が――歴史的発展の見地から見て――いったいどういうふうにおこなわれるべきであるか、という問題は提起されていない。

 ほかならぬこの問題を、マルクスは1852年に提起して解決している。自分の弁証法的唯物論の哲学に忠実なマルクスは、1848―1851年の偉大な革命期の歴史的経験を基礎にしている。マルクスの学説は、ここでも――いつものように――深遠な哲学的世界観と豊富な歴史的知識とによって解明された、経験の総括である。

 国家の問題は、具体的に提起されている。すなわち、ブルジョア国家、ブルジョアジーの支配に必要な国家機構は、歴史的にはどのようにして発生したか? 国家機構はどんな変化をこうむったか、ブルジョア諸革命のあいだに、また被抑圧階級の自主的進出に直面して、国家機構はどのような進化をとげたか? この国家機構にたいするプロレタリアートの任務はなにか?

 ブルジョア社会に特有な中央集権的国家権力は、絶対主義の没落期に生まれた。この国家機構にとってもっとも特徴的な制度が二つある、――官僚制度と常備軍である。これらの制度が、ほかならぬブルジョアジーと数千の糸で結びついていることは、マルクスとエンゲルスの著作のなかで再三述べられている。どの労働者の経験も、この結びつきを、きわめて明瞭に、しみじみと思い知らせてくれる。労働者階級は、自分の肌でこの結びつきを認識するみちを学ぶ。――だからこそ労働者階級は、この結びつきの不可避性についての教訓をやすやすと把握し、しっかり身につけるのである。ところが、小ブルジョア民主主義者は、この教訓を、無知で軽率なために否定するか、それでなければいっそう軽率に「一般的には」承認しながら、それに合致する実践的な結論をくだすのを忘れている。

 官僚制度と常備軍、これはブルジョア社会の肉体にやどる「寄生体」、この社会をひきさく内的諸矛盾によって生みだされた寄生体、だがまさに生命の毛穴を「ふさぐ」寄生体である。今日公認の社会民主党内で支配的なカウツキー主義的日和見主義は、国家を寄生体と見る見解を、無政府主義だけに特有な属性だと見なしている。もちろん、マルクス主義のこのような歪曲は、「祖国擁護」の概念を帝国主義戦争に適用して、この戦争を正当化し粉飾するという、前代未聞の恥さらしな目に社会主義をあわせた小市民にとっては、きわめて好都合なものであるが、それでもこれは無条件の歪曲なのである。

 封建制度の没落以来ヨーロッパが数多く経験したすべてのブルジョア革命をつうじて、この官僚・軍事機関の発展、完成、強化がすすんでいる。とくに、小ブルジョアジーは、この機関をつうじて、いちじるしく大ブルジョアジーの側へひきつけられ、それに従属させられる。なぜならこの機関は、農民、小手工業者、商人等の上層に、比較的快適で、平穏で、名誉ある地位、その保持者を人民のうえに立たせる地位を与えるからである。

 1917.2.27日以後の半年間に、ロシアで起こったことをとってみたまえ。以前は黒百人組に優先的に与えられていた官吏の地位は、カデットとメンシェヴィキとエス・エルの分捕品になった。じっさい、本格的な改革のことはなにも考えず、この改革を「憲法制定議会まで」引き延ばすことにつとめ――そして憲法制定議会のほうは、これをずるずるべったりに戦争の終わりまで引き延ばそうとした! ところが、獲物の分配や、大臣、次官、総督等々への就任となると、ぐずぐずしてはいなかったし、憲法制定議会などを待ってはいなかった! 内閣の顔ぶれの組合せ遊びは、本質上、上下をつうじ、全国にわたり、中央・地方の行政府全体でおこなわれる、「獲物」のこうした分配と再分配の現われにほかならなかった。1917.2.27日から8.27日までの半年間の総括、客観的総括は、疑う余地がない。改革は延期され、官吏の地位の分配はおこなわれ、分配上の「誤り」は若干の再分配によって是正された。

 しかし、種々のブルジョア政党や小ブルジョア政党のあいだで(ロシアの例をとれば、カデット、エス・エル、メンシェヴィキのあいだで)、官僚機構の「再分配」がおこなわれればおこなわれるほど、被抑圧階級とその先頭に立つプロレタリアートには、全ブルジョア社会にたいする自分の和解できない敵対関係がますますはっきりしてくる。そこで、すべてのブルジョア政党には、いな、「革命的民主主義」政党をもふくめた、もっとも民主主義的な政党にさえ、革命的プロレタリアートにたいする弾圧を強め、弾圧機関、すなわちほかならぬこの国家機構を強化することが必要になってくる。事件のこのような成行きの結果、革命は、国家権力にたいして「破壊力をことごとく集中」せざるをえないようになり、国家機構を改善することではなくて、それを破壊し廃絶することを任務とせざるをえないようになる。

 このようなかたちで任務を提起させたのは、論理的な考察ではなく、事件の現実の発展、1848―1851年の生きた経験である。マルクスが歴史的経験という事実的基礎にしっかりと立脚していることは、1852年には彼は、この廃絶されるべき国家機構をなにに代えたらよいかという問題を、まだ具体的に提起していない点にも見られる。経験は、当時まだ、このような問題のための材料を提供していなかった。歴史がこのような問題を日程にのぼせたのは、それよりのちの1871年のことであった。1852年に、自然史観察のもつ精密さで確認できたことは、プロレタリア革命が、国家権力にたいして「破壊力をことごとく集中」する任務、国家機構を「打ち砕く」任務にまで到達したというにすぎなかった。

 ここで疑問が起きるかもしれない。マルクスの経験、観察、結論を普遍化して、それを1848年から1851年にいたる三年間のフランスの歴史よりも広い分野におよぼすことは、正しいだろうか? この問題を考察するために、まずエンゲルスの意見を思い出し、ついで事実資料に移ることにしよう。

 エンゲルスは『ブリュメール一八日』第三版の序文にこう書いている。概要「フランスは、歴史上の階級闘争がつねにほかのどの国よりも徹底的に、決着までたたかいぬかれた国であり、したがってまた、つぎつぎと交替する政治的諸形態――それらの内部で階級闘争がおこなわれ、また階級闘争の結果がそれらに総括されてゆくのであるが――がもっとも明確な輪郭をとってきた国である。中世には封建制度の中心であり、ルネサンスこのかた統一的な身分的君主制の模範国であったフランスは、大革命で封建制度を粉砕し、ヨーロッパの他のどの国にも見られないほど古典的なかたちでブルジョアジーの純粋な支配をうちたてた。そして、支配の地位についたブルジョアジーにたいする台頭しつつあるプロレタリアートの闘争も、フランスでは、ほかでは見られない鋭いかたちをとって現われている」〔全集第8巻、544―545P〕。

 この最後の意見は、1871年以来、フランス・プロレタリアートの革命的闘争に中断がやってきたかぎりでは、古くさくなっている。もっとも、この中断は、それがどんなに長期にわたろうとも、きたるべきプロレタリア革命で、フランスが決着までたたかいぬかれる階級闘争の古典的な国として現われる可能性を、けっして排除するものではない。

 だが、19世紀末と20世紀初頭の先進諸国の歴史を概観してみよう。そうすれば、同じ過程が、いっそう徐々に、いっそう多様なかたちで、はるかに広い舞台ですすんでいることがわかるであろう。すなわち、一方では、共和国(フランス、アメリカ、スイス)でも、君主国(イギリス、ドイツ(ある程度)、イタリア、スカンディナヴィア諸国等々)でも、「議会権力」ができあがり、他方では、ブルジョア体制の基礎はそのままにして、いろいろなブルジョア政党や小ブルジョア政党が権力のための闘争をおこなって、官職の「獲物」を分配し、再分配し、最後に、「執行権力」とその官僚・軍事機関がいっそう完全なものになり強化されたのである。

 これが、資本主義国家一般の最近の進化全体の一般的な特徴であることは、まったく疑いがない。1848―1851年の三年間に、フランスは、資本主義世界全体に特有なあの発展過程を、急速な、鋭い、集中的なかたちで示した。

 だがとくに帝国主義――銀行資本の時代、巨大な資本主義的独占体の時代、独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代――は、君主制の国々でも、もっとも自由な共和制の国々でも、プロレタリアートにたいする弾圧の強化と関連して、「国家機構」の異常な強化、その官僚・軍事機関の前代未聞の成長を示している。

 いまや世界史は、疑いもなく、1852年とは比較にならないほど大規模に、国家機構を「破壊する」ためにプロレタリア革命の「力をことごとく集中する」ところへすすんでいる。プロレタリアートは、この国家機構をなにととりかえるか、このことについてきわめて教訓に富む材料を提供したのは、パリ・コンミューンである。

 

 

一八五二年におけるマルクスの問題提起〔1、第二版において増補〕

 

 

1907年に、メーリングは『ノイエ・ツァイト』(第25年第2巻、164P)に、1852.3.5日付ワイデマイヤーあてのマルクスの手紙の抜粋を発表した。この手紙には、とりわけ、つぎのような注目すべき考察がふくまれている。「私について言えば、近代社会に諸階級が存在していることを発見したという功績も、それらの階級相互の闘争を発見したという功績も、私のものではない。私よりもずっとまえに、ブルジョア的編史家たちが諸階級のこの闘争の歴史的発展を述べていたし、ブルジョア経済学者は諸階級の経済的解剖学を述べていた。私が新しくやったことは、つぎの点を証明したことである。(一)、階級の存在は、生産の特定の歴史的発展段階(historische Entwicklungsphasen der Produktion)だけに結びついたものであるということ、(二)、階級闘争は、必然的にプロレタリアートの独裁にみちびくということ、(三)、この独裁そのものは、いっさいの階級の廃絶と無階級社会とにいたる過渡をなすにすぎないということ、これである」〔選集第5巻、488P〕。

 以上の言葉で、マルクスは、第一には、ブルジョアジーのもっとも深い考えをもったすすんだ思想家の学説と彼の学説との主要な、根本的な相違を、第二には、彼の国家学説の本質を、驚くほどあざやかに表現することができた。マルクスの学説のなかで主要なものは、階級闘争である。非常にしばしば、人々はこう語り、またこう書いている。だがこれは誤っている。そして、この誤りの結果として、いたるところでマルクス主義の日和見主義的歪曲が生じ、ブルジョアジーに受けいれられるようにするためのマルクス主義の偽造が生じている。なぜなら、階級闘争の学説は、マルクスではなく、マルクス以前にブルジョアジーが生みだしたものであって、一般的に言えば、ブルジョアジーに受けいれられるものだからである。

 階級闘争を承認するだけでは、まだマルクス主義者ではない。そういう人はブルジョア的思考とブルジョア政治のわくをまだ出ていないこともありうる。マルクス主義を階級闘争の学説にかぎることは、マルクス主義を切りちぢめ、歪曲し、それをブルジョアジーにも受けいれられるものにしてしまうことを意味する。階級闘争の承認をプロレタリアートの独裁の承認に拡張する人だけが、マルクス主義者である。この点に、マルクス主義者と月なみな小ブルジョア(ならびに大ブルジョア)とのもっとも深刻な相違がある。この試金石で、マルクス主義をほんとうに理解し承認しているかどうかをためさなければならない。

 だから、ヨーロッパの歴史が、労働者階級を実践的にこの問題に当面させたとき、すべての日和見主義者や改良主義者ばかりでなく、すべての「カウツキー派」(改良主義とマルクス主義のあいだを動揺している連中)もまた、プロレタリアートの独裁を否定するあわれむべき俗物や小ブルジョア民主主義者であることがわかったのも、異とするにたりない。

 1918.8月、すなわち本書の第一版のはるかあとで出たカウツキーの小冊子『プロレタリアートの独裁』は、マルクス主義を小市民的に歪曲し、マルクス主義を口先では偽善的に承認しながら、実際には卑劣にも否認している見本である(私の小冊子『プロレタリア革命と背教者カウツキー』、ペトログラードおよびモスクワ、1918年、を見よ)。

 もとマルクス主義者K・カウツキーを主要な代表者とする今日の日和見主義は、前掲のマルクスのおこなったブルジョア的立場の特徴づけに、そっくりあてはまる。なぜなら、この日和見主義は、階級闘争の承認の範囲をブルジョア的諸関係の範囲にかぎるからである(ところで、この範囲内では、この範囲のわく内では、教養ある自由主義者はだれも、階級闘争を「原則的に」承認することを拒まないだろう!)。日和見主義は、階級闘争の承認を、まさにもっとも重要な点までは、すなわち資本主義から共産主義への移行の時期、ブルジョアジーを打倒し、彼らを完全に絶滅する時期までは、拡張しない。現実には、その時期は、不可避的に、未曾有に激しい階級闘争の時期であり、階級闘争が未曾有に鋭いかたちをとる時期である。したがって、この時期の国家もまた、不可避的に新しい型の民主主義的な(プロレタリアと無産者一般とにとって)、また新しい型の独裁的な(ブルジョアジーにたいして)国家でなければならない。

 つぎに、一階級の独裁は、あらゆる階級社会一般にだけ必要なのではなく、またブルジョアジーを打ち倒したプロレタリアートにだけ必要なのではなく、さらに、資本主義と「無階級社会」、共産主義とをへだてる歴史的時期全体にも、必要だということを理解した人だけが、マルクスの国家学説の本質を会得したものである。ブルジョア国家の形態はさまざまであるが、その本質は一つである。これらの国家はみな、形態はどうあろうとも、結局のところ、かならずブルジョアジーの独裁なのである。資本主義から共産主義への移行は、もちろん、きわめて多数のさまざまな政治形態をもたらさざるをえないが、しかしそのさい、本質は不可避的にただ一つ、プロレタリアートの独裁であろう。

 

 

第三章 国家と革命(1871年のパリ・コンミューンの経験。マルクスの分析)

 

 

 コンミューン戦士の試みの英雄精神はどういう点にあるか?

 

 

 

周知のように、1870年の秋、コンミューンの数カ月前にマルクスは、政府を倒そうと試みるのはむこうみずな愚行であることを証明して、パリの労働者に警告を発した。しかし、1871.3月に、労働者が決戦を強いられて、これに応じ、蜂起が事実となったとき、マルクスは、不吉な前兆があったにもかかわらず、非常な感激をもってプロレタリア革命を歓迎した。マルクスは、悪名をはせたロシアのマルクス主義の背教者プレハーノフがしたように、「時期尚早」の運動にたいする学者ぶった非難を固執しはしなかった。プレハーノフは、1905.11月には、労働者と農民の闘争を激励するために筆をとりながら、1905.12月以後には、「武器をとるべきではなかった」と自由主義者ふうに悲鳴をあげたのである。

 けれども、マルクスはコンミューン戦士の――彼の表現によれば――「天をもおそう」英雄精神に感激しただけではなかった。彼は、この大衆的な革命運動――もっとも目的を達しはしなかったが――を、非常に重要な歴史的経験、世界プロレタリア革命の一定の一歩前進、数百の綱領や議論よりも重要な実践的行動と考えた。この経験を分析し、そこから戦術上の教訓をひきだし、この経験にもとづいて自分の理論を再検討すること――これを、マルクスは自分の任務とした。

 マルクスがその必要を認めて『共産党宣言』にくわえた唯一の「修正」は、パリ・コンミューン戦士の革命的経験にもとづいてなされたものである。その両著者が署名している、『共産党宣言』のドイツ語新版の最後の序文は、1872.6.24日付になっている。この序文で、著者であるカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、『共産党宣言』の綱領は、「今日では、ところどころ時代おくれになっている」と言っている。彼らはこうつづけている、「とりわけコンミューンは『労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま奪い取って、自分自身の目的のために動かすことはできない』ということを証明した」〔全集第4巻、590―591P〕。

 この引用文のなかで二重かっこにいれた言葉は、両著者が、マルクスの著作『フランスにおける内乱』からかりてきたものである。このように、マルクスとエンゲルスは、パリ・コンミューンの一つの根本的な、主要な教訓を、非常な重要性をもつものと考えたので、この教訓を『共産党宣言』にたいする本質的な修正として挿入したのである。

 非常に意味深長なのは、ほかならぬこの本質的な修正が日和見主義者によって歪曲されていて、この修正の意味が、『共産党宣言』の読者の一〇〇人の九九人ではないにしても、一〇人中の九人には、おそらくわかっていないということである。この歪曲についてはのちに、とくに種々の歪曲を扱った章で、詳しく述べよう。ここでは、つぎのことを指摘しておけば十分であろう。すなわち、まえにあげた有名なマルクスの言葉の今はやりの俗悪な「理解」によると、マルクスがここで強調しているのは、権力の奪取などというようなこととは反対の漸次的発展の思想だ、というのである。

 実際は、まさにその逆である。マルクスの考えでは、労働者階級は「できあいの国家機構」を粉砕し、打ち砕くべきであって、それをそのまま奪取するにとどまってはならないというのである。1871.4.12日、すなわちちょうどコンミューンの当時に、マルクスはクーゲルマンにあててつぎのように書いている。「もし君が私の『ブリュメール十八日』の最後の章を見るなら、そこで、私が、フランス革命のつぎの試みは、もはやこれまでのように官僚・軍事機構を一つの手から他の手に移すことではなくてそれを打ち砕く(ゴシックはマルクス。原文では zerbrechen)ことである、と述べていることに気がつくであろう。そして、これは大陸におけるあらゆる真の人民革命の前提条件である。まさにこのことがわれわれの英雄的なパリの党同志たちが企てていることなのだ」(『ノイエ・ツァイト』、1901―1902年、第20年第一巻、709P)(マルクスのクーゲルマンあての手紙はロシア語ではすくなくとも二版出ている。その一つは私の編集で、私の序文がついている)〔選集第11巻、295P〕。

 この「官僚的・軍事的国家機構を打ち砕く」という言葉には、革命における国家にたいするプロレタリアートの任務の問題についてのマルクス主義の主要な教訓が簡潔に表現されている。ところが、ほかならぬこの教訓が完全に忘れさられているだけでなく、支配的な、カウツキー主義的なマルクス主義「解釈」によって、まっこうから歪曲されているのである!

 マルクスが『ブリュメール十八日』を引合いに出していることについては、われわれはまえに、該当個所を全文引用しておいた。前掲のマルクスの考察のうちで、とくに二つの個所を注意しておくことは、興味がある。第一に、彼は、その結論を大陸にかぎっている。これは、イギリスが、まだ純資本主義的な国の手本ではあったが、軍閥がなく、また官僚制度もたいしてなかった1871年には、当然であった。だから、マルクスはイギリスを除外した。そこでは、革命は、人民革命でさえ、「できあいの国家機構」の破壊という前提条件がなくても当時は可能であると思われたし、また実際に可能であった。

 1917年の今日、最初の帝国主義的大戦争の時代には、マルクスのこの限定はなくなる。軍閥と官僚主義が存在しないという意味でのアングロ-サクソン的「自由」の、世界における最大かつ最後の代表者であるイギリスもアメリカも、あらゆるものを自分に従属させ、あらゆるものを抑圧する官僚・軍事制度の、全ヨーロッパ的な、けがらわしい、血なまぐさいどろ沼に完全にころげおちた。いまやイギリスでもアメリカでも、「あらゆる真の人民革命の前提条件」は、「できあいの」(1914年から1917年に、これらの国で「ヨーロッパ的」、一般帝国主義的な水準に達するほど完成された)「国家機構」を打ち砕き、破壊することである。

 第二に、とくに注意をはらう価値があるのは、官僚的・軍事的国家機構の破壊が「あらゆる真の人民革命の前提条件」である、というマルクスの非常に深遠な意見である。「人民」革命というこの概念をマルクスが口にすることは奇異に思われる。そこで、ロシアのプレハーノフ派やメンシェヴィキ、すなわちマルクス主義者と認められたがっている、これらのストルーヴェ追随者たちは、おそらく、マルクスのこうした表現を、「言いそこない」だと主張するかもしれない。彼らは、マルクス主義にきわめて貧弱な自由主義的歪曲をくわえてしまったので、彼らにとっては、ブルジョア革命とプロレタリア革命との対立以外にはなにものもなく、しかもこの対立でさえ極端に硬直したかたちで理解されているのである。

 一例として、二十世紀の革命をとるなら、ポルトガル革命〔1910年〕も、トルコ革命〔1908年〕も、もちろんブルジョア革命であると認めなければならない。だが、それらはいずれも「人民」革命ではない。なぜなら、どちらの革命のばあいにも、人民大衆、人民の大多数が、積極的・自主的に、自分自身の経済的および政治的要求をかかげて、顕著な行動に出るということはやっていないからである。

 これに反して、1905―1907年のロシアのブルジョア革命には、ポルトガル革命やトルコ革命がときとしてめぐまれたような「すばらしい」成功はなかったとはいえ、それは疑いもなく「真の人民」革命であった。なぜなら、人民大衆、人民の大多数、抑圧と搾取に押しつぶされた社会の最「下層」が、自主的に立ち上がって、自分の要求のしるしを、破壊されるべき旧社会のかわりに、自分の流儀で新しい社会を建設しようとする自分の試みのしるしを、革命の経過全体のうえにのこしたからである。

 1871年のヨーロッパ大陸では、プロレタリアートはどの国でも人民の大多数を占めてはいなかった。現実に人民の大多数を運動にひきいれる「人民」革命は、プロレタリアートも農民もどちらもふくめたときにだけ、「人民」革命となることができた。この両階級が当時まさに「人民」を構成していたのであった。両階級は、「官僚的・軍事的国家機構」が彼らを抑圧し、圧迫し、搾取するために、統一されている。この機構を粉砕し、打ち砕くこと――これが、「人民」の、人民の大多数の、労働者と農民の大多数との真の利益であり、これが貧農とプロレタリアとの自由な同盟の「前提条件」であって、このような同盟なしには、民主主義は不安定であり、社会主義的改造は不可能である。

 周知のように、パリ・コンミューンは、このような同盟への道をひらこうとしたが、内的・外的な幾多の原因によって、目的を達しなかった。したがって、「真の人民革命」を言うにあたって、マルクスは、小ブルジョアジーの特殊性(彼はこれについて多くのことを、しばしば語っている)をすこしも忘れないままに、1871年のヨーロッパ大陸の大多数の国家の諸階級の実際の相互関係をきわめて厳密に考慮していた。他方、彼は、国家機構の「粉砕」が労働者のためにも、農民のためにも必要であって、それが両者を統一していること、「寄生体」を除去して、これをある新しいものととりかえるという共通の任務を彼らのまえに提起していることを、確認した。

 では、いったい、なにととりかえるのか?

 

 

 

粉砕された国家機構をなにととりかえるのか?

 

 

この問題にたいして、マルクスは、1847年の『共産党宣言』では、まだまったく抽象的な解答を――より正確に言えば――任務を指示してはいるが、その解決方法を指示してはいない解答を与えた。「支配階級としてプロレタリアートを組織すること」、「民主主義をたたかいとること」をもって代える――これが『共産党宣言』の解答であった。

 マルクスは、空想にふけることなく、支配階級としてのプロレタリアートのこの組織化がどんな具体的な形態をとることになるか、この組織化と、もっとも完全で徹底した「民主主義をたたかいとること」とが、いったいどんな仕方で結びつくのか、という問題の解答を、大衆運動の経験に期待した。 コンミューンの経験は、きわめてわずかなものではあったが、マルクスは『フランスにおける内乱』で、これを非常に注意ぶかく分析している。この著作のもっとも重要な個所を引用しよう。

 概要「19世紀には常備軍、警察、官僚、僧侶、裁判官といういたるところに居合わせるその諸機関をもつ」、「中世に由来する中央集権的な国家権力が発展した。資本と労働の階級敵対の発展につれて『国家権力はますます、労働者階級抑圧のための公的権力、階級支配の機構としての性格〔労働にたいする資本の全国的権力、社会的奴隷化のために組織された公的権力、階級専制の機関としての性格』をおびてきた。すべて階級闘争の一前進をあらわす〔一前進段階を画する〕ような革命のあとでは、国家権力の純然たる抑圧的な性格がますます露骨に現われてくる。1848―1849年の革命ののちには、国家権力は『労働にたいする資本の全国的な戦いの機関』となった。第二帝制はこれをかためた」。

 概要「帝制の生反対物がコンミューンであった。それは、階級支配の君主制的形態ばかりでなく、階級支配そのものを廃止するような共和制の明確な形態であった」〔選集第11巻、324―325、327―328P。レーニンの引用は、マルクスの英語原文のドイツ語訳をもとにしている。重要な相違のある個所では、英語原文を〔〕に入れて示しておく〕。

 プロレタリア的、社会主義的共和制のこの「明確な」形態は、どういう点にあったか? それが創出しようとした国家はどんなものであったか? 「コンミューンの最初の命令は、常備軍を廃止し、それを武装した人民ととりかえることであった」。

 この要求は、いまでは、社会主義政党と称したがるすべての党の綱領にはいっている。だが、これらの党の綱領の真価は、2.27日の革命の直後に、この要求の実現を実際上放棄したわが国のエス・エルとメンシェヴィキの行動を見れば、なによりもはっきりする! 概要「コンミューンは、パリ〔市〕の各区での普通選挙によって選出された市会議員から成っていた。彼らは責任を負い、いつでも〔短期に〕解任することができた。コンミューン議員の大多数は、もちろん、労働者か、労働者階級の公認の代表者かであった」、「これまで中央政府の道具〔手先〕であった警察は、その政治的属性をすぐさまはぎとられて、責任を負う、いつでも解任できるコンミューンの道具〔代理人〕に変えられた。行政府のその他のあらゆる部門の官吏も同じであった。コンミューンの議員をはじめとして、公務は労働者なみの賃金で果たされねばならなかった。国家の高官たちの既得権や交際費は、高官そのものといっしょに姿を消した。旧政府の物質力の道具〔物質的暴力の要素〕である常備軍と警察をいったん除去してしまうと、コンミューンは、精神的な抑圧力、すなわち『坊主の権力』を打ち砕くことにただちにとりかかった。司法官はあの見せかけの独立性をはぎ取られることになった。彼らは選挙され、責任を負い、解任できるものとならねばならなかった」〔選集第11巻、328―329P〕。

 こうして、コンミューンは、破壊された国家機構をいっそう完全な民主主義ととりかえたに「すぎない」、すなわち、常備軍を廃止し、すべての公務員の完全な選挙制と解任制を採用したに「すぎない」ように見える。ところが実際には、この「すぎない」という言葉は、ある制度を、原則的に異なる他の制度と大々的にとりかえることを意味する。ここにほかならぬ「量から質への転化」の一事例が認められる。すなわち、民主主義は、およそ考えられるかぎりもっとも完全に、もっとも徹底的に遂行されると、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義へ転化し、国家(=一定の階級を抑圧するための特殊な力)から、もはや本来の国家ではないあるものへ転化する。

 ブルジョアジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、これを十分断行しなかったところにある。だが、ここでは抑圧機関は、すでに住民の多数者であって、奴隷制のもとでも、農奴制のもとでも、賃金奴隷制のもとでもつねにそうであったように、住民の少数者ではない。ところで、ひとたび人民の多数者自身が、自分の抑圧者を抑圧することになると、抑圧のための「特殊な力」は、もはや不必要である! この意味で、国家は死滅しはじめる。特権的少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍の首脳部)にかわって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。そして、国家権力の諸機能の遂行そのものが全人民的なものになればなるほど、ますます国家権力の必要度は少なくなる。

 この点でとくに注目に値するのは、マルクスが強調しているコンミューンのとった処置、すなわち、あらゆる交際費や官吏の金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員の俸給の「労働者なみの賃金」水準への引下げである。まさにこの点に、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義への、抑圧者の民主主義から被抑圧階級の民主主義への、一定の階級を抑圧するための「特殊な力」としての国家から、人民の多数者である労働者と農民の全体の力による抑圧者の抑圧への急転換がもっとも明瞭に現われている。

 ところが、ほかならぬ、このとくに明瞭な点、国家問題についてはおそらくもっとも重要な点で、マルクスの教訓がもっとも忘れられているのである!通俗的な注釈書――それは無数にあるが――には、このことについてはなにも述べられていない。時代おくれの「素朴な考え」としてこのことを黙殺するのが「慣例」である、――キリスト教が国教の地位を得たのちは、キリスト教徒が民主主義的・革命的精神をもった原始キリスト教の「素朴な考え」を「忘れ」てしまったように。

 国家の高官の俸給引下げは、素朴な原始的民主主義の要求に「すぎない」ように見える。最新の日和見主義の「創始者」のひとり、もと社会民主主義者エドゥアルド・ベルンシュタインは、再三、「原始的」民主主義にたいする卑俗なブルジョア的嘲笑をくりかえすのを事とした。すべての日和見主義者や今日のカウツキー派と同様に、彼はつぎの二点をまったく理解しなかった。第一に、資本主義から社会主義への移行は、「原始的」民主主義へある程度「復帰」することなしには不可能なこと(なぜなら、もしそうでなかったなら、住民の大多数、いな全国民による国家機能の遂行へ、どういうふうにして移っていくのか?)、第二に、資本主義と資本主義文化とを基礎とする「原始的民主主義」は、原始時代あるいは前資本主義時代の原始的民主主義とは同じものではない。資本主義文化は、大規模生産、工場、鉄道、郵便、電話その他をつくりだした。そして、これにもとづいて、旧「国家権力」の機能の大多数は、非常に単純化され、登録、記入、点検といった、きわめて単純な作業に帰着させることができるので、これらの機能は、読み書きのできる者ならだれにも容易にできるものとなり、またこれらの機能は普通の「労働者なみの賃金」で容易に遂行できるようになり、これらの機能から、特権的なもの、「上司」的なものの色合いを完全にとりのぞくことができる(またそうしなければならない)。

 例外なくすべての公務員が、完全な選挙制となり、いつでも解任できるものになること、彼らの俸給を「労働者なみの賃金」へ引き下げること――これらの簡単で「自明な」民主主義的な方策は、労働者と農民の大多数との利害を完全に一致させつつ、同時に資本主義から社会主義に導くかけ橋となる。これらの方策は、国家的・純政治的社会改造にかんするものではあるが、しかし、もちろん、それは「収奪者の収奪」の実現または準備と関連して、すなわち生産手段の資本主義的私有の社会的所有への移行と関連してはじめて、その意味と重要性とを完全にもつようになる。

 マルクスはこう書いている。「コンミューンは、二つの最大の支出源――常備軍と国家官僚制度――をなくすることによって、すべてのブルジョア革命の合言葉である、安上がりの政府を実現した」〔選集第11巻、332P〕。 農民のなかからも、小ブルジョアジーの他の諸層のなかからも、とるにたらぬ少数者だけが「成り上がり」、ブルジョア的な意味で「出世する」、すなわち、金持に、ブルジョアになるか、地位の保証された特権的な官吏になるにすぎない。およそ農民のいるあらゆる資本主義国(大多数の資本主義国はそうであるが)では、農民の大多数は、政府に抑圧されていて、その打倒を待望し、「安上がりな」政府を待望している。これを実現できるものはプロレタリアートだけであり、プロレタリアートは、これを実現することによって、同時に、社会主義的国家改造への第一歩を踏みだすのである。

 

 

 

三 議会制度の廃棄

 

 

マルクスはこう書いている。概要「コンミューンは、議会ふうの団体ではなくて、執行府であると同時に立法府でもある行動的団体でなければならなかった」、「普通選挙権は、支配階級のどの成員が議会で人民を代表し、ふみにじる(ver- und zertreten)べきかを〔人民を誤り代表すべきかを〕3年または6年に一度きめるのではなくて、ちょうどそれぞれの雇い主が自分の事業に労働者や監督や簿記係をもとめるばあいに個人的選択権が役だつのと同じ仕方で、コンミューンに組織された人民に役だつはずであった」〔選集第11巻、328、330P〕。

 1871年にくだされたこの注目すべき議会制度批判もまた、社会排外主義と日和見主義の支配のおかげで、いまではマルクス主義の「忘れられた言葉」の一つになっている。大臣と職業的議会人、プロレタリアートの裏切者と今日の「実利主義的」社会主義者は、議会制度の批判をすっかり無政府主義者にまかせて、この驚くほど道理にかなった根拠から、議会制度のあらゆる批判を「無政府主義」だと宣言した!! 議会制度の「先進」諸国のプロレタリアートが、シャイデマン、ダヴィッド、レギーン、サンバ、ルノーデル、ヘンダソン、ヴァンデルヴェルデ、スタウニング、ブランティング、ビッソラーティらの一派のような「社会主義者」を見て嫌気がさし、アナルコ-サンディカリズムに――それが日和見主義の実の兄弟であるにもかかわらず――ますます頻繁に共鳴しているのは、異とするにたりない。

 しかし、マルクスにとっては、革命的弁証法は、空虚な流行語、玩具のがらがら――プレハーノフ、カウツキーその他のものは革命的弁証法をこんなものにしてしまったが――ではけっしてなかった。マルクスは、無政府主義者がブルジョア議会制度の「家畜小屋」さえ――とくに革命的情勢が明らかにないときには――利用するだけの才覚もないとして、彼らと容赦なく手を切ることができた、――だが、同時に彼は、議会制度を真に革命的・プロレタリア的に批判することもできた。

 支配階級のどの成員が、議会で人民を抑圧し、ふみにじるかを数年に一度きめること、――議会主義的立憲君主制ばかりでなく、もっとも民主的な共和制のばあいにも、ブルジョア議会制度の真の本質はまさにここにある。

 しかし、もしわれわれが国家の問題を提起し、議会制度を国家の一制度として、この分野におけるプロレタリアートの任務という見地から見るなら、議会制度からの活路はどこにあるか? どうすれば、議会制度なしにやってゆけるだろうか?

 またくりかえし言っておかねばならないが、コンミューンの研究にもとづくマルクスの教訓はすっかり忘れさられてしまったので、今日の「社会民主主義者」(今日の社会主義の裏切者と読め)には、無政府主義的か反動的な批判以外に議会制度の批判は、まったく理解できないのである。議会制度からの活路は、もちろん、代議機関と選挙制の廃棄にあるのではなく、代議機関をおしゃべり小屋から「行動的」団体へ転化することにある。「コンミューンは、議会ふうの団体ではなくて、執行府であると同時に立法府でもある行動的」団体でなければならなかった。

 「議会ふうの団体ではなく行動的な団体」――この言葉は、今日の議会人や社会民主党の議会主義的「狆(チン)」どもの急所をついている! アメリカからスイスまで、フランスからイギリス、ノールウェーその他まで、どの議会主義国でもよいから見てみるがよい。真の「国家」活動は舞台裏でおこなわれ、各省や官房や参謀本部によって遂行されている。議会では、「庶民」を欺こうという特別の目的でおしゃべりをしているにすぎない。これはまちがいのないことであって、ブルジョア民主共和国であるロシア共和国においてさえ、真の議会をつくりおおせるまえにすでに議会制度のこれらすべての弊害がたちまち現われたほどである。

 スコベレフとツェレテリ、チェルノフとアウクセンチエフらのくさった俗物根性の英雄は、ソヴェトをも醜悪きわまるブルジョア議会主義の型に従ってけがしてしまい、それを無内容なおしゃべり小屋に転化させることができた。ソヴェトでは、「社会主義的」大臣諸公が、美辞麗句と決議をならべて、信じやすい百姓を欺いている。政府内では、一方では、できるだけ多くのエス・エルやメンシェヴィキを、実(ミ)いりのよい栄職の「ピローグ」に順番にありつかせるために、他方では、人民の「注意を奪う」ために、はてしのないカドリールの舞踏がつづけられている。ところが、官房や参謀本部では「国家」活動が「おこなわれている」!

 支配政党である「社会革命党」の機関紙『デーロ・ナローダ』は、最近その社説で、――「こぞって」政治的売春に従事している「上流社会」人の無類のあけすけさで――告白した。「社会主義者」(こうした言い方はごめんこうむりたい!)が大臣になっている諸省でさえ、全官僚機関は、実質的にはもとのままで、旧来のやり方で執務し、革命的企画をまったく「自由に」サボタージュしている! と。そうだ、この告白がなくても、エス・エルとメンシェヴィキが政府に参加した実際の歴史がこのことを立証しているではないか? 

 ここで特徴的なことは、カデットとともに内閣に列している、チェルノフ、ルサノフ、ゼンジノフの諸氏、その他『デーロ・ナローダ』の編集者諸君が、羞恥(シュウチ)心をまったく失って、あたかも些細なことのように、「彼らの」省では、万事がもとのままだと、臆面もなく公言してはばからないのである! 単純な農民を愚弄するためには、革命的・民主主義的な空文句、資本家を「すっかり満足させる」ためには、官僚的繁文縟(ジョク)礼、――これこそ「誠実な」連立の本質なのである!

 コンミューンは、ブルジョア社会の金しだいの腐敗した議会制度を、判断と審議の自由が欺瞞に堕することのないような制度でおきかえる。なぜなら、議員は、みずから活動し、みずから法律を実施し、実際上の結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしみずから直接責任を負うべきものだからである。代議制度はのこっているが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執吏の役割を、われわれの委託のたんなる執行者の役割へ、責任を負った、解任することのできる、わずかな俸給を受け取る「監督と簿記係」(もちろん、あらゆる種類、型、等級の技術者をふくめて)の役割へ引き下げるであろう。――これこそ、われわれのプロレタリア的任務であって、プロレタリア革命を遂行するにあたっては、まさにここから始めることができるし、また始めなければならない。大規模生産を基礎として、このように始めてゆけば、ひとりでにあらゆる官僚制度は徐々に「死滅」してゆき、また、かっこつきではない秩序、賃金奴隷制とは似ても似つかぬ秩序――ますます単純化する監督と経理の機能が、すべての人によって順番に遂行され、つづいてそれが習慣となり、最後に、人間の特殊な層の特殊な機能としてはなくなるような秩序――が徐々につくりだされてゆく。

 前世紀の70年代のドイツのある機知に富んだ社会民主主義者は、郵便を社会主義経営の見本だとよんだ。まことにそのとおりである。今日では、郵便は、国家資本主義的独占の型に組織された経営である。帝国主義は、すべてのトラストをこのような型の組織に徐々に転化されている。ここでは、たくさんの仕事を背負わされながら飢えている「普通の」勤労者のうえに、同じブルジョア的官僚制度がのしかかっている。しかし、ここには社会的運営の機構がすでにできあがっている。資本家を倒し、武装した労働者の鉄腕でこれらの搾取者の反抗を粉砕し、近代国家の官僚機構を破壊せよ、――そうすれば、われわれの眼前には、「寄生体」をとりのぞき、高度な技術を装備した機構が現われる。そして、結合された労働者は、自分で技術者、監督、簿記係を雇いいれ、彼らすべての労働にたいし、一般にすべての「国家」官吏の労働に支払うのと同じように、労働者なみの賃金を支払って、この機構を運転することが十分にできる。これが、すべてのトラストについていまただちに実施することのできる、具体的・実践的な任務であり、勤労者を搾取から解放し、またすでにコンミューンによって実践的にはすでに開始された(とくに国家建設の分野で)経験を考慮にいれている任務である。

 国民経済全体を郵便のように組織すること、しかも技術者、監督、簿記係が、すべての公務員と同様に、武装したプロレタリアートの統制と指導のもとに「労働者なみの賃金」以上の俸給をうけないように組織すること――これこそ、われわれの当面の目標である。このような経済的基礎に立つこのような国家こそが、われわれに必要である。これこそ、議会制度を廃棄しながら、代議機関を保持するゆえんであり、この代議機関がブルジョアジーに身売りするような事態から勤労諸階級をまぬかれさせるものであろう。

 

 

 

 

四 国民の統一を組織すること

 

 概要「コンミューンは、全国的組織の大まかな見取図――コンミューンには、これを展開するだけの余裕がなかった――のなかで、どんな小さな田舎の部落でもコンミューンがその政治形態とならなければならないことをはっきり述べている。パリの『全国代表議会』もまた、コンミューンから選出されることになっていた。そうしてもなお中央政府にのこる少数の、だが重要な機能は、故意に誤りつたえられてきたように、廃止されるのではなく、コンミューンの官吏〔代理人〕、したがって厳格に責任を負う官吏〔代理人〕が、それを果たすことになっていた」。

 概要「国民の統一は、打ち砕かれるのではなく、反対に、コンミューン制度によって組織されるはずであった。すなわち国民の統一は、この統一の体現であるかの観を呈した国家権力、しかし国民そのものから独立し、国民に優越する体現であろうとしながら、そのじつ、国民の身体に寄生する肉瘤(リュウ)にすぎなかった国家権力を破壊することによって、現実のものとなるはずであった」、「旧政府権力の純然たる抑圧的な諸機関は切り取ってしまわなければならなかったが、他方、その正当な機能は社会そのものにたいする優越権を僭(セン)取した一権力からこれをもぎとって社会の責任ある代理人たちにかえされるはずであった」〔選集第11巻、329―330ページ〕。

 今日の社会民主党の日和見主義者たちが、マルクスのこの議論をどれほど理解していなかったか――理解する気がなかったというほうが正しいかもしれないが――は、背教者ベルンシュタインのヘロストラトス的に有名な著書『社会主義の前提と社会民主党の任務』がなによりもよく示している。いまここにあげたマルクスの言葉について、ベルンシュタインはこう書いている。概要「この綱領は、その政治的内容から見れば、すべての本質的な特徴において、プルードンの連邦主義に酷似したものを示している。マルクスと『小ブルジョア』プルードン(ベルンシュタインは、「小ブルジョア」という言葉をかっこにいれているが、これは、彼の考えでは皮肉のつもりなのだ)とは他のすべての点では意見がわかれているにもかかわらず、これらの点では彼らの思考の筋道はおよそ可能なかぎり接近している」。もちろん――とベルンシュタインはつづけている。概要「自治体の重要性は増しているが、しかし、民主主義の第一の任務が、マルクスやプルードンの想像するような近代国家の廃止(Auflosung――文字どおりには、解体、解消)や、国家組織の完全な変化(Umwandlung――変革)――州議会または県議会の代表から国民議会が構成され、州議会や県議会は、それはまたそれで、コンミューンの代表から構成される――であるかどうか、したがって、国民代議機関の従来の形態は完全になくなるかどうか、私には疑問に思われる」(ベルンシュタイン『社会主義の前提と社会民主党の任務』、1899年ドイツ版、134、136P)。

 「寄生体である国家権力の破壊」というマルクスの見解をプルードンの連邦主義と混同するとは、まったくとんでもないことである! だが、これは偶然ではない。というのは、マルクスがここで論じているのは、けっして中央集権主義に対立する連邦主義のことではなくて、すべてのブルジョア国に存在する旧ブルジョア国家機構の粉砕についてであるということは、日和見主義者には思いもよらないことだからである。日和見主義者の思いつくことは、彼らがその身辺に、小市民的俗物精神と「改良主義的」停滞とのなかで見いだすもの、すなわち「自治体」だけである! プロレタリアートの革命については、日和見主義者は、考えることさえ忘れてしまったのだ。

 これはこっけいである。しかし、この点でベルンシュタインと論争したものがいないのは、注目すべきことである。ベルンシュタインを論駁したものは多い――とくにロシアの文献ではプレハーノフが、ヨーロッパの文献ではカウツキーが彼を論駁している。ところが、前者も後者も、ベルンシュタインがマルクスをこのように歪曲したことを述べていない。

 日和見主義者は、革命的にものを考え、革命について思索することを忘れてしまったために、マルクスと無政府主義の創始者プルードンとを混同して、マルクスを「連邦主義」だとしている。ところが、正統派マルクス主義者のつもりでおり、革命的マルクス主義の学説を固守しているのだというカウツキーとプレハーノフが、これについてなにも言わないのである! ここにマルクス主義と無政府主義との相違についての見解を極端に卑俗化する一根源がある。このような卑俗化は、カウツキー派にも日和見主義者にも特有のものであるが、これについては、なおあとで述べるおりがあろう。

 コンミューンの経験についてのマルクスの前掲の議論には、連邦主義は跡かたもない。マルクスは、日和見主義者ベルンシュタインが見おとしている点で、まさに、プルードンと意見が一致している。マルクスは、ベルンシュタインが両者の一致を見いだしている点で、まさに、意見を異にしている。

 マルクスとプルードンとが近代国家機構の「粉砕」に賛成している点で、両者は一致している。マルクス主義が、無政府主義と(プルードンとも、バクーニンとも)こういうふうに一致していることを、日和見主義者もカウツキー派も見たがらない。なぜなら、彼らは、この点でマルクス主義からはなれているからである。

 マルクスは、ほかならぬ連邦主義の問題について(プロレタリアート独裁の問題はさておき)プルードンともバクーニンとも意見を異にしている。無政府主義の小ブルジョア的見地からは、原理的に、連邦主義が出てくる。マルクスは中央集権論者である。前掲のマルクスの議論のうちにも、中央集権主義からの逸脱はなにもない。国家にたいして小市民的な「迷信」をいだいている人々だけが、ブルジョア〔国家〕機構の廃棄を中央集権制の廃棄だと考えることができるのである!

 だが、もしプロレタリアートと貧農が国家権力を奪取して、まったく自由にコンミューンにならってみずからを組織し、すべてのコンミューンの活動を統合して、資本に痛撃をくわえ、資本家の反抗を打破し、鉄道、工場、土地等の私有を全国民に、全社会に移すなら、これは中央集権制にならないだろうか? これはもっとも徹底した民主主義的中央集権制、しかもプロレタリア的な中央集権制にならないだろうか?

 ベルンシュタインには、自発的な中央集権制、コンミューンの全国民への自発的統合、ブルジョア支配とブルジョア国家機構とを破壊するためのプロレタリア的コンミューンの自発的な融合が可能だということは、思いもよらない! すべて俗物がそうであるように、ベルンシュタインにとっては、中央集権制は、上からだけ、官吏と軍閥によってだけ強制し維持することのできる或るものとしか思われないのである。

 マルクスは、自分の見解が歪曲されるかもしれないことを予見するかのように、わざわざ強調して、コンミューンが国民の統一を廃絶し、中央集権制を廃止することを望んだかのようにコンミューンを非難することは、意識的な捏(ネツ)造だと言っている。マルクスは、意識的・民主主義的・プロレタリア的中央集権制を、ブルジョア的・軍事的・官僚的中央集権制に対置するために、わざわざ「国民の統一を組織する」という表現をつかっているのである。

 「だが、聞くことを欲しない人間は、どんなつんぼよりも始末が悪い」。ところが、今日の社会民主党の日和見主義者は、国家権力の廃絶、寄生する肉瘤を切り取ることについては、まさに聞くことを欲しないの

 

 

五 寄生体としての国家の廃絶

 

これにかんするマルクスの言葉はすでに引用したが、それを補足しなければならない。マルクスはこう書いている。概要「まったく新規な歴史上の創造物は、いくらかそれに似ているように見える、より古い、それどころか死滅してさえいる社会生活の諸形態の模写と思いちがいされるのが、普通、その運命である。そこで、近代の国家権力を打ち砕く(bricht)この新しいコンミューンも、中世のコンミューンの再生のように、小国家の連邦(モンテスキューやジロンド派)のように、過度の中央集権制にたいする古めかしい闘争の誇張された形態のように見なされてきた〔思いちがいされてきた〕」。

 概要「コンミューン制度は、社会に寄食し、その自由な運動を妨げている国家寄生物がこれまで吸いとってきた力の全部を、社会の身体にかえしたことであろう。このただ一つの行為によって、それはフランスの更生の発端となったであろう」。「コンミューン制度は、農村の生産者たちを彼らの県の中心都市の指導のもとにおき、そこに労働者という彼らの利益の生まれながらの受託者を確保してやった。コンミューンが存在するということ自体が、当然のこととして地方自治〔地方自治体の自由〕ということをふくんでいたが、しかし、それはもはや、いまやよけいなものとなった国家権力にたいする抑制物としてではなかった」〔選集第11巻、330―331P〕。

 「寄生する肉瘤」であった「国家権力の廃絶」、それの「切り取り」、それの「破壊」、「いまはよけいなものとなった国家権力」――マルクスは、コンミューンの経験を評価し分析するさい、こういう表現をつかって国家のことを述べている。

 これらすべては、ほとんど半世紀まえに書かれたものであるが、いまでは、歪曲されないマルクス主義を広範な大衆に知らせるために、いわば発掘をおこなわなければならない。マルクスが経験した最後の大革命の観察からひきだされた結論は、プロレタリアートのそのつぎの大革命の時期がやってきたちょうどそのときに、忘れられてしまったのである。

 「コンミューンがさまざまな解釈をうけたこと、またさまざまな利害集団がコンミューンに表現されたこと〔コンミューンを自分のつごうのよいように解釈したこと〕は、以前の政治形態がみな本質的に〔極度に〕抑圧的なものであったのに反して、コンミューンがあくまで伸張性のある政治形態であったことを示している。コンミューンのほんとうの秘密はこうであった。それは、本質上労働者階級の政府であり、横領者の階級にたいする生産者の階級の闘争の産物であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」。「この最後の条件がないかぎり、コンミューン制度は不可能事であり、欺瞞〔妄想〕であった〔ろう〕」〔選集第11巻、332P〕。

 空想主義者たちは、そのもとで社会の社会主義的改造がおこなわれるはずの政治形態の「発見」を事とした。無政府主義者は、総じて政治形態の問題を放棄した。今日の社会民主党の日和見主義者は、議会主義的民主国家のブルジョア的政治形態をふみこえてはならない限界と見なし、この「手本」を礼拝するあまり自分の額(ヒタイ)をぶちわり、これらの形態を打ち砕こうとするあらゆる志向を、無政府主義だと宣言した。

 マルクスは、社会主義と政治闘争との歴史全体から結論をくだして、国家は消滅するにちがいない、国家消滅の過渡的形態(国家から非国家への移行)は「支配階級として組織されたプロレタリアート」であろう、と言った。しかし、マルクスは、この将来の政治形態の発見にとりくみはしなかった。マルクスは、ただフランスの歴史を精密に観察し、これを分析し、1851年が到達した結論、すなわち、事態はブルジョア国家機構の破壊へ近づきつつある、という結論をくだすにとどまった。

 そして、プロレタリアートの大衆的革命運動が勃発すると、マルクスは、この運動が不成功に終わったにもかかわらず、またそれが短期間のもので明白な弱点をもっていたにもかかわらず、この運動がどんな形態を発見したかを研究しはじめた。コンミューンは、プロレタリア革命によって「ついに発見された」、労働の経済的解放をなしとげるための形態である。コンミューンは、ブルジョア国家機構を粉砕しようとするプロレタリア革命の最初の試みであり、粉砕されたものにとって代わることのできる、またとって代わらなければならない、「ついに発見された」政治形態である。

 われわれは、のちの叙述で、1905年と1917年のロシア革命が、違った情勢と違った条件のもとではあったが、コンミューンの事業を継承して、マルクスの天才的な歴史的分析を裏づけているのを見るであろう。

 

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