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資本主義の最高の段階としての帝国主義

(一般向け概説)

1916

 

 

 序 文
フランス語版およびドイツ語版への序文

  一 生産の集積と独占体
二 銀行とその新しい役割
三 金融資本と金融寡頭制
四 資本の諭出
五 資本家団体のあいだでの世界の分割
六 列強のあいだでの世界の分割
七 資本主義の特殊の段階としての帝国主義
八 資本主義の寄生性と腐朽
九 帝国主義の批判
一○ 帝国主義の歴史的地位

付録
バーゼルにおける臨時社会主義者大会の宣言(一九一二年一一月二四―二五日)

 

 

 

 

解 説
あとがき
人名索引
文 献

☆ 資本主義の最高の段階としての帝国主義
(一般向け概説)

☆ 序文

 ここに読者に提供する小冊子を、私は一九一六年の春にツューリヒで書いた。仕事をしたその土地の事情から、私は 当然、フランス語と英語の文献のある程度の不足に、またロシア語の文献のいちじるしい不足になやまなければならなかった。しかしそれでも私は、帝国主義に ついての主要な英文の労作、J・A・ホブソンの著書を、十分の注意をもって利用した。この労作は、私の確信するところによれば、まさにそういう注意に値す るものである。
この小冊子はツァーリズムの検閲を顧慮して書かれた。だから私はよぎなく、もっぱら理論的な――それもとくに経済学的な――分析にごく厳重に局限しなけ ればならなかったばかりでなく、政治について少数の欠くことのできない意見を述べるときには、最大の慎重さをもって、ほのめかしで、あのイソップ的な-- のろわしいイソップ的な――ことばで、定式化しなければならなかった。ツァーリズムのもとでは、「合法的」な著述のためにペンをとろうとすれば、あらゆる 革命家がそれにたよることをよぎなくされたのである。
いま、自由の日に、ツァーリズムの検閲を考慮してゆがめられ、鉄の万力によって圧しつぶされ締めつけられたこれらの箇所を読みなおすことは、苦痛であ る。帝国主義は社会主義革命の前夜であること、社会排外主義(口さきでは社会主義、行動では排外主義)は社会主義にたいする完全な裏切りであり、ブルジョ アジーの側への完全な移行であること、労働運動のこの分裂は帝国主義の客観的条件と関連するものであること等々を、私は「奴隷の」ことばで語らなければな らなかった。それで私は、この問題に関心をもつ読者には、一九一四―一九一七年に私が外国で書いた論文の、まもなく出る再録版〔1〕を参照していただかな ければならない。だがとくにここで指摘しておく必要のある箇所が一つある。それは一一九―一二〇ページ〔本訳書では一五七―一五八ページ〕である。資本家 と彼らの側にはしった社会排外主義者(カウツキーは彼らとはなはだ不徹底にしかたたかっていない)とが領土併合の問題でどんなに恥しらずな嘘をついている か、彼らが自国の資本家による併合をどんなに恥しらずに包みかくしているかということを、検閲をとおる形で読者に説明するために、私はよぎなく・・・・日 本を例にとらなければならなかった! 注意ぶかい読者は容易に、日本のかわりにロシアを、朝鮮のかわりにフィンランド、ポーランド、クールランド、ウクラ イナ、ヒヴァ、ブハラ、エストニア、その他、大ロシア人でない人々が住んでいる地方をおいてみるであろう。
私はこの小冊子が、それを研究しないでは現在の戦争と現在の政治を評価するうえになに一つ理解できない基本的な経済問題、すなわち帝国主義の経済的本質の問題を、究明する助けとなることを期待したい。
著者
べトログラード 一九一七年四月二六日

☆ フランス語版およびドイツ語版への序文〔2〕

★  一

 この小著は、ロシア語版の序文で指摘したように、一九一六年にツァーリズムの検閲を顧慮しながら書かれたもので ある。私には今日、全文を書きあらためる余裕はない。またそうすることはおそらく当を得ていないであろう。なぜなら、本書の基本的な任務は、以前もいま も、争う余地のないブルジョア統計の総括的資料とあらゆる国のブルジョア学者たちの告白とにもとづいて、二〇世紀初頭に、すなわち最初の帝国主義世界戦争 の前夜に、資本主義世界経済の概観図がどのようなものであったかを、その国際的相互関係においてしめすことにあるからである。
なおまた先進資本主義諸国の数多くの共産主義者にとって、ツァーリズムの検閲の見地からも合法的なこの小著の実例で、つぎのこと――すなわち、たとえば 最近共産主義者がほとんど一人のこらず逮捕されたあとの今日のアメリカあるいはフランスで共産主義者にとってなお残されている、あのわずかばかりの合法性 を利用して、「世界民主主義」という社会―平和主義者の見解と期待がまったくの偽りであることを説明することが可能であり、また必要であるということ―― を確信することは、いくらか有益ですらあるだろう。だがこの検閲下の小著にたいするどうしても必要な補足を、私はこの序文ですることにしよう。

★  二

 この小者では、一九一四―一九一八年の戦争は両方の側からして帝国主義的な(すなわち侵略的な、略奪的な、強盗的な)戦争であり、世界の分け取りのための、植民地と金融資本の「勢力範囲」の分割と再分割、等々のための戦争であったことが、証明されている。
というのは、戦争の真の社会的な性格、より正確にいえば真の階級的な性格がどんなものであるかの証明は、もちろん、戦争の外交史のうちにではなく、すべ ての交戦列強の支配階級の客観的立場の分析のうちに存するからである。この客観的立場を描きだすためには、たんなる事例や個々の資料をとりあげるべきでは なく(社会生活の諸現象は非常に複雑なので、任意の命題を確証するのに事例や個々の資料をいつでも好きなだけ探しだすことができる)、ぜひとも、すべての 交戦列強と全世界の経済生活の基礎にかんする資料の総体をとりあげなければならない。
反駁することのできないまさにこのような資料を、私は一八七六年と一九一四年における世界の分割(第六章)と、一八九〇年と一九一三年における全世界の 鉄道の分割(第七章)を描くさいにあげた。鉄道は、資本主義工業の最も主要な部門である石炭業と製鉄業との総括であり、世界商業とブルジョア民主主義文明 との発展の総括であり、またその最も明瞭な指標である。鉄道が大規模生産と、独占体と、シンジケートやカルテルやトラストや銀行と、金融寡頭制と、どれほ ど結びついているかは、本書の初めの諸章でしめされている。鉄道網の分布、分布の不均等、鉄道網の発展の不均等――これは、世界的規模における現代の独占 資本主義の総結果である。そしてこの総結果は、生産手段の私的所有が存在するかぎり、そのような経済的基礎のうえでは、帝国主義戦争が絶対に避けられない ことをしめしている
鉄道の建設は単純な、自然な、民主的な、文化的な、文明的な事業のように見える。資本主義的奴隷制を美化することで報酬をもらっているブルジョア教授た ちの目には、また小ブルジョア的俗物の目には、そう見える。だが実際には、これらの事業を数千の網の目によって生産手段一般の私的所有と結びつけている資 本主義の糸は、鉄道の建設を、(植民地ならびに半植民地の)一〇億の人々、すなわち、地球人口の半分以上を占める従属諸国の住民と「文明」諸国における資 本の賃金奴隷とを抑圧する道具に変えてしまっている。
小経営主の労働にもとづく私的所有、自由競争、民主主義――資本家と彼らの新聞が労働者と農民をあざむくのにもちいているこれらのスローガンはみな、も はや遠い昔のものとなった。資本主義は、ひとにぎりの「先進」諸国による地球人口の圧倒的多数の植民地的抑圧と金融的絞殺との世界的体系に成長した。そし てこの「獲物」の分配は、頭のてっぺんから足の先まで武装したニ―三の世界的に強大な略奪者ども(アメリカ、イギリス、日本)のあいだでおこなわれてお り、彼らは自分たちの獲物の分配をめぐる自分たちの戦争に全世界を引きずりこむのである。

★  三

 君主制ドイツによって指図されたブレスト―リトフスクの講和〔3〕と、ついで「民主主義」共和国アメリカとフラ ンスならびに「自由な」イギリスによって指図された、はるかに凶悪で卑劣なヴェルサイユの講和〔4〕とは、たとえ平和主義者とか社会主義者とか自称してい ても、「ウィルソン主義〔5〕」を賛美して、帝国主義のもとで平和と改良が可能であることを証明しようとしてきた、帝国主義のお雇い文筆苦力(クーリー) や反動的な俗物どもの正体をあばきだすことによって、人類にきわめて有益な貢献をした。
戦争――金融的強盗のイギリス・グループとドイツ・グループのどちらが大きな獲物を手に入れるべきか、ということをめぐる戦争――の残した幾千万の死者 と不具者、ついでこれら二つの「平和条約」は、ブルジョアジーによって打ちのめされ、抑圧され、あざむかれ、愚弄されてきた幾百方、幾千万の人々の目を、 かつて見られなかったような速さでひらかせている。こうして、戦争がつくりだした全世界的な荒廃を基盤にして、全世界的な革命的危機が成長しているのだ が、この危機は、どんなに長期にわたる苦難な転変を経過しようとも、プロレタリア革命とその勝利とで終わるほかはありえない。
第二インタナショナル〔6〕のバーゼル宣言〔7〕は、戦争一般ではなく(戦争にもいろいろあり、革命戦争もある)、一九一四年に勃発したまさにあの戦争 の評価を、一九一二年にあたえたものであるが、この宣言は、第二インタナショナルの英雄たちの不名誉きわまる破産、彼らの裏切りをあますところなく暴露す る記念碑として残っている。
だから私はこの宣言を本書の付録に収録して、この宣言のなかで、ほかならぬきたるべきこの戦争とプロレタリア革命との関連について的確に、明白に、率直 に述べてある箇所を、第二インタナショナルの英雄たちが用心ぶかく避けている――ちょうど泥棒が、盗みを働いた場所を避けてとおるように用心ぶかく避けて いる――ことについて、読者の注意をなおもういちど促したい。

★  四

 この小著では、「カウツキー主義」の批判に、すなわち、世界のあらゆる国で、「有数の理論家」である第二インタ ナショナルの指導者たち(オーストリアではオットー・バウアー一派、イギリスではラムゼー・マクドナルドその他、フランスではアルベール・トマ、その他 等々)と、多数の社会主義者、改良主義者、平和主義者、ブルジョア民主主義者、僧侶たちによって代表されている一つの国際的思潮の批判に、特別の注意をは らってある。
この思潮は、一方では第二インタナショナルの崩壊と腐敗の産物であり、他方では、その全生活環境のためブルジョア的および民主主義的偏見にとらわれている小ブルジョアたちのイデオロギーの不可避的な果実である。
カウツキーと彼の同類がいだいているこの種の見解は、この著述家が数十年のあいだ、わけても社会主義的日和見主義者たち(ベルンシュタィン、ミルラン、 ハインドマン、ゴンパース、その他)との闘争のなかで特別に擁護してきた、マルクス主義のまさにあの革命的な原則を、完全に放棄するものである。だから、 「カウツキー主義者」たちがいま全世界で、極端な日和見主義者(第二インタナショナルあるいは黄色インタナショナル〔8〕を通じて)やブルジョア政府(社 会主義者の参加したブルジョア連立内閣を通じて)と実際政治のうえで結合するにいたったのも、偶然ではない。
全世界で成長しつつあるプロレタリア革命運動一般、とくに共産主義運動は、「カウツキー主義」の理論的誤りの分析と暴露をしないですますことはできな い。それは、平和主義や「民主主義」 一般――これらはすこしもマルクス主義たることを僭称してはいないが、しかしカウツキー一派とまったく同じように、帝国主義の諸矛盾の深さと帝国主義の生 みだす革命的危機の不可避性とを塗りかくしている――のような思潮が、全世界でいまなおきわめて強力にひろまっているので、なおさらである。そしてこれら の思潮との闘争は、ブルジョアジーに愚弄されている小経営主と多少とも小ブルジョア的な生活条件におかれている幾百方の勤労者とを、ブルジョアジーから奪 いとらなければならないプロレタリアート党にとって、ぜひともなすべきことである。

★  五

 第八章「資本主義の寄生性と腐朽」について数言述べておく必要がある。本文ですでに指摘してあるとおり、かつて の「マルクス主義者」でいまはカウツキーの戦友であり、また「ドイツ独立社会民主党〔9〕」内のブルジョア的、改良主義的政策の主要な代表者の一人である ヒルファディングは、公然たる平和主義者で改良主義者のイギリス人ホブソンとくらべて、この問題で一歩後退している。労働運動全体の国際的分裂はいまやす でにまったく明るみに出た(第二インタナショナルと第三インタナショナル〔10〕)。二つの潮流のあいだの武装闘争と内戦の事実もまた明るみに出た。ロシ アではボリシェヴィキ〔11〕に反対してメンシェヴィキ〔12〕と「社会革命党〔13〕員」がコルチャックとデニーキンを支持しており、ドイツではスパル タクス団〔14〕に反対してシャイデマン派とノスケ一派がブルジョアジーと手を組んでいる。フィンランド、ポーランド、ハンガリーなどでも同様のことがお こっている。ではこの世界史的な現象の経済的基礎はどこにあるか?
それはまさに、資本主義の最高の歴史的段階すなわち帝国主義に特有な、資本主義の寄生性と腐朽にある。この小者で証明したように、資本主義はいまや、ひ とにぎりの(地球人口の一〇分の一以下の、最も「おおよう」で誇大な計算をしても五分の一以下の)とくに富裕で強力な国家を抜きんでさせたが、これらの国 家は――たんなる「利札切り」によって――全世界を略奪している。資本の輸出は、戦前の価格で戦前のブルジョア統計によっても、年に八〇-一〇〇億フラン の収入をもたらしている。いまでは、もちろん、もっと多い。
このような巨額の超過利潤(というのは、それは資本家が「自」国の労働者からしぼりとる利潤以上に得られるものだから)の一部で、労働者の指導者や上層 の労働貴族を買収しうろことは、理の当然である。そして「先進」諸国の資本家たちはこれら上層の人々を、幾千の直接および間接の、公然および隠然の方法 で、実際に買収している。
このブルジョア化した労働者あるいは「労働貴族」の層は、その生活様式、その稼ぎ高、その全世界観の点でまったく小市民的なものであって、これが第二イ ンタナショナルの主要な支柱であり、そして今日ではブルジョアジーの主要な社会的(軍事的ではないが)支柱である。なぜな
ら、これは労働運動におけるブルジョアジーのまぎれもない手先であり、資本家階級の労働者手代(labor lieutenants of the capitalist class)であり、改良主義と排外主義のまぎれもない先導者だからである。ブルジョアジーとのプロレタリアートの内戦で、彼らは不可避的に、それも少な からぬ数のものが、ブルジョアジーに味方し、「コンミューン派」に反対して「ヴェルサィユ〔15〕派」に味方するのである。
この現象の経済的根源を理解せず、その政治的および社会的意義を評価しないでは、共産主義運動ときたるべき社会革命との実践的課題の解決にむかって一歩もすすむことはできない。
帝国主義はプロレタリアートの社会革命の前夜である。このことは一九一七年以来世界的な規模で確証された。

  一九二〇年七月六日
エヌ・レーニン

 最近の一五―二〇年間、とくにアメリカ=スペイン戦争〔16〕(一八九八年)とボーア戦争〔17〕(一八九九― 一九〇二年)以後、新旧両世界の経済文献ならびに政治文献は、われわれの生活している時代を特徴づけるために「帝国主義」という概念について論じること が、しだいにますます多くなっている。一九〇二年にロンドンとニューヨークで、イギリスの経済学者J・A・ホプソンの著書『帝国主義論』が出版された。こ の著者は、ブルジョア的な社会改良主義と平和主義の見地――これは、本質的には、かつてのマルクス主義者K・カウツキーのいまの立場と同じものだが――に 立ちながらも、帝国主義の基本的な経済的および政治的特質を非常にみごとに詳細に記述している〔18〕。また一九一〇年にはウィーンで、オーストリアのマ ルクス主義者ルドルフ・ヒルファディングの著書『金融資本論』(ロシア語訳、モスクワ、一九一二年)が出版された。この著者は貨幣理論の問題で誤りをおか しているし、またマルクス主義を日和見主義と和解させようとするある程度の傾向をもっているが、それにもかかわらず、この著書は、「資本主義の発展におけ る最新の局面」--ヒルファディングの本の副題はこういっている――のいちじるしく貴重な理論的分析の書である〔19〕。本質的には、帝国主義について近 年いわれてきたこと――とくに、このテーマにかんする無数の雑誌論文や新聞紙上の論文で、またたとえば一九一二年の秋にひらかれたケムニッツとバーゼルの 両大会〔20〕の決議のなかでいわれたこと――は、上述の二人の著者によって説かれた、あるいはより正確にいえば、概括された思想から、ほとんど一歩も出 ていない・・・・。
以下にわれわれは、帝国主義の基本的な経済的諸特質の関連と相互関係とを、できるだけ一般向きな形で手短かに述べてみよう。問題の経済的でない側面に立 ちいることは、それがどんなにやりがいのあることであっても、われわれとしてするわけにはいかない。引用文献やその他の注は、かならずしもすべての読者の 関心をひくものではないので、巻末に追いこんでおく〔21〕。

 

 

★  一 生産の集積〔22〕と独占体〔23〕

 工業の驚くべき成長と、ますます大規模な企業への生産の集中のいちじるしく急速な過程とは、資本主義の最も特徴的な特質の一つである。この過程については、近代の工業センサスがきわめて完全できわめて正確な資料をあたえてくれる。
たとえばドイツでは、工業企業一、〇〇〇につき、大企業、すなわち五〇人以上の賃金労働者を雇っているものは、一八八二年には三つ、一八九五年には六 つ、一九〇七年には九つであった。そしてこれらの大企業に所属する労働者の比重は、労働者一〇〇人につきそれぞれ二二人、三〇人、三七人であった。だが生 産の集積は労働者の集積よりもずっとはげしい。なぜなら、大経営では労働はずっと生産的だからである。このことは、蒸気機関および電動機にかんする資料が しめしている。ドイツで広い意味で工業といわれるものをとれば、すなわち商業や交通その他をふくめていえば、つぎの情景が得られる。全体で三、二六五、六 二三経営のうち大経営は三〇、五八、すなわちわずか〇・九%である。これらの大経営に属する労働者は、一四四〇万人のうち五七〇万人、すなわち三九・ 四%、蒸気機関は八八〇万馬力のうち六六〇万馬力、すなわち七五・三%、電力は一五〇万キロワットのうち一二〇万キロワット、すなわち七七・二%である。
一〇〇分の一たらずの経営が、蒸気力と電力の総数の四分の三以上をもっている! そして企業総数の九一%を占める二九七万の小企業(賃金労働者五人未満の)には、蒸気力と電力の七%しか属さない! 数万の巨大企業がすべてであり、数百万の小企業は無にひとしい。
一、〇〇〇人以上の労働者を雇う経営は、ドイツでは一九〇七年に五八六あった。これらの経営が、労働者総数のほとんど一〇分の一(一三八万人)と、蒸気 力および電力の総量のほとんど三分の一(三二%)をもっている(*)。あとで見るように、貨幣資本と銀行とは、ひとにぎりの巨大企業のこの優越をいっそう 圧倒的なものにする。しかもまったく文字どおり圧倒的にする。すなわち、数百万の中小「経営主」とさらには一部の大「経営主」さえ、実際には、数百の百万 長者金融業者に完全に隷属しているのである。
(*) 数字は、『ドイツ帝国年鑑』、一九一一年、ツァーン、からの摘要。

 現代資本主義のもつ一つの先進国である北アメリカ合衆国では、生産の集積の進展はもっとはげしい。ここでは、統 計は狭義の工業を別に分け、経営を年生産物の価額別に分類している。一九〇四年には、一〇〇万ドル以上の生産額をもつ巨大企業は一、九〇〇 (二一六、一八〇のうち、すなわち〇・九%)で、それらで一四〇万人の労働者(五五〇万人のうち、すなわち二五・六%)と五六億ドルの生産額(一四八億ド ルのうち、すなわち三八%)をもっていた。五年後の一九〇九年には、これに対応する数字はそれぞれつぎのとおりであった。企業数は三、〇六〇(二六八、四 九一のうち――一・一 %)で、それらのもつ労働者数は二〇〇万人(六六〇万人のうち――三〇・五%)、生産額は九〇億ドル(二〇七億ドルのうち――四三・八%)であった (*)。
(*) 『合衆国統計要覧 一九一二年』、二〇二ページ。

 国内の全企業の総生産額のほとんど半分が、企業総数の一〇〇分の一のものの手中にある! そしてこれら三、〇〇 〇の巨大企業は二五八の産業部門にわたっている。ここからして、集積はその一定の発展段階で、おのずから、いわば独占のまぎわまで接近することが明らかで ある。なぜなら、数十の巨大企業にとっては相互のあいだで協定に達するのは容易であり、他方では、まさに企業が大規模であることが競争を困難にし、独占へ の傾向を生みだすからである。競争の独占へのこのような転化は最新の資本主義経済における最も重要な諸現象の一つ――最も重要なものではないとしても―― であって、われわれはこれについてもっと詳しく論じる必要がある。だがはじめに、われわれは生じかねない一つの誤解をかたづけておかなければならない。
アメリカの統計のしめすところによれば、二五〇の産業部門に三、〇〇〇の巨大企業がある。そうすると、あたかも各部門に最大級の規模の企業が一二ずつあることになる。
しかし実際にはそうではない。あらゆる産業部門に大きな企業があるわけではない。また他方では、最高の発展段階に達した資本主義のきわめて重要な特質 は、いわゆるコンビネーション、すなわち、さまざまな工業部門が一つの企業内で結合することである。これらの工業部門は、原料加工の連続した段階をなすこ ともあれば(たとえば、鉄鉱石から銑鉄を精錬し、銑鉄を鋼鉄に精製し、さらにおそらくは、鋼鉄からあれこれの完成品をつくる)、あるいは、ある部門が他の 部門にたいして補助的な役割を演じるという関係にある場合もある(たとえば、廃物または副産物の加工、包装材料の生産、等々)。
ヒルファディングはつぎのように書いている。「・・・・コンビネーションは景気の差異を平均化し、したがって結合企業にとって利潤率をより安定したもの にする。第二に、コンビネーションは商業の排除をもたらす。第三に、それは技術的進歩を可能にし、そのため『純粋』企業(すなわち結合していない企業)に くらべて超過利潤を得させる。第四に、それは、原料価格の下落が製造品価格の下落よりもおくれる強度の不景気(事業の沈滞、恐慌)の時期の競争戦で、『純 粋』企業にくらべて結合した事業の地位を強める(*)」。
(*) 『金融資本論』、ロシア語訳、二八六―二八七ページ〔24〕。

 ドイツのブルジョア経済学者ハイマンは、ドイツの鉄工業における「混合」企業、すなわち結合した企業について記 述した特別の著書を書いたが、そのなかでつぎのように言っている。「純粋企業は、高い原料価格と安い製品価格とのあいだで圧しつぶされて、破滅しつつあ る」。そこでつぎのような情景が得られる。
「一方には、数百万トンの石炭採掘高をもち、石炭シンジケートにかたく組織された大きな石炭会社が残り、そしてこれらの会社には大きな製鋼所とそのシン ジケートが緊密に結びついている。年に四〇万トン(一トンは六〇プード)の鋼鉄を生産し、膨大な量の鉱石や石炭を採掘し、鉄鋼製品を生産し、工場地区の労 働者宿舎に一万人の労働者を住まわせ、ときには自分の鉄道や波止場さえもっているこれらの巨大企業、――これらはドイツの鉄工業の真の典型である。そして 集積はますます進展する。個々の経営はますます大規模になり、同一の産業部門あるいは異なる産業部門のますます多くの経営が結びあって巨大企業になり、こ れらにとってはベルリンの六大銀行が支柱とも指導者ともなっている。ドイツの鉱山業については、集積にかんするカール・マルクスの学説の正しさが的確に証 明されている。たしかに、産業が保護関税と運賃とによって保護されている国については、そうである。ドイツの鉱山業は、収奪されてよいまでに成熟している (*)」。
(*) ハンス・ギデオン・ハイマン『ドイツの大鉄工業における混合企業』、シュトゥットガルト、一九〇四年(二五六、二七八―二七九ページ)。

 例外的に正直な一ブルジョア経済学者はこのような結論に到達せざるをえなかった。だが注意しておくべきことは、 ドイツの工業が高率の保護関税で庇護されているため、彼はドイツをどうやら特別あつかいしていることである。この事情は、集積と、企業家の独占団体すなわ ちカルテルやシンジケート等々の形成とを、促進しえたにすぎない。きわめて重要なことは、自由貿易の国イギリスでも、集積は、すこしおくれて、そしておそ らくは別の形態でではあっても、やはり独占にみちびきつつある、ということである。へルマン・レヴィ教授は『独占、カルテルおよびトラスト』にかんする特 別の研究のなかで、大ブリテンの経済的発展の資料によってまさしくつぎのように書いている。
「大ブリテンでは、まさに企業が大規模であることとその技術水準の高いことが、独占への傾向をひそませている。一方では、集積の結果、企業に巨額の資本 を支出しなければならなくなりそのため新しい企業にとってはますます大きな資本額が必要とされるようになり、したがって新しい企業の出現が困難となる。他 方では(そしてこの点のほうがわれわれはより重要だと考えるのだが)、集積によってつくりだされた巨大企業と同じ水準に立とうとおもう企業はどれも、膨大 な量の生産物を余分に生産しなければならないので、それを有利に売ることは需要が異常に増大した場合にだけできるのであって、そうでない場合には、この余 分の生産物のため、価格は、新しい工場にとっても独占団体にとってもひきあわない水準に下落するようになる」。イギリスでは、企業家の独占団体、すなわち カルテルやトラストが発生するのは――保護関税がカルテル形成を容易にしている他の諸国とは異なり――、多くの場合、競争する主要な企業の数が「二ダース ほど」になるときだけである。「大工業における独占の発生にたいする集積の影響は、ここでは結晶体のような純粋さで現われている(*)」。
(*) へルマン・レヴィ『独占、カルテルおよびトラスト』、イェナ、一九〇九年、二八六、二九〇、二九八ページ。

 いまから半世紀まえにマルクスが『資本論』を書いたころには、自由競争は圧倒的多数の経済学者にとっては「自然 法則」とおもわれていた。マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争は生産の集積を生みだし、そしてこの集積はその一定の発展段階 で独占にみちびくことを証明したが、官学は、このマルクスの著述を黙殺という手段によって葬りさろうとした。だがいまや独占は事実となった。経済学者たち は山なす本を書いて、独占の個々の現われについて記述しながら、あいかわらず口をそろえて、「マルクス主義は論破された」と言いはっている。しかしイギリ スの諺にもいうように、事実は曲げようのないものであって、いやでもおうでもそれを考慮に入れなければならない。事実のしめすところによれば、たとえば保 護貿易か自由貿易かの点での個々の資本主義国のあいだの相違は、独占体の形態あるいはその出現の時期における本質的でない相違をひきおこすだけであって、 生産の集積による独占の発生は、総じて資本主義発展の現段階の一般的で基本的な法則である。
ヨーロッパについては、古い資本主義が新しい資本主義に最終的にとってかわられた時期を、かなり正確にさだめることができる。すなわち、それは二〇世紀の初めである。「独占体の形成」史についての最近の総括的な労作の一つに、つぎのように書いてある。
「資本主義的独占体の個々の事例は、一八六〇年以前の時代からもあげることができる。そしてそれらの事例のなかに、いまではこれほども普通のものになっ ている形態の萌芽を見いだすことができる。しかしこれはすべて、カルテルにとってまったく前史時代である。現代の独占体の真の端緒は、最もはやく見ても一 八六〇年代のことである。そして独占体の最初の大発展期は一八七〇年代の国際的不況からはじまり、一八九〇年代の初めにまでおよんでいる」。「ヨーロッパ にかぎって考察するならば、自由競争の発展の頂点は六〇年代と七〇年代である。その当時イギリスは古い型の資本主義組織の建設を完了した。ドイツではこの 組織は手工業および家内工業と決定的な闘争にはいり、それ自身の存在形態をつくりだしはじめていた」。
「大きな変革は一八七三年の瓦落(がら)から、あるいはより正確にいえば、それにつづく不況からはじまった。この不況は、八〇年代の初めのほとんど目に つかないほどの中断と、一八ハ九年ごろの異常に強力な、しかし短期の活況をともなっただけで、二二年にわたってヨーロッパ経済史を満たしている」。「一八 八九―一八九〇年の短い活況期に、この景気を利用するのにカルテルが大いにもちいられた。無分別な政策のために、物価は、カルテルがなかった場合にあがっ たであろうよりも、もっと急速にもっと激しく高騰した。そしてこれらのカルテルはほとんどすべて不名誉な最期をとげて『瓦落の墓場』にはいってしまった。 それからさらに五年間の事業不振と低物価がつづいたが、産業界で支配した空気はもはや以前と同じではなかった。人々は不況をなにか自明のものとは考えず、 新しい好景気のまえの中休みにすぎないものと見た。
こうしてカルテル運動は第二期にはいった。カルテルはもはや経過的な現象ではなくて、全経済生活の基礎の一つとなった。カルテルは産業部門をつぎつぎ に、なによりも原料産業を征服する。すでに一八九〇年代の初めに、カルテルは、のちに石炭シンジケートが形成されるときの手本となったコークス・シンジ ケートの組織のうちに、今日でも本質的にはそれ以上すすんだものを見ないほどのカルテル化技術をつくりだした。一九世紀末の非常な活況と一九〇〇―一九〇 三年の恐慌とは、少なくとも鉱山業と鉄工業では、はじめてまったくカルテルの標識のもとでおこった。そして当時はこのことはなおなにか新しいものとおもわ れたとしても、経済生活の大部分が原則として自由競争から遠ざけられたということは、いまでは広範な社会意識にとって自明のこととなった(*)。」
(*) フォーゲルシュタィン資本主義工業の金融組織と独占体の形成』――『社会経済学大綱』所収、第六編、テュービンゲン、一九一四年。なお同一著者の『イギリスとアメリカにおける鉄工業と繊維工業の組織形態』、第一巻、ライプツィヒ、一九一〇年、を参照。

 そこで、独占体の歴史を総括するとつぎのとおりである。(一) 一八六〇年代と一八七〇年代――自由競争の最高 の、極限の発展段階。独占体はほとんど目につかないくらいの萌芽にすぎない。(二) 一八七三年の恐慌以後のカルテルの広範な発展の時期。しかしカルテル はまだ例外にすぎない。それはまだ堅固なものではない。それはまだ経過的な現象である。(三) 一九世紀末の活況と一九〇〇―一九〇三年の恐慌。カルテル は全経済生活の基礎の一つとなる。資本主義は帝国主義に転化した。
カルテルは販売条件、支払期限、その他について協定する。それは販路を相互のあいだで分割する。それは生産する生産物の量を決定する。それは価格をきめる。それは個々の企業のあいだに利潤を分配する、等々。
カルテルの数は、ドイツでは一八九六年にはほぼ二五〇、一九〇五年には三八五で、これには約一二、〇〇〇の経営が参加していた、と算定されている (*)。しかしこの数字が過少に見積られていることは、だれでもみとめるところである。さきにあげた一九〇七年のドイツ工業統計の資料からわかるように、 一二、〇〇〇の巨大企業だけでも、確実に、蒸気力と電力の総量の半分以上を集中している。北アメリカ合衆国では、トラストの数は一九〇〇年に一八五、一九 〇七年に二五〇と算定された。アメリカの統計は全工業企業を、個人に属するものと、商会に属するものと、会社に属するものとに区分している。最後の、会社 に属するものは、一九〇四年には企業総数の二三・六%、一九〇九年には二五・九%、すなわち総数の四分の一以上であった。これらの経営で働く労働者の数 は、一九〇四年には総数の七〇・六%、一九〇九年には七五・六%、すなわち総数の四分の三であった。また生産額は一〇九億ドルと一六三億ドル、すなわち総 生産額の七三・七%と七九・〇%であった。
(*) リーサー博士『ドイツの大銀行、ドイツの全体経済の発展との関連におけるその集積』、第四版、一九一二年、一四九ページ。――R・リーフマン『カルテルとトラストおよび国民経済組織の発展』、第二版、一九一〇年、二五ページ。

 カルテルやトラストの手に、ある産業部門の全生産高の七―八割が集中されていることも、まれではない。ライン= ヴェストファーレン石炭シンジケートは、一八九三年に創立されたときにはこの地方の石炭の全生産高の八六・七%を、そして一九一〇年にはもはや九五・四% を集積していた(*)。こうしてつくりだされた独占は巨額の所得を保障し、巨大な規模の技術=生産単位の形成にみちびく。合衆国の有名な石油トラストの (Standard Oil Company)は一九〇〇年に創立された。「その資本金は一億五〇〇〇万ドルであった。一億ドルの普通株と一億〇六〇〇万ドルの優先株が発行された。そ して後者には、一九〇〇―一九〇七年のあいだに四八%、四八%、四五%、四四%、三六%、四〇%、四〇%、四〇%の配当が、全部で三億六七〇〇万ドルの配 当が支払われた。一八八二年から一九〇七年までに得られた純益は八億八九〇〇万ドルで、そのうち六億〇六〇〇万ドルが配当として支払われ、残りは積立金に 繰りいれられた(**)」。「鉄鋼トラス(United States Steel Corporation)の全企業には、一九〇七年に二一〇、一八〇人を下らない労働者と職員がいた。ドイツ鉱山業の最大の企業、ゲルゼンキルヘン鉱山会 社(Gelsenkirchner Bergwerkgesellshaft)には、一九〇八年に四六、〇四八人の労働者と職員がいた(***)」。すでに一九〇二年に、右の鉄鋼トラストは 九〇〇万トンの鉄鋼を生産していた(****)。その鉄鋼生産高は、一九〇一年には合衆国の鉄鋼総生産高の六六・三%、一九〇八年には五六・一%を占めて おり(+)、採鉱高では同じ年にそれぞれ四三・九%と四六・三%を占めていた。
(*) フリッツ・ケストナー博士『組織強制。カルテルとアウトサイダーとの闘争の研究』、ベルリン、一九一二年、一一ページ。
(**) R・リーフマン『参与会社と融資会社。現代資本主義と証券制度との一研究』、第一版、ィェナ、一九〇九年、二一二ページ。
(***) 前掲書、二一八ページ。
(****) S・チールシュキー博士『カルテルとトラスト』、ゲッティンゲン、一九〇三年、一三ページ。
(+) Th・フォーゲルシュタィン『組織形態』、二七五ページ。

 アメリカ政府トラスト委員会の報告書はつぎのように言っている。「競争者にたいするトラストの優位は、その経営 の大規模なことと技術装備の優秀なことにもとづいている。タバコ・トラストは、創立の当初から、手労働を広範囲に機械労働にとりかえるためにあらゆる努力 をはらった。トラストはこの目的のために、タバコの製造になにかの関係のあるすべての特許を買いしめ、このために巨額の支出をした。多くの特許がはじめは 役にたたないものであって、トラストに雇われている技師がそれに手をくわえなければならなかった。一九〇六年の末に、特許の買占めだけを目的とした二つの 子会社がつくられた。また同じ目的のために、トラストは、自分の鋳物工場、機械工場、修理工場を設立した。ブルックリンにあるこの種の工場の一つは平均三 〇〇人の労働者を雇っており、ここで巻タバコ、小型葉巻、嗅ぎタバコ、包装用錫箔、箱、その他の生産のための種々の発明の試験がおこなわれ、同じくここで 発明が改善されている(*)」。「その他のトラストも、いわゆる developping engineers(技術発展のための技師)を雇っているが、彼らの任務は、新しい生産方法を発明し、技術の改善を試験することにある。鉄鋼トラストはそ の技師と労働者に、技術を高めるか生産費を引き下げるかしうる発明にたいして高額の賞金をあたえている(**)」。

 (*) タバコ工業にかんする諸会社委託委員会報告書、ワシントン、一九〇九年、二六六ページ。――パウル・ターフェル博士『北アメリカのトラストと、技術の進歩にたいするその影響』、シュトゥットガルト、一九一三年、四八ページから引用。
(**) 前掲書、四九ページ参照。

 ドイツの大工場でも、たとえば最近数十年間に長足の発展をとげた化学工場でも、技術改善の仕事が同じように組織 されている。生産の集積過程によって、すでに一九〇八年までに、この産業では二つの主要な「グループ」がつくりだされ、それらはそれぞれの仕方でやはり独 占に近づいていった。はじめ、これらのグループは、それぞれ二〇〇〇万―ニ一〇〇万マルクの資本をもつ二組の巨大工場の「二社連合」であった。すなわち、 一方は、以前のマイスター会社だったへヒストの一工場とフランクフルト・アム・マインのカッセラ会社で、他方は、ルードヴィヒスハーフェンのアニリン= ソーダ工場とエルバーフェルドの旧バイエル会社である。その後、一九〇五年には一方のグループが、一九〇八年にはもう一つのグループが、それぞれもう一つ の大きな工場と協定をむすんだ。こうして、それぞれ四〇〇〇万―五〇〇〇万マルクの資本をもつ二つの「三社連合」ができあがり、そしてこれらの「連合」の あいだにすでに「接近」や、価格「協定」等々がはじまっている(*)。
(*) リーサー、前掲書、第三版、五四七ページ以下。新聞は(一九一六年六月)、ドイツの化学工業を統合する新しい巨大なトラストについて報道している。

 競争は独占に転化する。その結果、生産の社会化がいちじるしく前進する。とくに、技術上の発明と改善の過程が社会化される。
これはもはや、分散していて、おたがいのことはなにも知らずに、未知の市場で販売するために生産する経営主たちの昔の自由競争とは、まったく別のもので ある。集積は非常にすすんで、一国のすべての原料資源(たとえば、鉄鉱石の埋蔵量)だけでなく、あとで見るように、数ヵ国の、さらには全世界の原料資源の 概算さえできるほどになった。そしてただにこのような計算がおこなわれるだけでなく、これらの資源が巨大な独占団体によって一手に掌握されてゆきつつあ る。市場の大きさの概算がおこなわれ、その市場をこれらの団体は協定によって相互のあいだで「分割」する。熟練労働力は独占され、優秀な技術者は雇いきら れ、交通路と交通手段――アメリカの鉄道、ヨーロッパとアメリカの汽船会社――はおさえられる。資本主義はその帝国主義段階で、生産の最も全面的な社会化 のまぎわまで接近する。それは資本家たちを、彼らの意志と意識とに反して、競争の完全な自由から完全な社会化への過渡の、ある新しい社会秩序に、いわば引 きずりこむ。
生産は社会的となるが、取得は依然として私的である。社会的生産手段は依然として少数の人々の私的所有である。形式的にみとめられる自由競争の一般的な 枠は、依然として残っている。そして少数の独占者たちの残りの住民にたいする抑圧は、いままでの一〇〇倍も重く、きびしく、耐えがたいものとなる。
ドイツの経済学者ケストナーは、「カルテルとアウトサイダー(すなわち、カルテルに加入していない企業家)とのあいだの闘争」について特別の著書を書い た。彼はこの著書に『組織強制』という標題をつけた。もっとも、資本主義を美化しようとするのでなければ、もちろん、独占者の団体への服従の強制というべ きであっただろう。「組織」のための現代の、最新の、文明的な闘争で、独占者の団体がもちいている手段の一覧表をちょっと見てみるだけでも、教えられると ころが多い。すなわち、(一) 原料の剥奪〔26〕(・・・・「カルテルへの加入を強制するための最も重要な方法の一つ」)、(二) 「盟約」による(す なわち、労働者はカルテル企業でのみ労働に従事するという、資本家と労働団体との協定による)労働力の剥奪、(三) 輸送の剥奪、(四) 販路の剥奪、 (五) カルテルとだけ商取引をするという、購買者との協定、(六) 計画的な価格切下げ(「アウトサイダー」、すなわち、独占者に服従しない企業を破滅 させるために。一定の期間原価以下で売るために、幾百万が支出される。ベンジン工業では、価格が四〇マルクから二二マルクに、すなわちほとんど半分に引き 下げられた例があった!)、(七) 信用の剥奪、(八)ボイコット宣言。
ここに見られるのはもはや、小企業と大企業との、技術的におくれた企業と技術的にすすんだ企業との競争戦ではない。ここに見られるのは、独占に、その抑 圧に、その専横に服従しない者が、独占者によって絞め殺されるという事実である。この過程はブルジョア経済学者の意識にはつぎのように反映する。
ケストナーは書いている。「純粋に経済的な活動の分野においてさえ、従来の意味の商業活動から組織者的=投機的活動への一定の推移がおこっている。最大 の成功をおさめるのは、その技術上および商業上の経験にもとづいて顧客の欲望をだれよりもよく判定でき、潜在状態にある需要を発見して、それをいわば『明 るみに出す』ことのできる商人ではなくて、組織的発展および個々の企業と銀行との一定の結びつきの可能性を予測できるか、少なくとも予感できる、投機の天 才(?!)である」・・・・。
普通の人間のことばに翻訳すると、これはつぎのような意味である。すなわち、商品生産は従来どおり「支配」しており、経済全体の基礎と考えられていると はいえ、実際にはそれはすでにそこなわれ、主要な利潤は金融的術策の「天才」の手に帰するような状態にまで、資本主義の発展がすすんだ、と。これらの術策 と詐欺の基礎には生産の社会化がある。しかしこのような社会化にまでこぎつけた人類の巨大な進歩が・・・・投機者を利することとなっているのである。われ われはあとで、資本主義的帝国主義にたいする小市民的な反動的批判が、「このことを基礎にして」どのように「自由な」、「平和な」、「公正な」競争への復 帰を夢みているかを見るであろう。
ケストナーは言っている。「カルテルが形成された結果としての価格の持続的な高騰は、いままでは重要な生産手段について、とくに石炭、鉄、カリについて のみ見られたことであって、逆に完成品についてはけっして見られなかった。これと関連して、収益性の向上も同様に、生産手段を生産する工業にかぎられてい た。この観察はさらにつぎのことで補足されなければならない。すなわち、原料(半製品ではなく)をつくる工業は、カルテルの形成のおかげで、半製品を再加 工する工業を犠牲にして、高利潤という形で利益を引きだすだけでなく、この加工工業にたいして、自由競争のもとではなかった一定の支配関係に立つにいたっ たのである(*)」。
(*) ケストナー、前掲書、二五四ページ。

 われわれが傍点をうったことばこそ、ブルジョア経済学者がいやいやながら、しかもまれに承認するだけの、そし て、K・カウツキーを先頭とする現代の日和見主義擁護者たちがいとも熱心に言いのがれをし拒否しようとつとめている、事態の本質をしめしている。支配関係 およびそれと関連する強制関係、――これこそ、「資本主義の発展における最新の局面」にとって典型的なことであり、これこそ、万能の経済的独占体の形成か ら不可避的に生じなければならなかったことであり、実際にも生じたことである。
カルテルのふるまいの例をもう一つあげよう。原料資源のすべて、あるいはその主要な部分をその手ににぎることができるところでは、カルテルの発生と独占 体の形成はとくに容易である。しかし、原料資源の掌握が不可能な他の産業部門では独占体は発生しないと考えたら、それは誤りである。セメント工業では原料 はどこにもある。しかしこの工業も、ドイツでは強度にカルテル化されている。工場は地域別シンジケートに、すなわち南ドイツ・シンジケート、ライン=ヴェ ストファーレン・シンジケート、等々に統合された。価格は独占的な価格が設定されており、一車両あたりの原価は一八〇マルクなのに、価格は二三〇―二ハ〇 マルクである! 企業は一二―一六%の配当をしている。しかも、現代の投機の「天才」たちは、配当として分配されるもののほかに多額の利得を自分のポケッ トに入れるすべを心得ているということを、忘れてはならない。これほども利益の多い産業から競争を除去するために、独占者たちは奸計すらもちいる。たとえ ば、この産業の状態は悪いという虚偽の噂が撒きちらされ、新聞紙上には、「資本家諸君! セメントエ業に資本を投ずるのを警戒せよ」という匿名の広告が掲 載される。そして最後に、「アウトサイダー」(すなわち、シンジケートに加入していないもの)の施設を買収し、彼らに六八―一五万マルクの「弁償金」が支 払われる(*)。独占体は、「控えめな」弁償金支払から、競争相手にたいするダイナマイトの「使用」というアメリカ式のものにいたるまでのあらゆる方法 で、いたるところで自分の進路を切りひらくのである。
(*) L・エシュヴェーゲ『セメント』――『バンク〔27〕』、一九〇九年、第一号、一一五ページ以下。

 カルテルによって恐慌を除去するということは、なにがなんでも資本主義を美化しようとするブルジョア経済学者た ちのおとぎ話である。事態はまさに反対で、いくつかの産業部門で形成されている独占は、総体としての全資本主義的生産に固有の混沌状態を強め、激化させて いる。資本主義一般にとって特徴的な、農業と工業との発展の不均衡は、ますますひどくなる。最もカルテル化されているいわゆる重工業、とくに石炭と鉄のお かれている特権的地位は、その他の産業部門での「計画性のますますはなはだしい欠如」にみちびくのであって、このことは、「ドイツの大銀行の工業にたいす る関係」についてのすぐれた労作の一つの著者であるヤイデルスがみとめているとおりである。
(*) ヤイデルス『ドイツの大銀行の工業にたいする関係、とくに鉄工業について』、ライプツイヒ、一九〇五年、二七一ページ〔28〕。

 あつかましい資本主義擁護者リーフマンはつぎのように書いている。「国民経済が発展すればするほど、それは「よ り危険な企業か外国の企業に、その発展に長い期間が必要な企業に、あるいはまた地方的な意義しかもたない企業に、ますますむかうようになる(*)」。危険 の増大は結局は資本の非常な増大と関連するのであって、資本は、いわば縁(ふち)からあふれるように外国その他に流れでてゆく。しかもそれと同時に、技術 のとくに急速な発達は、国民経済の種々の側面のあいだの不均衡、混沌状態、恐慌の諸要素をますます多くもたらす。そこでこの同じリーフマンはつぎのことを 承認するのをよぎなくされる。「おそらく、人類はそう遠くない将来に、ふたたび技術面での大変革に当面し、その大変革は国民経済組織にも影響をおよぼすで あろう」・・・・。電気、航空・・・・。「こういう根本的な経済的変動の時代には、普通、激しい投機が発展するのが通例である」・・・・。
(*) リーフマン『参与会社と融資会社』、四三四ページ。
(**) 前掲書、四六五―四六六ページ。

 だが恐慌は――あらゆる種類の恐慌のこと、経済恐慌が最も多いが、たんに経済恐慌にかぎらない――、それはそれ で、集積と独占への傾向を大いに強める。一九〇〇年の恐慌の意義についてのヤイデルスのきわめて教訓的な考察を、つぎに引用しよう。この恐慌は、われわれ が知っているように、最近の独占体の歴史で転換点の役割を演じたものである。
「一九〇〇年の恐慌のころには、主要産業部門には、巨大企業とならんで、今日の概念からすれば時代おくれの組織をもった『純粋』企業」(すなわち、結合 していないもの)「がまだたくさんあったが、これらは好景気の波に乗って頭をもたげたものであった。しかし物価の低落と需要の減退のため、これらの『純 粋』企業は苦境におちいった。このような苦境は、合同した巨大企業には全然かかわりがなかったか、ごく短期間問題になったにすぎない。その結果、一九〇〇 年の恐慌は、一八七三年の恐慌とは比べものにならないほどいちじるしく産業の集中をもたらした。一八七三年の恐慌も優秀な企業のある程度の淘汰をおこない はしたが、この淘汰も、当時の技術水準のもとでは、恐慌から首尾よく脱出できた諸企業の独占をもたらすことはできなかった。だがまさしくそういう永続的な 独占を、今日の製鉄業と電機産業の巨大企業は、それらの非常に複雑な技術と、大いにすすんだ組織と、その資本力とのおかげで、いちじるしくもっており、ま たそれほどではないが、機械製作業や、金属工業のある部門や、運輸業その他の企業も、もっている」。
(*) ヤイデルス、一〇八ページ。

 独占――これこそ「資本主義の発展における最新の局面」の最後のことばである。しかし現代の独占体の実際の力と意義についてのわれわれの観念は、もし銀行の役割を考慮に入れなければ、きわめて不十分な、不完全な、過小なものであろう。

 

 

★  二 銀行とその新しい役割

 銀行の基本的で本来的な業務は支払の仲介である。これと関連して、銀行は遊休貨幣資本を稼働資本に、すなわち利潤をもたらす資本に転化させ、ありとあらゆる貨幣所得をかきあつめて、それを資本家階級の処理にゆだねる。
銀行業が発展しそれが少数の銀行に集積されるにつれて、銀行は仲介者という控えめの役割から成長して、あらゆる資本家と小経営主のほとんどすべての貨幣 資本と、さらにはその国や幾多の国々の生産手段と原料資源の大部分を意のままにする、全能の独占者に転化する。多数の控えめな仲介者からひとにぎりの独占 者へのこの転化は、資本主義の資本主義的帝国主義への成長転化の基本的過程の一つをなしている。だからわれわれはまず最初に、銀行業の集積について論じな ければならない。
一九〇七/〇八年には、一〇〇万マルク以上の資本をもつドイツのすべての株式銀行の預金額は七〇億マルクであったが、一九一二―一三年にはそれはすでに 九八億マルクになった。五年間に四〇%の増加であるが、しかもこの二八億マルクのうち二七億五〇〇〇万マルクは、一〇〇〇万マルク以上の資本をもつ五七銀 行のものである。大銀行と小銀行とのあいだの預金の分布はつぎのとおりであった。〔第1表〔29〕を参照〕
(*) アルフレード・ランスブルグ『ドイツ銀行業の五ヵ年』――『バンク』、一九一三年、第八号、七二八ページ。

〔第1表〕 預金総額中のパーセント
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・ベルリンの・資本金 1000 万・資本金 100― ・小銀行
・9大銀行 ・マルク以上のそ・1000 万マルク ・(資本金100万マ
・     ・の他の 48 銀行・の 115 銀行  ・ ルク未満)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1907/08年・  47%  ・  32.5%  ・  16.5%  ・   4%
1912/13年・  48%  ・  36 %  ・  12 %  ・   3%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 小銀行は大銀行によって駆逐され、大銀行のうちの九つだけで預金総額のほとんど半分を集積している。しかもここでは、たとえば多数の小銀行が大銀行の事実上の支店に転化している等々の非常に多くのことが、なお考慮されていないのである。このことについてはあとで述べる。
シュルツェ―ゲーヴァニッツは、一九一三年末にベルリンの九大銀行のもつ預金額を、総預金額約一〇〇億マルクのうち五一億マルクと算定した〔30〕。こ の同じ著者は、預金額だけでなく全銀行資本を考慮に入れて、つぎのように書いた。「一九○九年末には、ベルリンの九大銀行は、その系列下にある諸銀行とあ わせて、一一三億マルクを、すなわち、ドイツの銀行資本総額のほぼ八三%を支配していた。『ドイッチェ・バンク』(Deutsche Bank)は、その系列下にある諸銀行とあわせて約三〇億マルクを支配しており、プロイセン国有鉄道金庫とならんで、旧世界における最大の、しかも高度に 地方分散的な、資本の集合体である(*)」。
(*) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『ドイツの信用銀行』――『社会経済学大綱』所収、テュービンゲン、一九一五年、一二および一三七ページ。

 われわれは「系列下にある」銀行というところを強調しておいた。なぜなら、それは最近の資本主義的集積の最も重 要なきわだった特質の一つだからである。大企業は、とくに大銀行は、小企業を直接に吸収するだけでなく、小企業の資本への「参与」により、株式の買占めあ るいは交換により、債務関係の体系、その他等々によって、小企業を「系列化し」、それらを従属させ、「自分の」グループに、自分の「コンツェルン」――術 語でいえば――に包含する。リーフマン教授は、現代の「参与会社と融資会社(*)」の記述に五〇〇ページもある膨大な「労作」をあてた――もっとも、残念 なことには、これは、しばしば消化されていない素材に、きわめて粗末「理論的」考察をつけくわえたものなのだが〔31〕。この「参与」制度が集積という点 でどのような結果にみちびくかは、ドイツの大銀行にかんする銀行「実務家」リーサ-の著作のなかで、最もよくしめされている〔32〕。しかし彼の資料にう つるまえに、「参与」制度の具体的な一例をあげよう。
(*) R・リーフマン『参与会社と融資会社。現代資本主義と証券制度の研究』、第一版、イェナ、一九〇九年、二一二ページ。

 「ドイッチェ・バンク」の「グループ」は、大銀行のあらゆるグループのうち、最大のものではないとしても、最大 級のものの一つである。このグループのすべての銀行をいっしょに結びつけている主要な糸を確かめるためには、第一次と第二次と第三次の「参与」を、あるい は同じことだが、第一次と第二次と第三次の従属(「ドイッチェ・バンク」にたいするより小さな銀行の)を、区別しなければならない。そうするとつぎのよう な情景が得られる(*)。〔第2表を参照〕
(*) アルフレード・ランスブルグ『ドイツ銀行業における参与制度』――『バンク』、一九一〇年、第一号、五〇〇ページ。

〔第2表〕 「ドイッチェ・バンク」の参与

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・第1次従属・ 第2次従属 ・ 第3次従属
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
恒常的 ・ 17銀行へ ・このうち9銀・このうち4銀
・     ・行は34銀行へ・行は7銀行へ
・     ・      ・
不定期 ・ 5銀行へ ・  ――  ・  ――
・     ・      ・
随時  ・ 8銀行へ ・このうち5銀・このうち2銀
・     ・行は14銀行へ・行は2銀行へ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
総計  ・ 30銀行へ ・このうち14銀・このうち6銀
・     ・行は48銀行へ・行は9銀行へ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ドィッチェ・バンク」に「随時」従属する「第一次従属」の八銀行のうちには、三つの外国銀行がはいっている。 一つはオーストリアの銀行(ウィーンの「銀行連合」――《Bankverein》で、二つはロシアの銀行(シベリア商業銀行とロシア外国貿易銀行)であ る。「ドイッチェ・バンク」のグループには、全部で八七銀行が、直接にか間接にか、また全部的にか部分的にか、はいっており、そしてこのグループの支配す る資本総額は、自己資本と他人資本をあわせて、二〇億―三〇億マルクと算定される。
このようなグループの先頭に立ち、そして、国債のようなとくに大規模で有利な金融業務のために、自分よりわずかにおとるだけの半ダースほどの他の銀行と 協定をむすんでいるような銀行が、すでに「仲介者」の役割から成長して、ひとにぎりの独占者の連合体に転化したことは、明らかである。
まさに一九世紀末から二〇世紀初めにかけてドイツにおける銀行業の集積がどれほど急速にすすんだかは、つぎに簡略にしてかかげるリーサーの資料からわかる。〔第3表を参照〕

〔第3表〕 ベルリンの6大銀行の所有する営業所
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
年次  ・ドイツ国内・貯蓄金庫と・ドイツの株式銀行・営業所
・ の支点 ・外貨両替所・への恒常的参与 ・総数
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1895年・   16  ・   14  ・    1   ・ 42
1900年・   21  ・   40  ・    8   ・ 80
1911年・  104  ・  276  ・    63   ・ 450
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 われわれは、全国をおおい、すべての資本と貨幣所得を集中し、幾千幾万の分散経営を単一の全国民的な資本主義経 済に、ついで全世界的な資本主義経済に転化させる、細かな運河の網の目が、どんなに急速に成長しつつあるかを見る。さきに引用した文章のなかでシュルツェ ―ゲーヴァニッツが現代のブルジョア経済学を代表して語ったあの「地方分散化」というのは、実際には、かつては比較的「自立的」だった、あるいはより正確 にいえば、局地的に(地方的に)閉鎖的だった経営単位が、ますます多く単一の中心に従属することにある。つまり、これは実際には集中であり〔33〕、独占 的巨大企業の役割と意義と威力の増大である。
より古い資本主義諸国では、この「銀行網」はもっと目が細かい。アイルランドをふくむイギリスでは、一九一〇年にすべての銀行の支店の数は七、一五一で あった。そして四つの大銀行がそれぞれ四〇〇以上の(四四七から六八九の)支店をもっており、さらに四つの銀行が二〇〇以上の、一一の銀行が一〇〇以上の 支店をもっていた。
フランスでは三つの巨大銀行「クレディ・リヨネ」、「コントワール・ナシォナール」、「ソシエテ・ジェネラール」が、つぎのように自分たちの業務と支店網を繰りひろげていた(*)。〔第4表を参照〕
(*) オイゲン・カウフマン『フランスの銀行業』、テュービンゲン、一九一一年、三五六および三六二ページ。

〔第4表〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・   支店と出張所の数   ・資本額(100万フラン)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・地方所在・パリ所在・ 総数 ・自己資本・他人資本
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1870年・   47 ・   17 ・  64 ・  200 ・  427
1890年・  192 ・   66 ・ 258 ・  265 ・ 1,245
1909年・ 1,033 ・  196 ・1,229 ・  887 ・ 4,363
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 現代の大銀行の「結びつき」を特徴づけるのに、リーサーは、ドイツならびに全世界における巨大銀行の一つである 「ディスコント―ゲゼルシャフト」(《Disconto-Gesellschaft》)(その資本は一九一四年には三億マルクに達した)の発送および受領 した文書の数についての資料をあげている。〔第5表を参照〕

〔第5表〕 発受した文書の数
・・・・・・・・・・・・・
・ 受領 ・ 発送
・・・・・・・・・・・・・
1852年・  6,135・  6,292
1870年・ 85,800・ 87,513
1900年・ 533,102・ 626,043
・・・・・・・・・・・・・

 パリの大銀行「クレディ・リヨネ」では、口座の数は一八七五年のニ八、五三五から一九一二年には六三三、五三九に増加した(*)。
(*) ジャン・レスキュール『フランスにおける貯蓄』、パリ、一九一四年、五二ページ。

 これらの簡単な数字は、おそらく、長たらしい議論よりももっと明瞭に、銀行の資本の集積および取引高の増加とと もに銀行の意義が根本から変化することをしめしている。ばらばらな資本家たちから一人の集団的資本家が形成される。幾人かの資本家に当座勘定をひらくと き、銀行はあたかも純粋に技術的な、もっぱら補助的な業務を遂行するかのようである。しかしこの業務が巨大な規模に成長すると、ひとにぎりの独占者たちが 全資本主義社会の商工業業務を自己に従属させるようになる。彼らは――銀行取引関係を通じ、当座勘定その他の金融業務を通じて――、はじめは個々の資本家 の事業の状態を正確に知ることができるようになり、のちには彼らを統制し、信用を拡げたり狭めたり、信用を緩和したり引き締めたりすることによって彼らに 影響をおよぼすことができるようになり、そして最後には、彼らの運命を完全に決定し、彼らの収益性を決定し、彼らから資本を引きあげたり彼らの資本を急速 かつ大規模に増加させる可能性をあたえたり、等々のことをすることができるようになる。
われわれはいま、ベルリンの「ディスコント―ゲゼルシャフト」の資本が三億マルクであると述べた。「ディスコント―ゲゼルシャフト」が資本をこのように ふやしたのは、ベルリンの巨大銀行のうちの二つ「ドィッチェ・バンク」と「ディスコント―ゲゼルシャフト」とのあいだの、ヘゲモニー争いのエピソードの一 つであった。一八七〇年には前者はまだ新参者で、わずか一五〇〇万マルクの資本しかもたなかったが、後者は三〇〇〇万マルクをもっていた。ところが一九〇 八年には、前者は二億マルクの、後者は一億七〇〇〇万マルクの資本をもっていた。一九一四年には前者は資本を二億五〇〇〇万マルクにふやし、後者は、他の 第一級の大銀行「シャフハウゼン・バンクフェライン」との合同によって、三億マルクにふやした。そしていうまでもなく、このヘゲモニー争いは、両銀行の 「協定」がますます頻繁になり、ますます恒久的なものになってゆくのと並行しておこなわれた。この発展の歩みは、すこぶる穏健で実直なブルジョア改良主義 の限界をいささかでも越えることのない見地から経済問題を見る銀行業の専門家たちに、つぎのような結論をいやおうなく引きださせている。
ドイツの雑誌『バンク』は、「ディスコント―ゲゼルシャフト」の資本が三億マルクに増加したことについて、つぎのように書いた。「他の銀行もこれと同じ 道を追うであろう。そして、いまドイツを経済的に統治している三〇〇人のうち、ときとともに五〇人、二五人、あるいはもっと少ない人しか残らないであろ う。最近の集積の動きが銀行業だけにかぎられるとは、期待できない。個々の銀行のあいだの緊密な結びつきは、当然また、これらの銀行の庇護する産業家のシ ンジケートのあいだの接近をもたらす。・・・・そしてある日われわれが目をさましてよく見ると、驚いたことに、われわれのまわりはトラストばかりになって いる。そしてわれわれにとっては、私的独占を国家的独占によっておきかえる必要がおこっているだろう。しかもわれわれは本質的には、株式制度によってすこ しはやめはしたが、事物の発展を自由にすすむにまかせたという以外に、自責すべき点はなにもないのである」。
(*) ランスブルグ『三億をもつ銀行』――『バンク』、一九一四年、第一号、四二六ページ。

 これこそ、ブルジョア的評論の無能の見本である。これとブルジョア科学との違いは、後者のほうが誠実さが少なく て、事態の本質を塗りかくし木を見せて森を見せまいと努力するということだけである。集積の結果に「びっくりし」、資本主義的ドイツの政府あるいは資本主 義「社会」(「自分自身」)を「非難し」、また、株式制度の採用からくる集積の「促進」を懸念しながら、「カルテルにかんする」ドイツの一専門家チール シュキーのように、アメリカのトラストをおそれ、また、ドイツのカルテルは「トラストほど法外に技術的進歩と経済的進歩を促進する(*)」能力はないとい う理由で、ドイツのカルテルのほうを「まだましだ」とすること、――これは無能でなくてなんであろうか?
(*) チールシュキー、前掲書、一二八ページ。

 しかし事実はあくまで事実である。ドイツにはトラストはなく、あるのはカルテル「だけ」であるが、しかしドイツ を支配しているのは三〇〇人たらずの資本の巨頭である。しかもその数はたえず減少している。いずれにせよ銀行は、すべての資本主義国で、銀行立法にいろい ろ相違があるにもかかわらず、資本の集積と独占体の形成との過程を何倍にも強め、促進するのである。
「銀行は、社会的規模において、一般的簿記と生産手段の一般的配分との形態を、しかしまさに形態だけを、つくりだす」、――マルクスは半世紀まえに『資 本論』のなかでこう書いた(ロシア語訳、第三巻、第二冊、一四四ページ〔34〕)。さきにあげた銀行資本の増加、巨大銀行の支店と出張所の数の増大、それ らの口座の増大その他にかんする資料は、全資本家階級のこの「一般的簿記」を具体的にわれわれにしめしている。いや、資本家のだけでない。なぜなら銀行 は、一時的とはいえ、小経営主や勤め人やごく少数の上層労働者などのありとあらゆる貨幣所得をかきあつめるからである。「生産手段の一般的配分」――これ こそ、形式的側面からすれば、幾十億という金(かね)を自由にしている現代の銀行――このなかには三つないし六つのフランスの巨大銀行や、七つか八つのド イツの巨大銀行がある――から成長しつつあるものである。しかしその内容からすれば、生産手段のこの配分は「一般的」〔共同的〕ではなくて私的であり、す なわち、巨大資本の――それもなによりも最大級の、独占的資本の--利益に合致するものであって、この資本は、住民大衆が食うや食わずで暮らしており、ま た農業が工業の発展から絶望的に立ちおくれており、さらに工業では「重工業」が他のすべての工業部門から貢物を取りたてているというような条件のもとで、 行動しているのである。
資本主義経済の社会化という仕事で、貯蓄金庫と郵便局が銀行と競争しはじめている。これらは銀行よりも「地方分散化」しており、すなわち、より多くの地 方、より多くの僻地、より広い住民層をその勢力圏にとらえている。つぎにかかげるのは、銀行預金と貯蓄金庫預金との増加の比較の問題について、アメリカの 一委員会がまとめた資料である(*)。〔第6表を参照〕
(*) アメリカ国家貨幣委員会の資料、『バンク』、一九一〇年、第二号、一二〇〇ページ。

 貯蓄金庫は預金にたいして四%とか四・二五%とかいう利子を支払うので、その資本の「有利な」投下場所をさが し、手形業務、抵当貸付業務その他の業務に乗りださなくてはならない。銀行と貯蓄金庫との境界は「しだいに消滅しつつある」。たとえばボーフムやエルフル トの商業会議所は、貯蓄金庫が手形割引のような「純粋の」銀行業務を営むのを「禁止する」ことを要求し、また郵便局の「銀行」活動を制限することを要求し ている(*)。銀行の有力者たちは、予期しない方向から国家的独占が彼らに忍びよってくるのではないかとおそれているかのようである。しかし、いうまでも なく、その危惧は、いってみれば同一官庁内の二人の課長の競争以上のものではない。なぜなら、一方からすれば、貯蓄金庫の幾十億の資本を実際に自由にする のは、結局は、銀行資本のあの同じ巨頭たちだからであり、他方からすれば、資本主義社会における国家的独占は、あれこれの産業部門の破産に瀕している百万 長者のために、所得を高めたり確実にしたりする手段にすぎないからである。
(*) アメリカ国家貨幣委員会の資料、――『バンク』、一九一三年、八一一、一〇二二ページ、一九一四年、七一三ページ。

 自由競争の支配する古い資本主義に、独占の支配する新しい資本主義がとってかわったことは、一つには、取引所の 意義が低下したことのうちに現われている。雑誌『バンク』はこう書いている。「取引所はかつて、銀行が発行される有価証券の大部分をその顧客に売りさばく ことがまだできなかったころには、欠くことのできない取引仲介者であったが、しかしそれはもうだいぶ以前からそういうものでなくなった(*)」。
(*) 『バンク』、一九一四年、第一号、三一六ページ。

 「『どの銀行もみな取引所だ』――この現代の格言は、銀行が大きくなればなるほど、また銀行業における集積が進 展すればするほど、ますます真実をふくんでくる(*)」。「かつて七〇年代には、若気の行きすぎをした取引所は」(これは、一八七三年の取引所瓦落 〔35〕、創業スキャンダルその他を「それとなく」さしたものである)「ドイツの工業化の時代をひらいたが、今日では銀行と工業は『ひとりだちでやってゆ く』ことができる。取引所にたいするわが国の大銀行の支配は・・・・完全に組織されたドイツ工業国家の表現にほかならない。もしこのように、自動的に作用 する経済法則の作用する領域がせばめられ、銀行による意識的統制の領域が異常に拡大されるなら、それとともに、少数の指導者の国民経済上の責任はおそろし く増大する」。こう書いているのは、ドイツ帝国主義の弁護者で、すべての国の帝国主義者にとっての権威であるドイツの教授、シュルツェ―ゲーヴァニッツで あるが(**)、彼は「些細なこと」を、すなわち、銀行によるこの「意識的統制」というのは「完全に組織された」ひとにぎりの独占者たちによる民衆の略奪 であることを、塗りかくそうとつとめている。ブルジョア教授の任務は、全機構を解明し銀行独占者たちのすべての陰謀を暴露することにではなく、それを美化 することにあるのである。
(*) オスカー・シュティリッヒ博士『貨幣制度と銀行制度』、ベルリン、一九〇七年、一六九ページ。
(**) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『ドイツの信用銀行』、――『社会経済学大綱』、テュービンゲン、一九一五年、一〇一ページ。

 これとまったく同じように、もっと権威のある経済学者で銀行「実務家」のリーサーも、否定することのできない事 実について、意味のない空言でお茶をにごしている。「取引所は、そこに流れこんでくる経済的運動の最も精巧な測定器であるばかりでなく、それのほとんど自 動的に作用する調節器でもあるという、全経済と有価証券取引とにとって無条件に必要な特性を、しだいにますます失いつつある(*)」
(*) リーサー、前掲書、第四版、六二九ページ。

 いいかえれば、古い資本主義、自分にとって無条件に必要な調節器である取引所をもつ自由競争の資本主義は、過去 のものとなりつつある。それにかわって、自由競争と独占との混合物とでもいうべき、なにか過渡的なものの明白な特徴をもつ、新しい資本主義が到来した。そ こで当然、この最新の資本主義はなにへ「移行」しつつあるかという問題がおこるのだが、この問題を提起することをブルジョア学者たちはおそれているのであ る。
「三〇年まえには、自由に競争する企業家たちは、『労働者』の肉体労働の範囲に属さない経済活動の一〇分の九を遂行していた。いまでは、雇い人がこの経 済的精神労働の一〇分の九を遂行している。銀行業はこの発展で先頭を切っている(*)」。シュルツェ―ゲーヴァニッツのこの告白はまたしても、最新の資本 主義、帝国主義段階の資本主義が、なにへの過渡であるかという問題に通じる。――――――
(*) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『ドイツの信用銀行』、――『社会経済学大綱』、テュービンゲン、一九一五年、一五一ページ。

 集積過程によって資本主義経済全体の先頭に立つこととなった少数の銀行のあいだで、おのずから独占的協定への、 銀行トラストへの志向がますます高まり、ますます強まっている。アメリカでは、九つではなく二つの巨大銀行が、すなわち億万長者ロックフェラーとモルガン の銀行が、一一〇億マルクの資本を支配している(*)。ドイツでは、さきに指摘した、「ディスコント―ゲゼルシャフト」による「シャフハウゼン・バンク フェライン」の併合は、取引所筋の新聞『フランクフルター・ツァイトゥンク〔37〕』のつぎのような評価をひきおこした。
(*) 『バンク』、一九一二年、第一号、四三五ページ。

 「銀行の集積がすすむにつれて、一般に信用を求めにゆける営業所の範囲が狭くなり、そのため少数の銀行群にたい する大産業の従属が増大する。産業と金融界との結びつきが緊密なため、銀行資本を必要としている産業会社の行動の自由が制限される。そのため大産業は、銀 行のトラスト化(合同あるいはトラストへの転化)が強まるのを、複雑な感情でながめている。実際にも、個々の大銀行コンツェルンのあいだに、ある種の協定 ――競争を制限しようという協定――の萌芽が、すでに再三現われている(*)」。
(*) 『社会経済学大綱』のシュルツェ―ゲーヴァニッツから引用、一五五ページ。

 ここでもまた、銀行業の発展における最後のことばは独占である。
銀行と産業との緊密な結びつきについていえば、ほかならぬこの分野で、銀行の新しい役割がおそらく最も明瞭に現われている。銀行がある企業家の手形を割 引し、彼のために当座勘定をひらく等々の場合、これらの操作は、一つ一つとってみれば、この企業家の自立性をいささかも減少させないし、そして銀行は仲介 者という控えめな役割からはみでてはいない。しかしもしこれらの操作が度かさなって恒常的なものになると、もし銀行がその手に巨額の資本を「あつめる」と なると、またもしこの企業の当座勘定をひらくことによって銀行がその顧客の経済状態をますます詳細にますます完全に知ることができるようになると――そし て実際にもそうなっているのだが――、その結果として、産業資本家は銀行にますます完全に従属してゆくことになる。
それとともに、銀行と巨大商工業企業とのいわば人的結合が発展する。すなわち、株式を所有するとか、銀行の取締役が商工業企業の監査役会(あるいは取締 役会)の一員になるとか、その逆の方法による、両者の融合が発展する。ドイツの経済学者ヤイデルスは、資本と企業とのこの種の集積にかんするきわめて詳し い資料をあつめた。ベルリンの六つの巨大銀行は、その取締役を三四四の産業会社に代表としておくり、幹部の役員をさらに四〇七の産業会社におくり、全部で 七五一の会社に代表をおくっていた。これらの銀行は二八九の会社で、監査役会の役員を二人もつか、あるいは会長の地位を占めていた。これらの商工業会社の なかには種々さまざまな産業部門が、すなわち保険業も、運輸業も、レストランも、劇場も、美術産業その他も、見うけられる。他方、この六つの銀行の監査役 会には〈一九一〇年に)、五一人の巨大産業家がいた。このなかにはクルップ社や大汽船会社「ハパーグ」(ハンブルグ―アメリカ汽船)の支配人、その他等々 がいた。六銀行はそれぞれ一八九五年から一九一〇年までのあいだに数百の、すなわち二八一から四一九の産業会社のために、株式や社債の発行に参加した (*)。
(*) ヤイデルスとりーサーの前掲書。

 銀行と産業との「人的結合」は、これらの会社と政府との「人的結合」によつて補足されている。ヤイデルスはこう 書いている。「監査役会の役員の地位は、知名人や、さらにまた退職官吏にすすんで提供される。彼らは官庁との交渉のさいに少なからぬ便宜(!!)をあたえ うるのである」。・・・・「大銀行の監査役会のなかには、国会議員やベルリン市議会議員がいるのが通例である」。
したがって、巨大資本主義的独占体のいわば作成と仕上げは、あらゆる「自然的」および「超自然的」方法によって、全速力で進行する。こうして現代資本主義社会の数百人の金融王のあいだに、一定の分業が系統的につくりあげられてゆく。
「個々の大産業家の活動分野がこのように拡大し」(彼らは銀行の取締役会に参加、等々している)「銀行の地方担当重役の管轄がもっぱらある一定の産業地 域に限定されてゆくのと並行して、大銀行の指導者たちのあいだである程度の専門化がすすむ。このような専門化は、一般に、銀行企業全体が大規模になり、と くに産業との関係が緊密になるような場合に、はじめて考えられることである。この分業は二つの方向で進行する。一方では、全体としての産業との交渉が一人 の取締役にその専門の仕事としてゆだねられる。他方では、各取締役が、個々の企業の、あるいは職種または利害の点でたがいに近い関係にある企業群の、監督 をひきうける」・・・・(資本主義はすでに、個々の企業の組織的監督をするほどにまで成長したのだ)・・・・「ドイツの国内産業だけが、ときには西ドイツ の産業だけが」(西ドイツはドイツで最も工業的な部分である)「ある一人の受持ちとなり、外国の国家や産業との関係、工業家その他の人事にかんする事項、 取引所業務、等々が、それぞれ他の人たちの専門事項となる。さらにまた、銀行の各取締役が特殊の地域あるいは特殊の産業部門を受けもつことも、しばしばあ る。すなわち、ある人は主として電気会社の監査役会で活動し、他の人は化学工場、醸造工場あるいは甜菜糖工場で、第三の人は少数の個々の企業で、またこれ とならんで保険会社の監査役会で活動している。・・・・要するに、疑いもなく大銀行では、その業務の規模と多様性が増大するにつれて、指導者たちのあいだ の分業がますますできあがってゆくのであるが、しかもそれは、彼らを純粋の銀行業務よりもいわばいくらか高く引きあげて、産業の一般問題と個々の産業部門 の特殊問題についてより判断力をもち、より精通したものにし、こうして銀行の産業勢力圏内で彼らをより活動力あるものにするという目的をもっている(そし てそのような結果をともなっている)のである。銀行のこのような制度はまた、産業によく精通した人物、たとえば企業家、とくに鉄道や鉱山関係の官庁につと めていた退職官吏を、銀行の監査役会に選出しようという努力によって、補足されている(*)」。
(*) ヤイデルス、前掲書、一五六-一五七ページ。

 同種の制度は、すこし形はちがうが、フランスの銀行業でも見られる。たとえば、フランスの三大銀行の一つ「クレ ディ・リヨネ」は特別の「金融調査局」(service des etudes financieres)を設置した。そこではつねに五〇人を超える技師、統計家、経済専門家、法律家その他が働いている。この局は年に六〇万から七〇万 フランの経費がかかる。局は八つの部に分かれており、第一の部は専門的に産業企業にかんする情報を収集し、第二の部は一般統計を研究し、第三の部は鉄道会 社と汽船会社を、第四の部は有価証券を、第五の部は金融報告書を研究している、等々(*)。
(*) 『バンク』、一九〇九年、第二号所収の、フランスの銀行にかんするオイゲン・カウフマンの論文、八五一ページ以下。

 こうして一方では、ますます銀行資本と産業資本との融合が、あるいはエヌ・イ・ブハーリンが適切に表現したよう に、癒着がおこり、他方では、銀行は真に「普遍的な性格」の機関に成長転化してゆく。われわれは、この事情をだれよりもよく研究した著述家ヤイデルスの、 この問題にかんする正確な表現を引用することを必要と考える。
「産業上の結びつきを総体において観察すると、その結果として、産業のために活動する金融機関の普遍的性格というものが得られる。他の形態の銀行とは反 対に、また、銀行は地歩を失わないためには一定の事業部門または産業部門に専門化すべきであるという、文献でときどき開陳されている要求とは反対に、大銀 行は、産業企業との結びつきを、地域と生産の種類の点でできるだけ多様なものにしようと志し、個々の企業の歴史に由来する、個々の地域あるいは産業部門の あいだの資本の配分の不均等を除去しようとつとめている」。「産業との結びつきを一般的な現象にしようというのが一つの傾向であり、この結びつきを恒久的 で緊密なものにしようというのがもう一つの傾向である。両方の傾向とも、六大銀行では、完全にではないが、しかしすでにいちじるしく、そして同じ程度に実 現されている」。
商工業界からは、銀行の「テロリズム」にたいする苦情がしばしば聞かれる。そして、つぎの例がしめすように、大銀行が「命令」するときにそういう苦情が 高まるのも、あやしむにたりない。一九〇一年一一月一九日に、いわゆるベルリンのD銀行(四大銀行の名称はみなDの字ではじまっている)の一つが、中部北 西ドイツ・セメント・シンジケートの取締役会につぎのような書簡を寄せた。「本月一八日に貴シンジケートが某新聞に発表された公告から、われわれは、本月 三〇日にひらかれる貴シンジケートの総会で、当方にとって好ましくない組織変更を貴企業内に生じさせるような決議が採択される可能性があることを、考慮せ ざるをえません。このためわれわれは、いままで貴社に提供してきた信用を停止するほかないことを、遺憾に存ずるしだいであります。・・・・もっともその総 会で、当方にとって好ましくない決議がなされず、また将来にたいしてもこの点で適当な保障があたえられるならば、当方は喜んで新しい信用の供与にかんして なにぶんの商議に応ずる用意のあることを表明します(*)」。
(*) オスカー・シュティリヒ博士『貨幣制度と銀行制度』、一四八ページ。

 本質的には、これは大資本の抑圧にたいする小資本の苦情であるが、ただこの場合「小」資本の部類にはいっている のが一つのシンジケートなのである! 小資本と大資本との古くからの闘争は、新しい、はるかに高い発展段階で、ふたたびおこなわれている。いうまでもな く、幾十億の資本をもつ大銀行企業は、従来のものとは比べものにならないような手段で技術的進歩を促進することができる。銀行は、たとえば技術研究のため の特別の団体を設立するが、その成果を利用できるのは、もちろん、「友好的な」産業企業だけである。そのようなものに、「電気鉄道問題研究協会」や「中央 科学技術研究所」、その他がある。
大銀行の指導者たち自身が、国民経済のなにか新しい条件ができあがりつつあることを見ないわけにはいかないのだが、彼らはそれらの条件をまえにしてどうしようもないのである。
ヤイデルスはこう書いている。「近年の大銀行の重役職や監査役会の役員人事を観察した人ならみとめないではいられないことだが、産業の全般的発展に積極 的に介入することは大銀行の必要でますます緊急な任務だと考える人々が、しだいに支配権をもつようになりつつあり、しかもそのさい、これらの人々と銀行の 古い重役とのあいだに、このことで業務上の対立と、ときには個人的な対立がもちあがっている。このばあい問題となるのは、本質的には、銀行が産業の生産過 程にこのように介入することから、信用機関としての銀行自体が害を受けはしないか、また、信用の媒介とはなにも関係のないような活動、そして銀行が産業上 の景気の盲目的な支配にいままでよりもっとさらされることになるような分野に銀行をみちびきいれるような活動のために、堅実な原則と確実な利益が犠牲にさ れはしないか、ということである。古い銀行指導者たちの多くがこのように言うのにたいして、若手指導者の大多数は、産業の諸問題に積極的に介入すること を、現代の大工業とともに大銀行と最新の産業的銀行企業が生みだされたことと同様に、必然的なことと考えている。ただ、大銀行の新しい活動にとってはまだ 確固とした原則も具体的な目標も存在しないということについてだけは、両者とも同意見である(*)」。
(*) ヤイデルス、前掲書、一ハ三-一八四ページ。

 古い資本主義は寿命がつきた。新しい資本主義はなにものかへの過渡である。独占と自由競争とを「協調」させるた めの「確固とした原則と具体的な目標」を発見することは、もちろん、望みない仕事である。実務家たちの告白は、シュルツェ―ゲーヴァニッツやりーフマンや これと同類の「理論家」たちのような資本主義弁護論者たちの、「組織された」資本主義〔38〕の魅力にたいする官許の賛美とは、まるでちがった響きをもっ ている。
大銀行の「新しい活動」が最終的に確立されたのはいつのことか、――この重要な問題にたいして、われわれはヤイデルスのうちにかなり正確な答を見いだす。
「新しい内容、新しい形態、新しい機関をもつ、すなわち、中央集権的であると同時に地方分散的に組織されている大銀行をもつ、産業企業間の関係が、特徴 的な国民経済的現象として形成されたのは、はやくても一八九〇年代以前のことではない。ある意味では、この起点は、企業の大『合同』があった一八九七年に おくことができる。そしてこの大合同が、銀行の対産業政策の考慮から、地方分散的組織という新しい形態をはじめて採用したのである。あるいは、この起点は おそらくもっとあとの時期におくこともできるであろう。というのは、一九〇〇年の恐慌によってはじめて、集積過程は産業においても銀行業においても大いに 促進され、強化され、また産業とのつながりがはじめて大銀行の真の独占に転化し、そのつながりがいちじるしく緊密で強度のものになったからである (*)」。
(*) 前掲書、一八一ページ。

 だから二〇世紀は、古い資本主義から新しい資本主義への、資本一般の支配から金融資本の支配への転換点である。

 

 

 

★  三 金融資本と金融寡頭制

 ヒルファディングはつぎのように書いている。「産業資本のますます多くの部分が、それを充用する産業資本家に属 さなくなる。彼らは資本の管理権を、彼らにたいしてこの資本の所有者を代表する銀行をとおしてはじめて獲得する。他方、銀行はその資本のますます多くの部 分を産業に固定しなければならない。そのため、銀行はますます産業資本家になる。このような仕方で実際には産業資本に転化している銀行資本、すなわち貨幣 形態にある資本を、私は金融資本と名づける」。「金融資本とは、銀行の管理下にあって産業家によって充用される資本である(*)」。

 (*) R・ヒルファデイング『金融資本論』、モスクワ、一九一二年、三三八―三三九ページ〔39〕。

 この定義は、そのなかに最も重要な契機の一つ――すなわち、生産と資本との集積は、それが独占にみちびきつつあ り、またすでにみちびいたほどいちじるしく進展したということ――の指摘かないかぎりで、不完全である。だが一般にヒルファディングの叙述全体のなかで は、とくにこの定義をとってきた章のまえの二章では、資本主義的独占体の役割が強調されている〔40〕。
生産の集積、それから成長してくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着、――これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である。
つぎにわれわれは・資本王義的独占体の「業務遂行〔41〕」が、商品生産と私的所有という一般的環境のもとでどのようにして不可避的に金融寡頭制の支配 になるか、ということの記述にうつらなければならない。注意しておくが、リーサー、シュルツェ―ゲーヴァニッツ、リーフマンその他のようなドイツの――い や、ひとりドイツのだけではないが――ブルジョア科学の代表者たちは、ひとりのこらず帝国主義と金融資本の弁護者である。彼らは、寡頭制の形成の「からく り」、その手口、その「浄不浄の」所得の大きさ、寡頭制と議会との結びつき、その他等々を、あばくのではなく、塗りかくし美化している。彼らは「ややこし い問題」を避けるために、もったいぶった、ぼんやりしたことばをつかったり、銀行の取締役の「責任感」に訴えたり、プロイセン官吏の「義務感」をほめたた えたり、「監督」とか「規制」とかにかんするまったくくだらない法案などの小さなことを大まじめで検討したり、またたとえばつぎの「科学的」定義のような たわいない理論遊戯にふけったりしている。リーフマン教授はこんなことまで書くにいたっている。
「・・・・商業とは財貨をあつめ、貯蔵し、それを人の使用に供することを目的とする生業活動である(*)」。(ゴシックと傍点は教授の著書どおり)・・・・。そうすると、商業は、交換をまだ知らなかった原始人のもとでもあったし、社会主義社会にもあることになる!
(*) R・リーフマン、前掲書、四七六ページ。

 しかし、金融寡頭制の驚くべき支配という驚くべき事実はなんとしても目につくので、すべての資本主義国で、アメ リカでも、フランスでも、ドイツでも、ブルジョア的見地に立ちながら、しかもなお金融寡頭制のほぼ正しい姿をえがき、そして――もちろん小市民的なものだ が――それの批判をしている文献が現われている。
最も重要視すべきものは、まえにすでにいくらか述べた「参与制度」である。この制度におそらくだれよりもはやく注意を向けたドイツの経済学者ハイマンは、ことの本質をつぎのように記述している。
「指導者は親会社(文字どおりには『母親会社』)を統制し、親会社はさらに、それに依存する会社(『子会社』)を支配し、子会社は『孫会社』を支配す る、等々。こうして、あまり大きくない資本でもって、巨大な生産諸部門を支配することができる。実際、資本の五〇%をもっていれば株式会社を統制するのに つねに十分であるとすれば、指導者は一〇〇万マルクの資本をもっているだけで、『孫会社』で八〇〇万マルクの資本を統制することができるわけである。もし この『絡みあい』がもっとすすめば、一〇〇万マルクで一六〇〇万、三二〇〇万、等々を統制できるわけである(*)」。
(*) ハンス・ギデオン・ハイマン『ドイツの大鉄工業における混合企業』、シュトゥットガルト、一九〇四年、二六ハ―二六九ページ。

 実際には、経験がしめしているとおり、株式会社の事業を切り盛りするためには株式の四〇%をもっていれば十分で ある(*)。なぜなら、ばらばらな小株主の一定部分は、実際には、株主総会に出席したりなどすることがけっしてできないからである。株式所有の「民主化」 ということから、ブルジョア的詭弁家や日和見主義的「でも社会民主主義者」たちは、「資本の民主化」、小規模生産の役割と意義の増大、等々を期待している (あるいは、期待するふりをしている)が、この株式所有の「民主化」は、実際には、金融寡頭制の威力を増大させる方法の一つなのである。より先進的な、あ るいはより古くて「経験に富んだ」資本主義諸国でより小額面の株式が法律によってゆるされているのは、一つにはこのためである。ドイツでは、一、〇〇〇マ ルク以下の額面の株式は法律によってゆるされていない。それでドイツの金融巨頭たちは、一ポンド・スターリング(=二〇マルク、約一〇ルーブリ)の株式さ え法律でゆるしているイギリスを、うらやましげにながめている。ドイツの巨大産業家で「金融王」の一人であるジーメンスは、一九〇〇年六月七日の帝国議会 で、「一ポンド・スターリングの株券はイギリス帝国主義の基礎である(**)」と言明した。この商人は、ロシアのマルクス主義の創始者とみなされていなが ら、帝国主義とはある国民の邪悪な性質だとおもっているぶざまな某著述家〔42〕よりも、帝国主義とはなにかについてより深い、より「マルクス主義的」な 理解をもっている・・・・。
(*) リーフマン『参与会社・・・・』、第一版、二五八ページ。
(**) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『社会経済学大綱』、第五章第二節、一一〇ページ。

 しかし「参与制度」は独占者たちの権力の驚くべき増大に役だつだけではない。それはさらにどんな後暗い醜い行為 をも天下御免でやりとおし、公衆から巻きあげることを可能にする。なぜなら、「親会社」の指導者は、形式的には、法律上は、「子会社」にたいする責任がな く、子会社は「独立のもの」とみなされていて、子会社を通じてなんでも「やりとげ」うるからである。つぎに、ドイツの雑誌『バンク』の一九一四年の五月号 から一例を借りよう。
「カッセルの『バネ鋼製造株式会社』は、数年まえには、ドイツで最も収益の多い企業の一つと考えられていた。しかし管理が悪かったため経営が悪化し、配 当は一五%からゼロに落ちた。ここでわかったことだが、取締役会は株主には内密に、その『子会社』の一つで公称資本金が数十万マルクにすぎなかった『ハッ シア』に六〇〇万マルクを貸しつけていたのである。『親会社』の株式資本のほとんど三倍もの額のこの貸付けについて、その貸借対照表にはなにも記載されて いなかった。法的にはこのような隠蔽は完全に適法であって、まる二年間もそうしておくことができた。なぜなら、これは商法のどの規定にも違反していなかっ たからである。責任者として虚偽の貸借対照表に署名していた監査役会会長は、当時カッセル商業会議所の会頭であったが、いまでもそうである。株主たちが 『ハッシア』会社への貸付けについて知ったのは、やっとそれが失敗」・・・・(このことばに筆者は括弧をつけるべきであろう)・・・・「だったことがわか り、『バネ鋼』の株を消息筋が売りに出したためその相場がほとんど一〇〇%下落してからのことである
・・・・」。
・・・・「株式会社ではごくあたりまえな貸借対照表の綱渡り的芸当のこの典型的な実例は、株式会社の取締役会が個人企業家よりもはるかに気軽に危険な仕 事に手をつける理由を、われわれに説明してくれる。貸借対照表作成の最新技術は、取締役会にそのおかした危険を平株主の目から蔽いかくす可能性をあたえる ばかりでなく、実験が失敗した場合には、おもな当事者が適当なときにその持株を売却することによって被害をまぬかれる可能性をもあたえる。ところが個人企 業家は、彼のすることの全部について全責任を負っている。・・・・
数多くの株式会社の貸借対照表は、中世の時代から知られているあのパリムプセスト――上に書いてある文字をまず消さなければ、その下にある、ほんとうの 意味をもった記号を解読できないもの――に似ている」。(パリムプセストというのは、もとの文字が塗りつぶされていて、その上に他の文字が書いてある羊皮 紙のことである。)
「貸借対照表を裏の見えないものにする手段として、最も簡単で、したがって最もしばしばもちいられるものは、『子会社』を設立するかまたは系列下に入れ ることによって、単一の経営をいくつかの部分に分割することである。この制度の有利なことは、種々の目的――合法、非合法の――から見てきわめて明白なの で、この制度を採用しないような大会社は今日ではまったくの例外であるほどである(*)」。
(*) L・エシュヴェーゲ『子会社』――『バンク』、一九一四年、第一号、五四五ページ。

 この制度を最も広範に採用している最大の独占会社の例として、この筆者は有名な「アルゲマイネ・エレクトリツィ テーツ―ゲゼルシャフト」(A・E・G――この会社については、なおあとでも述べる)をあげている。一九一二年には、その会社は一七五―二〇〇の会社に参 与し、もちろんこれらの会社を支配し、全体で約一五億マルクの資本を擁している、と考えられていた(*)。
(*) クルト・ハイニヒ『電気トラストへの道』――『ノィエ・ツァイト〔43〕』、一九一二年、第三〇年、第二巻、四八四ページ。

 監査や、貸借対照表の公開や、その一定様式の作成や、監督機関その他についてのありとあらゆる法規は、善意の ――すなわち、資本主義を擁護し美化しようという善良な意図をもった――大学教授や官吏たちが公衆の注意をひきつけるのにもちいるものであるが、しかしど んな法規もこの場合なんの意義ももちえない。なぜなら私的所有は神聖であり、株を売ったり、買ったり、交換したり、担保に入れたりなどすることは、だれに も禁止することができないからである。
ロシア大銀行で「参与制度」がどの程度に達しているかは、E・アガードのつたえている資料から判断することができる。彼は一五年間露清銀行の職員をつと めた人で、一九一四年五月に『大銀行と世界市場(*)』というあまりしっくりしない標題の著作を公刊した。著者はロシアの大銀行を二つの基本グループに分 けている。すなわち(a)「参与制度」のもとで活動しているものと、(b)「独立しているもの」とである。もっともこの「独立」というのを、著者はかって に外国の銀行からの独立という意味に理解しているのだが。第一のグループを著者は三つの亜グループに、すなわち、(1) ドイツの参与、(2) イギリスの参与、(3) フランスの参与に分けているが、ここで著者が念頭においているのは、右のそれぞれの国籍の外国巨大銀行の「参与」と支配である。また著者は銀行の資本を、 「生産的」に投下されているもの(商業と工業に)と、「投機的に」投下されているもの(証券業務と金融業務に)とに区分しており、その持ち前の小ブルジョ ア的=改良主義的見地から、資本主義を維持しながら第一種の投資を第二種の投資から分離して、第二種を除去することができるかのように考えている。
(*) E・アガード『大銀行と世界市場。ロシア国民経済とドイツ=ロシア関係にたいする大銀行の影響という観点から見た、世界市場における大銀行の経済的および政治的意義』、ベルリン、一九一四年。

著者の資料はつぎのとおりである。〔第7表を参照〕

〔第7表〕 銀行の資産(1913年10―11月の決算報告による)
(単位 100万ルーブリ)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・   投下資本
ロシアの銀行のグループ別      ・・・・・・・・・・・―・・・
・ 生産的 ・ 投機的 ・ 合計 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(aの1)4銀行          ・    ・    ・
シベリア商業銀行・        ・    ・    ・
ロシア銀行   ・        ・  413.7・  859.1・ 1,272.8
国際銀行    ・        ・    ・    ・
割引銀行    ・        ・    ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(aの2)2銀行          ・    ・    ・
商工銀行      ・      ・  239.3・  169.1・  408.4
ロシア=イギリス銀行・      ・    ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(aの3)5銀行          ・    ・    ・
ロシア=アジア銀行      ・ ・    ・    ・
サンクト―ペテルブルグ私営銀行・ ・    ・    ・
アゾフ=ドン銀行       ・ ・  711.8・  661.2・ 1,373.0
モスクワ合同銀行       ・ ・    ・    ・
ロシア=フランス商業銀行   ・ ・    ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(11銀行)合計(a)       =・ 1,364.8・ 1,689.4・ 3,054.2
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(b)8銀行            ・    ・    ・
モスクワ商人銀行       ・ ・    ・    ・
ヴォルガ=カマ銀行      ・ ・    ・    ・
ユンカー会社         ・ ・    ・    ・
サンクト―ペテルブルグ商業銀行・ ・    ・    ・
(旧ヴァーヴェルベルグ銀行) ・ ・  504.2・  391.1・  895.3
モスクワ銀行         ・ ・    ・    ・
(旧リャブシンスキー銀行)  ・ ・    ・    ・
モスクワ割引銀行       ・ ・    ・    ・
モスクワ商業銀行       ・ ・    ・    ・
モスクワ私営銀行       ・ ・    ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(19銀行)総計           ・ 1,869.0・ 2,080.5・ 3,949.5
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この資料によれば、大銀行の「稼動」資本を構成する約四〇億ルーブリのうち、四分の三以上すなわち三〇億ルーブ リ以上は、外国銀行の、それもなによりもパリ(有名な三大銀行、すなわちバンク・ド・リュニオン・パリジャンヌ、バンク・ド・パリ・エ・デ・べ―バ、ソシ エテ・ジェネラール)とベルリン(とくにドイッチェ・バンクとディスコント―ゲゼルシャフト)の銀行の、実質上の「子会社」である諸銀行の手にある。ロシ アの二つの巨大銀行、すなわち「ロシア銀行」(「ロシア外国貿易銀行」)と「国際銀行」(「サンクト―ペテルブルグ国際商業銀行」)は、一九〇六年から一 九一二年までのあいだに、その資本を四四〇〇万ルーブリから九八〇〇万ルーブリに、積立金を一五〇〇万ルーブリから三九〇〇万ルーブリにふやしたが、これ らは「四分の三はドイツ資本によって活動している」。第一の銀行はベルリンの「ドイッチェ・バンク」の、第二の銀行はベルリンの「ディスコント-ゲゼル シャフト」の「コンツェルン」に属している。お人好しのアガードは、ベルリンの銀行が株式の大多数をにぎっていて、そのためロシアの株主が無力であること に、心の底から憤激している。いうまでもなく、資本を輸出する国は甘い汁を吸うのである。たとえばベルリンの「ドイッチェ・バンク」は、シベリア商業銀行 の株をベルリンにもってゆき、それを一年間金庫にしまいこんでおいて、そのあとで一〇〇にたいする一九三という、ほとんど二倍の相場で売りだし、約六〇〇 万ルーブリの儲けを「稼ぎだした」のであって、この儲けはヒルファディングが「創業者利得〔44〕」と名づけたものである。
ぺテルブルグの巨大銀行の全部の「力」を、この著者は八二億三五〇〇万ルーブリ、ほとんど八二億五〇〇〇万ルーブリと算定しているが、そのさい彼は、外 国銀行の「参与」を、より正確にいえば、その支配を、フランスの銀行――五五%、イギリスの銀行――一〇%、ドイツの銀行――三五%というふうに分けてい る。著者の計算によると、総額八二億三五〇〇万ルーブリのこの機能資本のうち、三六億八七〇〇万ルーブリ、すなわち四〇%以上は、いくつかのシンジケー ト、すなわち、プロドウーゴリ〔石炭シンジケート〕、プロダメータ〔製鉄シンジケート〕、および石油業、冶金業、セメント工業のシンジケートの手にある。 したがって、銀行資本と産業資本との融合は、資本主義的独占体の形成と関連して、ロシアでも巨大な前進をとげたわけである〔45〕。
少数者の手に集積されて事実上の独占を享有している金融資本は、会社の創立、有価証券の発行、国債、等々から、巨額の、しかもますます増大する利潤を引 きだし、金融寡頭制の支配をうちかため、社会全体に独占者への貢ぎ物を課している。つぎにしめすのは、アメリカのトラストの「業務遂行ぶり」の無数の事例 の一つで、ヒルファディングがあげているものである。一八八七年にハヴメイヤーは、資本総額が六五〇万ドルになる一五の小会社の合同によって一つの砂糖ト ラストを設立した。ところでこのトラストの資本は、アメリカ式表現によれば「水増しされて」、五〇〇〇万ドルとさだめられた。この「過大資本化」は、この おなじアメリカで鉄鋼トラストが将来の独占利潤を勘定に入れてますます多くの鉄鉱山を買いいれるのと同様に、将来の独占利潤を勘定に入れていた。実際に、 砂糖トラストは独占価格を設定し、そして、七倍に「水増しされた」資本にたいして一〇%の配当をおこなうことができるほどの収入をあげたのであるが、この 配当は、トラスト設立のときに実際に払いこまれた資本にたいしてほとんど七〇%にあたる! 一九〇九年にはこのトラストの資本は九〇〇〇万ドルであった。 二二年のうちに資本は一〇倍以上になったわけである。
フランスでは、「金融寡頭制」の支配は(『フランスにおける金融寡頭制に反対する』――これはリジスの有名な書物の標題である。第五版が一九〇八年に出 ている)、わずかばかりちがう形をとった。四つの巨大銀行が有価証券の発行にあたって、相対的ではなく「絶対的独占」を享有している。事実上、これは「大 銀行のトラスト」である。そして独占は、証券発行による独占利潤を保障する。借款の場合、借款を受ける国は、総額の九〇%以上は受けとらないのが普通で あって、一〇%は銀行その他の仲介者の手にはいる。銀行の利潤は、四億フランの露清公債から八%、八億フランのロシア公債(一九〇四年)から一〇%、六二 五〇万フランのモロッコ公債(一九〇四年)から一八・七五%であった。小さな高利貸資本から発展をはじめた資本主義は、巨大な高利貸資本としてその発展を 終える。「フランス人はヨーロッパの高利貸である」、とリジスは言っている。経済生活のあらゆる条件が、資本主義のこの変質のため深刻な変化をこうむって いる。人口も、工業も、商業も、海運業も停滞しているのに、「国」は高利貸によって富むことができるのである。「八〇〇万フランの資本を代表する五〇人の 人が、四つの銀行で二〇億フランを自由にできる」。すでにわれわれの知っている「参与」制度が、やはり同じ結果にみちびく。巨大銀行の一つ「ソシエテ・ ジェネラール」(Societe Generale)が「子会社」の「エジプト精糖会社」の社債六四、〇〇〇口を発行した。発行価格は一五〇%であった。すなわち、銀行は一ルーブリにつき 五〇カペイカ儲けたわけである。だがこの会社の配当は架空のものであることがわかり、「公衆」は九〇〇〇万から一億フランの損失をこうむった。しかも 「『ソシエテ・ジェネラール』の取締役の一人は『精糖会社』の重役の一人であった」。だから、この著者が、「フランス共和国は金融君主国である」とか、 「金融寡頭制が完全に支配しており、それは新聞をも政府をも支配している(*)」とかいう結論をくださずにはいられなかったのも、あやしむにたりない。
(*) リジス『フランスにおける金融寡頭制に反対する』、第五版、パリ、一九〇八年、一一、一二、二六、三九、四〇、四八ページ。

 金融資本の主要な業務の一つである有価証券発行のもつ異常に高い収益性は、金融寡頭制の発展と強化において非常 に重大な役割を演じる。「国内には、外債発行のさいの仲介に匹敵するほどの収益をあたえる事業は一つもない」――ドイツの雑誌『バンク』はこのように書い ている(*)。
(*) 『バンク』、一九一三年、第七号、六三〇ページ。

 「証券発行の業務ほど高い利得をもたらす銀行業務は一つもない」。産業企業の証券の発行での利得は、『ドイッチェ・エコノミスト』の資料によれば、年平均で次のとおりであった。〔第8表を参照〕

 「一八九一―一九〇〇年の一〇年間に、ドイツの産業証券の発行で一〇億マルク以上が『稼ぎだされ』た(*)」。
(*) シュティリヒ、前掲書、一四三ページおよびW・ゾンバルト『一九世紀のドイツ国民経済』、第二版、一九〇九年、五二六ページ、付録八。

 産業の好況期には金融資本の利潤はすばらしく大きいが、他方また不況期には、小さくて堅実でない企業はたおれる のに、大銀行は、それらの安値買収とか、あるいは儲けの多い「整理」や「再建」に「参与」する。欠損企業の「整理」にあたっては、「株式資本は減価され る。すなわち、収益はより少ない資本にたいして分配され、その後は、その資本にたいして計算される。あるいは、もし収益がなにもないようなら、新しい資本 がつぎこまれ、これはより収益の少ない旧資本と結合されて、いまや十分な収益を生むこととなる」。ヒルファディングはさらにつけくわえていっている。「つ いでながらいえば、こういう整理や再建は、銀行にとっては二重の意義をもつ。第一には有利な事業としてであり、第二には、窮地にあるこのような会社を自分 に従属させるための好機としてである(*)」。
(*) 『金融資本論』、一七二ページ〔46〕。

 例をあげよう。ドルトムントの「ウニオン」鉱業株式会社は一八七二年に設立された。約四〇〇〇万マルクの株式資 本が発行され、その相場は、初年度に一二%の配当が得られたときには一七〇%に騰貴した。金融資本は甘い汁を吸って、二八〇〇万マルクばかりのほんのわず かを稼ぎだした。この会社の設立にあたって主要な役割を演じたのは、順調に三億マルクの資本をもつにいたっていた例のドイツ最大の銀行「ディスコント―ゲ ゼルシャフト」であった。その後「ウニオン」の配当はゼロにさがった。株主たちは資本の「棒びき」に、すなわち、全資本を失わないためにその一部を失うこ とに、同意しなければならなかった。こうして、何回かの「整理」の結果、「ウニオン」会社の帳簿から三〇年間に七三〇〇万マルク以上が消された。「現在で は、この会社の最初の株主たちは、その株式の額面のわずか五%をもっているにすぎない(*)」。――それなのに、「整理」のたびに銀行は「稼ぎ」つづけて いたのである。
(*) シュティリヒ、前掲書、一三八ページおよびリーフマン、五一ページ。

 急速に発達しつつある大都市の近郊での土地投機もまた、金融資本のとくに有利な業務である。銀行の独占は、この 場合、地代の独占および交通機関の独占と融合している。なぜなら、地価の高騰、土地を有利に分譲する可能性、等々は、なによりも都心との交通の便のいかん にかかっており、しかもこれらの交通機関は、参与制度や取締役職の割当てによって当の銀行と結びついている大会社の手にあるからである。こうして、『バン ク』の寄稿家で、土地売買や土地抵当などの業務を専門に研究したドイツの著述家L・エシュヴェーゲが「泥沼」と名づけたものが生じる。すなわち、近郊の土 地の気違いじみた投機、ベルリンの「ボスヴァウ・ウント・クナウアー」社のような建設会社の破産――この会社は、「最も堅実で最も大きな」「ドィッチェ・ バンク」(Deutsche Bank)の仲介によって一億マルクほどの金(かね)をかきあつめていた会社であるが、銀行のほうは、もちろん「参与」制度によって、すなわち内々に、裏 でうごいていて、「たった」一二〇〇万マルクの損をしただけで手を引いてしまった――、ついで、いかさま建設会社からなんの支払も受けない小経営主と労働 者の零落、建築地情報や市会の建築許可証の交付を受けるための「誠実な」ベルリン警察や行政官庁との詐欺的な結託、その他等々である(*)。
(*) 『バンク』、一九一三年、九五二ページ、L・エシュヴェーゲ『泥沼』、同誌、一九一二年、第一号、二二三ページ以下。

 ヨーロッパの大学教授やお人好しのブルジョアたちが偽善的に顔をしかめてなげいている「アメリカ式風習」が、金融資本の時代には、どこの国でも、文字どおりあらゆる大都市の風習となったのである。
一九一四年の初めにベルリンで、「運輸業トラスト」が、すなわち、高架鉄道、市街電車、バス会社の三つのベルリンの運輸企業のあいだの「利益協同体」が 形成されようとしている、という噂がたった。雑誌『バンク』はつぎのように書いた。「このような企てがあることは、バス会社の株式の過半数が他の二つの運 輸会社の手にうつったことがわかったときから、知られていた。・・・・この目的を追求する人々が、自分たちは運輸業を統一的に調整することによって節約を しようとのぞんでいるのであり、その節約の一部は結局は公衆の利益になりうるだろうと言うと、人々はこれをそのまま信じかねない。だが、形成されようとし ているこの運輸業トラストの背後にはいくつかの銀行がひかえており、それらは、のぞみさえすれば、それらが独占している交通機関を土地売買の利益に従属さ せうるので、問題は複雑である。このような推定が当然であることを納得するためには、すでに高架鉄道会社の設立のさいに、その設立を奨励した一つの大銀行 の利益が介在していたことを思いおこせば、十分である。すなわち、この運輸企業の利益は土地売買の利益と絡みあっていたのだ。じつは、この鉄道の東部線 は、のちに鉄道の建設がもはや確実になったときにこの銀行が自分自身と何人かの関係者のために膨大な利益をもって売却した土地を、とおるはずになっていた のである(*)・・・・」。
(*) 『運輸業トラスト』――『バンク』、一九一四年、第一号、八九ページ。

 独占は、ひとたび形成されて幾十億の金(かね)を運用するようになると、絶対的な不可避性をもって、政治機構や その他のどんな「細目」にもかかわりなく、社会生活のあらゆる面に浸みこんでゆく。ドイツの経済文献のなかでは、フランスのパナマ事件〔47〕やアメリカ の政治的腐敗についてあてつけをいいながら、プロイセン官吏の誠実さを追従的に賛美するのが普通である。しかし、ドイツの銀行業について論じているブル ジョア文献でさえ、純粋の銀行業務の枠をつねに遠くはみだして、たとえば官吏が銀行に転職する事例がますます多くなっていることから、「銀行への突進」と いうことを書かなければならなくなっているのが、実情である。「その秘めたあこがれがべーレン街の坐り心地の良い椅子だというのでは、官吏の清廉さもはた してどんなものであるうか?(*)」――べーレン街というのは、「ドイッチェ・バンク」のあるベルリンの街路のことである。雑誌『バンク』の発行者アルフ レード・ランスブルグは一九〇九年に『ビザンティン主義の経済的意義』という論文を書いたが、これは、ことのついでに、ヴィルヘルム二世のパレスティナ旅 行と、「この旅行の直接の結果であるバグダード鉄道の建設、すなわち、われわれのすべての政治的失策をあわせたよりももっと『包囲』について責任のある、 あののろうべき『ドイツ企業家精神の大事業(**)』」について述べている。――(包囲というのは、ドイツを孤立させ、帝国主義的な反ドイツ同盟の環でド イツを包囲しようとつとめた、エドワード七世の政策のことである)。すでにわれわれが言及した、この同じ雑誌の寄稿家エシュヴェーゲは、一九一一年に『金 権政治と官吏』という論文を書いて、一例としてドイツ人官吏フェルカーの一件を暴露した。この男はカルテル委員会の委員で、精力的なことで秀でていたが、 その後しばらくして最大のカルテルである鉄鋼シンジケートで高給の地位を手に入れた人物である。けっして偶然ではない同様の事件がいくつかあるので、この ブルジョア著述家は、「ドイツ憲法によって保障された経済的自由は、経済生活の多くの分野でもはや内容のない空語となった」とか、いまあるような金権政治 の支配下では、「最も広範な政治的自由でさえ、われわれが非自由人の国民となることからわれわれを救うことはできない(***)」とか、告白せざるをえな かったのである。
(*) 『銀行への突進』――『バンク』、一九〇九年、第一号、七九ページ。
(**) 同誌、三〇一ページ。
(***) 同誌、一九一一年、第二号、八二五ページ、一九一三年、第二号、九六二ページ。

 ロシアについては、一例をあげるにとどめよう。いまから数年まえにすべての新聞に報道されたことだが、信用局長 のダヴィドフが官職を去ってある大銀行に就職し、その俸給は、契約によれば、数年のうちに一〇〇万ルーブリ以上になることになっていた。信用局というの は、「国家のすべての信用機関の活動を統一すること」を任務として、首都の銀行に八億―一〇億ルーブリの額の補助金をあたえている官庁である(*)。――
(*) E・アガード、二〇二ページ。

 資本の所有と資本の生産への投下との分離、貨幣資本と産業資本あるいは生産的資本との分離、貨幣資本からの収入 だけで暮らしている金利生活者と、企業家および資本の運用に直接たずさわるすべての人々との分離――これは資本主義一般に固有のことである。帝国主義と は、あるいは金融資本の支配とは、この分離が巨大な規模に達している、資本主義の最高の段階のことである。金融資本が他のすべての形態の資本に優越するこ とは、金利生活者と金融寡頭制が支配的地位にあることを意味し、金融上の「力」をもつ少数の国家が他のすべての国家からぬきんでることを意味する。この過 程がどれほどすすんでいるかは、証券発行の、すなわちあらゆる種類の有価証券の発行高の統計資料から、判断することができる。
A・ネイマルクは『国際統計研究所報(*)』に、全世界の証券発行にかんするきわめて詳細で、完全で、比較のできる資料を発表した。この資料はその後なんども経済学文献に部分的に引用されている。つぎに四〇年間の集計をあげよう。〔第9表を参照〕

 (*) 『国際統計研究所報』、第一九巻、第二冊、ハーグ、一九一二年。〔第10表の〕右の欄の小国にかんする数字は、一九〇二年を基準にとり、それを二〇%だけふやした概数である〔48〕。

〔第9表〕 各10年間の証券発行額
(単位 10億フラン)
・・・・・・・・・・
1871―1880年・ 76.1
1881―1890年・ 64.5
1891―1900年・ 100.4
1901―1910年・ 197.8
・・・・・・・・・・

 一八七〇年代に全世界の証券発行総額が高かったのは、とくに、フランス=プロイセン戦争およびそれにつづいたド イツにおける会社創業時代と関連する起債のためである。全体としては、一九世紀の最後の三〇年間には増加の速度は比較的それほど急速ではなく、二〇世紀の 最初の一〇年になってはじめていちじるしい増加をしめし、この一〇年にほぼ二倍になっている。したがって二〇世紀の初頭は、独占体(カルテル、シンジケー ト、トラスト)の成長という点で転換期である――このことについてはすでに述べた――だけでなく、金融資本の成長という点でも転換期である。
一九一〇年の世界における有価証券の総額を、ネイマルクはほぼ八一五〇億フランと算定している。そして重複計算を概算で控除して、彼はこの額を五七五〇 億―六〇〇〇億フランとしている。これを国別にしめすとつぎのとおりである(総額を六〇〇〇億フランとして)。〔第10表を参照〕

〔第10表〕 1910年の有価証券総額 (単位 10億フラン)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イギリス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・142・ ・ オランダ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12.5
アメリカ合衆国・・・・・・・・・・・・・132・479 ・ ベルギー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.5
フランス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110・  ・ スペイン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.5
ドイツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95・  ・ スイス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6.25
ロシア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31   ・ デンマーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.75
オーストリア=ハンガリー・・・・24   ・ スウェーデン,ノルウェー,・・・・2.5
イタリア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14   ・ ルーマニアその他
日本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12   ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 600
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この資料からただちに、それぞれおよそ一〇〇〇億から一五〇〇億フランの有価証券をもつ四つの最も富んだ資本主 義国が、どれほどくっきりぬきんでているかがわかる。これらの四つの国のうち二つは、最も古い、そしてあとで見るように、最も植民地を多くもつ資本主義 国、イギリスとフランスであり、他の二つは、発展の速さと生産における資本主義的独占体の普及の程度との点で先進的な資本主義国、アメリカ合衆国とドイツ である。これらの四ヵ国であわせて四七九〇億フランを、すなわち全世界の金融資本のほとんど八〇%をもっている。残りの世界のほとんどすべては、なんらか の形でこれらの国々の――国際的銀行家の、世界金融資本のこれら四本の「柱」の――債務者および貢納者の役割を演じている。
金融資本の依存と結びつきとの国際的な網をつくりだすうえで資本の輸出が演じる役割については、とくに立ちいって論じなければならない。

 

 

★  四 資本の輸出

 自由競争が完全に支配する古い資本主義にとっては、商品の輸出が典型的であった。だが、独占体の支配する最新の資本主義にとっては、資本の輸出が典型的となった。
資本主義とは、労働力も商品となるような、最高の発展段階にある商品生産である。国内の交易だけでなく、とくに国際間の交易の増大は、資本主義の特徴的 な顕著な特質である。個々の企業、個々の産業部門、個々の国の発展における不均等性と飛躍性は、資本主義のもとでは避けられない。はじめはイギリスが他の 国々にさきがけて資本主義国となり、一九世紀のなかごろには、自由貿易を導入して、「世界の工場」、すなわち、すべての国への製造品の提供者という役割を ねらい、他の国々はこれとひきかえに原料品をイギリスに供給しなければならなかった。しかしイギリスのこの独占は、すでに一九世紀の最後の四半世紀にそこ なわれた。なぜなら、一連の他の国々が、「保護」関税にまもられて、自立的な資本主義国家に発展してきたからである。そしてわれわれは、二〇世紀にかかる ころに別の種類の独占が形成されたのを見る。それは、第一には、資本主義の発展したすべての国における資本家の独占団体の形成であり、第二には、資本の蓄 積が巨大な規模に達した少数の最も富んだ国々の独占的地位の形成である。先進諸国では巨額の「資本の過剰」が生じた。
もちろん、もし資本主義が、現在いたるところで工業からおそろしく立ちおくれている農業を発展させることができるなら、またもし資本主義が、目まぐるし い技術的進歩にもかかわらずいたるところで依然としてなかば飢餓的で乞食のような状態にある住民大衆の生活水準を高めることができるなら、資本の過剰など ということは問題になりえないであろう。そのような「論拠」は小ブルジョア的な資本主義批判者たちがたえずもちだしているところである。しかしそうなった ら資本主義は資本主義でなくなるであろう。なぜなら、発展の不均等性も大衆のなかば飢餓的な生活水準も、この生産様式の根本的な、避けられない条件であり 前提であるからである。資本主義が資本主義であるかぎり、過剰な資本はその国の大衆の生活水準を引き上げるためにはもちいられないで――なぜなら、そうす れば資本家の利潤が下がるから――、資本を外国に、後進諸国に輸出することによって、利潤を高めることにもちいられるのである。これら後進諸国では利潤が 高いのが普通である。なぜなら、そこでは資本が少なく、地価は比較的低く、賃金は低く、原料は安いからである。資本輸出の可能性は、一連の後進諸国がすで に世界資本主義の運行のうちに引きいれられ、鉄道の幹線が開通するか建設されはじめ、工業発展の初歩的条件が確保されている、等々のことによってつくりだ される。そして資本輸出の必然性は、少数の国々で資本主義が「爛(らん)熟」し、資本にとって(農業の未発展と大衆の貧困という条件のもとで)「有利な」 下部面がたりない、ということによってつくりだされる。
つぎに、主要な三ヵ国が外国に投下している資本の規模にかんする概略の資料をかかげよう(*)。〔第11表を参照〕
(*) ホブソン『帝国主義論』、ロンドン、一九〇二年、五八ページ。リーサー、前掲書、三九五および四〇四ページ。『世界経済アルヒーフ』、第七巻、 一九一六年、三五ページのP・アルント。『所報』所収のネイマルク。ヒルファディング『金融資本論』、四九二ページ。ロイド―ジョージ、一九一五年五月四 日の下院における演説、『デイリー・テレグラフ』、一九一五年五月五日号。B・ハルムス『世界経済の諸問題』、イェナ、一九一二年、二三五ページほか。 ジーグムント・シルダー博士『世界経済の発展傾向』、ベルリン、一九一二年、第一巻、一五〇ページ。ジョージ・ベイシュ『・・・・大ブリテンの投資』―― 『王立統計協会雑誌』、第七四巻、一九一〇―一一年、一六七ページ以下。ジョルジュ・ディウリッチ『ドイツ経済の発展と関連する、ドイツの銀行の国外膨 張』、パリ、一九〇九年、八四ページ〔49〕。

〔第11表〕 国外に投下された資本
(単位 10億フラン)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
年次  ・イギリス・ フランス ・ドイツ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1862年 ・   3.6・   ―   ・ ―
1872年 ・  15 ・10(1869年)・ ―
1882年 ・  22 ・15(1880年)・ ?
1893年 ・  42 ・20(1890年)・ ?
1902年 ・  62 ・  27―37  ・ 12.5
1914年 ・ 75―100・   60   ・ 44
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この表からわかるように、資本の輸出が大きな発展をとげたのはやっと二〇世紀初頭のことである。戦前に、この三 つの主要な国々の国外への投資額は一七〇〇億―二〇〇〇億フランに達した。この額からの収益は、控えめに年利五%として、一年に八〇億―一〇〇億フランに 達するにちがいない。これこそ、世界の大多数の民族と国とにたいする帝国主義的抑圧と搾取の、またひとにぎりの富裕な国家の資本主義的寄生性の、堅固な基 礎である!
国外に投下されたこの資本はさまざまな国にどのように分布しているか、それはどこに投下されているか――この問題にはおおよその答えしかあたえることができないが、それでも現代帝国主義の若干の一般的な相互関係と関連とを明らかにすることができる。〔第12表を参照〕

〔第12表〕 国外投下資本の大陸別分布(概数)(1910年ころ)
(単位 10億マルク)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・イギリス・フランス・ ドイツ ・ 合計
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヨーロッパ    ・   4 ・  23 ・  18 ・  45
アメリカ     ・  37 ・   4 ・  10 ・  51
アジア,アフリカ,・  29 ・   8 ・   7 ・  44
オーストラリア  ・    ・    ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
総計       ・  70 ・  35 ・  35 ・  140
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 イギリスでは、第一位にあるのはその植民地領土で、それは、アジアその他はいうにおよばず、アメリカでも非常に 大きい(たとえばカナダ)。巨額の資本輸出がここではなによりも巨大な植民地と密接に結びついているのであるが、帝国主義にとっての植民地の意義について はなおあとで述べる。フランスではこれと異なる。ここでは在外資本は主としてヨーロッパに、それもどこよりもロシアに(一〇〇億フランを下らないものが) 投下されている。しかもそれは主として貸付資本すなわち国債であって、産業企業に投下される資本ではない。イギリスの植民地的帝国主義と区別して、フラン スのは高利貸的帝国主義と名づけることができる。ドイツには第三の変種がある。その植民地は大きくなく、ドイツが国外へ投下している資本は、ヨーロッパと アメリカにきわめて均等に分布している。
資本の輸出は、資本が向けられる国で資本主義の発展に影響をおよぼし、その発展をいちじるしく促進する。だから、ある程度、資本の輸出は輸出国での発展 をいくらか停滞させることになりかねないとしても、そのようなことが生じるのは、まさに全世界における資本主義のいっそうの発展を拡大し深めることの代償 としてである。
資本を輸出する国にとっては、ある「利益」を獲得する可能性がほとんどいつも得られるのであって、この利益の性格は金融資本と独占体の時代の特性を照らしだしてくれる。たとえば、ベルリンの雑誌『バンク』は一九一三年一〇月につぎのように書いた。
「国際資本市場ではさきごろから、アリストパネースの筆にふさわしいような喜劇が演じられている。スペインからバルカンにいたる、ロシアからアルゼン ティン、ブラジル、中国にいたる、数多くの外国国家が、借款を得ようという要求をもって、それもときにはきわめて緊急な要求をもって、公然あるいは隠然と 大貨幣市場に現われている。ところが貨幣市場はいまとりわけ良好な状態にあるわけではなく、また政治的見通しも明るくはない。しかしどの貨幣市場も、隣国 が自国を出しぬいて借款に応じ、それとともになんらかの反対給付を確保しはしないかという懸念から、借款要求をあえて拒否しかねている。この種の国際取引 のさいにはほとんどいつも、通商条約における譲歩であれ、給炭所であれ、港湾建設であれ、うまい利権であれ、大砲の注文であれ、なにかが債権者の利益に帰 するのである(*)」。
(*) 『バンク』、一九一三年、第二号、一〇二四―一〇二五ページ。

 金融資本は独占体の時代をつくりだした。ところで独占体はいたるところで独占原理をともなう。有利な取引のため に「縁故」を利用することが、公開市場での競争にとってかわる。借款の一部を債権国の生産物、とくに軍需品、船舶、等々の購入に支出することを借款の条件 とするのは、最も普通のことである。フランスは最近の二〇年間(八九〇―一九一〇年)に非常にしばしばこの手段に訴えた。資本の輸出は商品の輸出を助長す る手段となる。そのさい、とくに大きな企業のあいだの取引は――シルダーが「やんわりと」表現したように(*)――「贈賄と紙ひとえ」である。ドイツのク ルップ、フランスのシュネーデル、イギリスのアームストロングは、巨大銀行および政府と緊密に結びついていて、借款契約をむすぶさいに容易には「無視」で きない会社の見本である。
(*) シルダー、前掲書、三四六、三五〇、三七一ページ。

 フランスはロシアに借款をあたえるにあたって、一九〇五年一一月一六日の通商条約でロシアを「締めつけて」、一 九一七年を期限とするある譲歩を獲得した。同じことは、一九一一年八月一九日の日本との通商条約〔50〕についてもあった。オーストリアとセルビアとの関 税戦争は、一九〇六年から一九一一年までのあいだに七ヵ月間中断しただけでずっとつづいたが、それは一部分は、セルビアへの軍需品供給でのオーストリアと フランスとの競争によってひきおこされたものである。ポール・デシャネルは一九一二年一月に議会で、フランスの商会は一九〇八―一九一一年のあいだにセル ビアに四五〇〇万フランの軍需資材を納入した、と言明した。
サン―パウロ(ブラジル)駐在のオーストリア=ハンガリーの領事の報告のなかでは、つぎのように述べられている。「ブラジルの鉄道建設は、大部分、フラ ンス、ベルギー、イギリスおよびドイツの資本でおこなわれている。これらの国は「鉄道建設と関連する金融業務のさいに、鉄道建設資材の供給を自国の手に確 保している」。
このように、金融資本はその網を世界のすべての国に、いわば文字どおり張りめぐらしている。そのさい大きな役割を演じるのは、植民地に設置される銀行と その支店である。ドイツの帝国主義者たちは、この点でとくに「うまく」やっている「古い」植民地領有国を、うらやましげにながめている。イギリスは一九〇 四年に二、二七九の支店をもつ五〇の植民地銀行(一九一〇年には五、四四九の支店をもつ七二の銀行)をもっていたし、フランスは一三六の支店をもつ二〇の 銀行を、オランダは六八の支店をもつ一六の銀行をもっていたのに、ドイツは「全部でたった」七〇の支店をもつ一三の銀行しかもっていなかった(*)。アメ リカの資本家たちは、それはそれで、イギリスとドイツの資本家をうらやんでいる。彼らは一九一五年にこう不平をいった。「南アメリカでは五つのドイツ銀行 が四〇の支店を、五つのイギリス銀行が七〇の支店をもっている。・・・・イギリスとドイツは最近の二五年間にアルゼンティン、ブラジル、ウルグァイに約四 〇億ドルを投資した。そしてその結果、両国はこれら三国の全貿易額の四六%をその手におさめている(**)」。
(*) リーサー、前掲書、第四版、三七五ページおよびディウリッチ、二八三ページ。
(**) 『アメリカ政治=社会科学アカデミー年報』、第五九巻、一九一五年五月、三〇一ページ。同晝の三三一ページに書いてあるところによると、有名 な統計学者ペイシュは、金融雑誌『ステーティスト』の最近号で、イギリス、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダが輸出した資本の額を、四〇〇億ドルすな わち二〇〇〇億フランと算定した。

 資本を輸出する国は、比喩的な意味で世界を自分たちのあいだで分割した。だが金融資本は世界の直接の分割をももたらした。

 

 

★  五 資本家団体のあいだでの世界の分割

 資本家の独占団体、カルテル、シンジケート、トラストは、その国の生産を多少とも完全にその手におさめつつ、ま ずはじめに国内市場を相互のあいだで分割する。しかし資本主義のもとでは、国内市場は不可避的に外国市場と結びついている。資本主義は早くから世界市場を つくりだした。そして、資本輸出が増加し、最大の独占諸団体の対外的および対植民地的結びつきや「勢力範囲」がいろいろと拡大したのにつれて、事態は「お のずから」それらのあいだの世界的協定に、国際カルテルの形成に近づいていった。
これは、資本と生産との世界的集積の新しい段階、先行のものとは比べものにならないほど高い段階である。つぎにこの超独占がどのようにして成長するかを見よう。
電機産業は、技術の最新の達成によって、一九世紀末から二〇世紀初めにかけての資本主義にとって最も典型的な産業である。そしてそれは新しい資本主義国 のうちで最も先進的な二つの国、合衆国とドイツでどこよりも発展した。ドイツでは一九〇〇年の恐慌がこの産業部門における集積の増進にとくに強い影響をお よぼした。このころまでにすでに産業と十分に癒着していた銀行は、この恐慌のときに比較的小さな企業の没落と大企業によるそれらの吸収をいちじるしく促進 し強化した。ヤイデルスはこう書いている。「まさに銀行の援助を最も必要としている企業から手をひくことによって、銀行は、はじめは気違いじみた景気をあ おっておきながら、のちには、銀行と十分密接には結びついていない会社を絶望的な破滅に追いやる(*)」。
(*) ヤイデルス、前掲書、二三二ページ。

 その結果、集積は一九〇〇年以後に巨大な前進をとげた。一九〇〇年以前には電機産業には七つか八つの「グルー プ」があり、そのおのおのはいくつかの会社(全部で二八あった)から成っており、それぞれの背後に二つから一一の銀行があった。だが一九〇八―一九一二年 ごろには、これらすべてのグループは二つか一つに融合してしまった。この過程はつぎのようにすすんだ。

    電機産業におけるグループ
一九〇〇年以前                    一九一二年ころ
フェルテン・ウント・ギヨーム・・・フェルテン・ウント・・・・・・
ラーマイヤー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ラーマイヤー      ・A・E・G・・・・・・・・・・・・・一九〇
ウニオン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・A・E・G・・・・・・・・・・・・・・・・アルゲマイネ・エレ・・八年以
A・E・G・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アルゲマイネ・エレク・ ・クトリッィテーツ・・・来密接
・トリッィテーツ・ゲゼ・ ・ゲゼルシャフト  ・・に「協
・ルシャフト     ・            ・力」
ジーメンス・ウント・ハルスケ・・・ジーメンス・ウント・ハ・・・ジーメンス・ウント・・・・
シュッケルト会社・・・・・・・・・・・・・・・ルスケ―シュッケルト  ・ハルスケ―シュッケル
ベルグマン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベルグマン・・・・・・・・・・・・・・・ト
クンマー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九〇〇年に倒産

 このようにして大きくなった有名なA・E・G(アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト)は、 (「参与」制度によって)一七五―二〇〇の会社を支配し、総額約一五億マルクの資本を自由にしている。この会社は、直接の在外代理店だけでも一〇ヵ国以上 に三四をもっており、そのうち一二は株式会社である。すでに一九〇四年に、ドイツの電機産業が国外に投下している資本は二億三三〇〇万マルクあり、そのう ち六二〇〇万マルクはロシアに投下されている、と考えられていた。いうまでもなく、「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト」は巨大な「結 合」企業であり、それに属する製造会社だけでも一六をかぞえ、電線や碍子から自動車や航空機にいたるまでの種々さまざまな生産物を生産している。
しかしヨーロッパにおける集積はアメリカにおける集積過程の構成部分でもあった。事態はつぎのようにすすんだ。

       「ジェネラル・エレクトリック・コンパニー」(General Electric Co.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカ トムソン=ハウストン会社が エディソン会社がヨーロッパのために会社「フランス・エデ
ヨーロッパに一会社を設立  ィソン会社」を設立。これがドイツの会社に特許権を譲渡

 ドイツ  「ウニオン・エレクトリツィ 「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ・ゲゼルシャフト」
テーツ・ゲゼルシャフト」  (A・E・G)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト」(A・E・G)

 こうして二つの電機「強国」ができあがった。「これらから完全に独立している他の電機会社は地球上にない」、と ハイニヒは論文『電機トラストの道』のなかで書いている。この二つの「トラスト」の取引高と企業の規模については、つぎの数字が、完全というにはほど遠い が、なにがしかの観念をあたえてくれる。〔第13表を参照〕

〔第13表〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・   ・ 商品取引高  ・従業員数・   純益
・   ・(100万マルク) ・    ・(100万マルク)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカ――「ジェネ・1907年・    252   ・ 28,000 ・   35.4
ラル・エレクトリッ・   ・        ・    ・
ク・コンパニー」 ・1910年・    298   ・ 32,000 ・   45.6
(G.E.C)  ・   ・        ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドイツ――「アルゲマ・1907年・    216   ・ 30,700 ・   14.5
イネ・エレクトリツ・   ・        ・    ・
ィテーツ―ゲゼルシ・1911年・    362   ・ 60,800 ・   21.7
ァフト」     ・   ・        ・    ・
(A.E.C)  ・   ・        ・    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして一九〇七年にはアメリカとドイツのトラストのあいだに世界の分割にかんする協定がむすばれた。競争は排除 された。「ジェネラル・エレクトリック・コンパニー」(G・E・C)は合衆国とカナダを「受けとり」、「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ,ゲゼルシャ フト」(A・E・G)にはドイツ、オーストリア、ロシア、オランダ、デンマーク、スイス、トルコ、バルカンが「あてがわれた」。特別の――もちろん秘密の ――協定が、新しい産業部門や、形式的にはまだ分割されていない「新しい」国へ侵入する「子会社」にかんして、むすばれている。発明や経験を交換しあうこ とも規定されている(*)。
(*) リーサー、前掲書。ディウリッチ、前掲書、二三九ページ。クルト・ハイニヒ、前掲論文。

 幾十億の資本を自由にし、世界のすみずみに自己の「支店」、代表、代理店、取引先、等々をもつ、この事実上単一 の世界的なトラストと競争することがどんなにむつかしいかは、自明である。しかしこの二つの強大なトラストのあいだでの世界の分割も、もし力関係が――発 展の不均等や戦争や倒産などの結果――変われば、もちろん、再分割を妨げるものではない。
このような再分割の試みの、再分割のための闘争の、教訓に富んだ実例を、石油産業がしめしている。
ヤイデルスは一九〇五年につぎのように書いた。「世界の石油市場はいまでもなお二つの大きな金融グループのあいだで、すなわち、アメリカのロックフェ ラーの『石油トラスト』の(Standard Oil C-y)と、ロシアのバクー石油の支配者であるロスチャルドおよびノーベルとのあいだで、分割されている。この二つのグループはたがいに密接な関係に立っ ているが、それらの独占的地位はすでにこの数年来五つの敵によって脅かされている(*)」。すなわち、(一)アメリカ油田の枯渇、(二)バクーのマンタ ショーフ商会の競争、(三)オーストリアの油田、(四)ルーマニアの油田、(五)海外の油田、とくにオランダ植民地の油田(きわめて富裕なサミュエル商会 とシェル商会、これらはまたイギリス資本と結びついている)がそれである。最後の三つの企業群は、巨大な「ドィッチェ・バンク」を筆頭とするドイツの大銀 行と結びついている。これらの銀行は、「自分の」足場を得るために、たとえばルーマニアで石油産業を自主的に計画的に発展させた。ルーマニアの石油産業に は一九〇七年に外国資本が一億八五〇〇万フランあり、そのうちドイツ資本は七四〇〇万フランと見つもられていた(**)。
(*) ヤイデルス、一九二―一九三ページ。
(**) ディウリッチ、二四五―二四六ページ。

 経済文献でまさに「世界の分割」のための闘争といわれる闘争がはじまった。一方では、ロックフェラーの「石油ト ラスト」は、すべてを手に入れようとのぞんで、当のオランダに「子会社」を設立し、オランダ領インドの油田を買収し、こうしてその主要な敵であるアング ロ=ダッチ「シェル」トラストに一撃をくわえようとおもった。他方、「ドィッチェ・バンク」とその他のベルリンの銀行は、ルーマニアを「わが手に」「ひき とめ」、ロックフェラーに対抗してルーマニアをロシアと連合させようとつとめた。ところがロックフェラーは、はるかに大きな資本と、石油を輸送して消費者 に送りとどけるすばらしい組織とをもっていた。闘争は「ドイッチェ・バンク」の完全な敗北をもっておわるほかはなかったし、実際に一九〇七年にそれでお わった。「ドイッチェ・バンク」にとっては、数百万の損失でその「石油事業」と手を切るか、それとも屈服するかの、二つに一つの道しか残されていなかっ た。第二の道がえらばれ、「ドイッチェ・バンク」にとって非常に不利な協定が「石油トラスト」とのあいだにむすばれた。この協定によって「ドイッチェ・バ ンク」は、「アメリカ側の利益をそこなうことはなにも企てない」義務を負った。もっともそのさい、もしドイツで石油の国家専売法が制定された場合には協定 は効力を失う、という規定があった。
そこで「石油喜劇」がはじまる。ドイツの金融王の一人で「ドイッチェ・バンク」の取締役であるフォン・グヴィンナーは、彼の個人秘書シュタウスを通じ て、石油専売のための扇動をはじめた。ベルリン最大の銀行の巨大な機関全体、すべての広範な「関係者」が動員され、新聞はアメリカのトラストの「くびき」 に反対する「愛国的な」叫びにむせび、帝国議会は一九一一年三月一五日にほとんど満場一致で、石油専売法案を作成すべきことを政府に要請する決議を採択し
た。政府はこの「人気のある」思いつきにとびついた。そして、アメリカ側の協定当事者をあざむき、国家専売によって自分の事業を建てなおそうとおもった 「ドイッチェ・バンク」の賭けは、勝ったように見えた。ドイツの石油王たちは、ロシアの精糖業者の利潤にもおとらない膨大な利潤の前喜びにひたってい た。・・・・しかし第一に、ドイツの大銀行が相互のあいだで獲物の分配をめぐって争いをはじめ、「ディスコント―ゲゼルシャフト」は「ドイッチェ・バン ク」の貪欲な関心を暴露した。第二に、政府がロックフェラーとのたたかいに恐れをいだいた。というのは、ロックフェラーぬきでドイツが石油を手に入れられ るかどうか(ルーマニアの産出高は大きくない)、きわめて疑問だったからである。第三に、ちょうどそのとき、ドイツの戦争準備のために数十億にのぼる一九 一三年度予算が可決された。こうして専売法案は延期された。ロックフェラーの「石油トラスト」はさしあたりたたかいの勝利者となっている。
ベルリンの雑誌『バンク』はこのことについてつぎのように書いた。「石油トラスト」とたたかうには、ドイツは電力の専売を実施し、水力を利用して安い電 気をおこす以外に道はない、と。だが――とこの雑誌はつけくわえている――「電力の専売は、電力生産者がそれを必要とするときにおこなわれるであろう。す なわち、電気産業におけるつぎの大きな瓦落が真近にせまったとき、そして今日、電気産業の私的『コンツェルン』によって方々に建設されている巨大で高価な 発電所――それのために、これらの『コンツェルン』は今日すでに都市や国家その他からなんらかの部分的独占をあたえられているのだが――が、もはや有利に 営業できなくなったときに、おこなわれるであろう。そのときに、水力を利用しなければならなくなるであろう。しかし国営では水力から安い電力を得ることは できなくて、水力はふたたび『国家によって統制される私的独占』に移譲されなければならないだろう。なぜなら、私的産業はすでにたくさんの取引契約をむす んでいて、巨額の補償金を獲得しているからである。 ・・・・カリの専売のときもそうだったし、石油の専売のときもそうだし、電力の専売のときもそうであろう。いまや、美しい原理に目がくらんでいるわが国家 社会主義者たちも、ついにつぎのことを理解すべきときであろう。すなわちドイツでは専売は、消費者に利益をもたらすとか、あるいは国家に企業者利得の一部 でもあたえるとかいう目的をもったことも、そういう結果をもたらしたこともけっしてないのであって、それは、破産に瀕した私的産業を国家の負担で救済する ことに役だっただけなのである」。
(*) 『バンク』、一九一二年、第一号、一〇三六ページ、一九一二年、第二号、六二九ページ、一九一三年第一号、三八八ページ。

 このように貴重な告白をドイツのブルジョア経済学者はしなければならなくなっている。われわれはここで、金融資 本の時代には私的独占と国家的独占とが一つに絡みあっていること、両者とも実際には、世界の分割のための最大の独占者たちのあいだの帝国主義的闘争の個々 の環にすぎないことを、はっきり見るのである。
海運業でも、集積の巨大な成長はやはり世界の分割にみちびいた。ドイツでは二つの巨大会社、「ハンブルグ=アメリカ」と「北ドイツ・ロイド」とがぬきん でている。両方とも、おのおの二億マルクの資本(株式と社債)と、一億八五〇〇万―一億八九〇〇万マルクの価額の汽船をもっている。他方、アメリカでは一 九〇三年一月一日に、いわゆるモルガン・トラストすなわち「国際商船会社」が、アメリカとイギリスの九つの海運会社を合併し、一億二〇〇〇万ドル(四億八 〇〇〇万マルク)の資本を擁して、設立された。すでに一九〇三年に、ドイツの巨大会社とこのアメリカ=イギリスのトラストとのあいだに、利潤の分配に関連 して世界の分割にかんする協定がむすばれた。そしてドイツの会社は、イギリスとアメリカをむすぶ輸送業務で競争することを断念した。どの港はどの会社に 「あてがわれる」かが精密に規定され、共同統制委員会が設置された、等々。この協定は二〇年の期限でむすばれているが、戦争のときには効力を失うという用 意周到な但し書がついている(*)。
(*) リーサー、前掲書、一二五ページ。

 国際軌条カルテルの形成史もまたきわめて教訓に富んでいる。はじめイギリス、ベルギー、ドイツの軌条工場が、す でに一八八四年、産業の極度の沈滞期に、このようなカルテルを設立しようと試みた。協定に参加した国の国内市場では競争しないこと、そして外国市場をイギ リス――六六%、ドイツ――二七%、ベルギー――七%の比率で分割することが、協定された。インドは全部イギリスにあてがわれた。協定にくわわらなかった イギリスの一会社にたいしては共同のたたかいが遂行され、その費用は総販売高から一定の比率によってまかなわれた。しかし一八八六年に二つのイギリスの会 社が連合から脱退したときに、トラストは崩壊した。これにつづく産業の好況期に協定に達しえなかったことは、特徴的である。
一九〇四年初めにドイツで鉄鋼シンジケートが設立された。そして一九〇四年一一月には、イギリス――五三・五%、ドイツ――二八・八三%、ベルギー―― 一七・六七%の比率で、国際軌条カルテルが復活した。ついでフランスが、第一年、第二年、第三年に、一〇〇%を超える四・八%、五・八%、六・四%の比率 で協定にくわわり、総量は一〇四・八%、等々となった。一九〇五年には合衆国の「鉄鋼トラスト」(「U・S・スティール・コーポレーション」)が、ついで オーストリアとスペインがくわわった。フォーゲルシュタインは一九一〇年にこう書いた。「いまの時点で地球の分割は完了している。そして大口消費者、なに よりも国有鉄道は、彼らの利益が考慮されることなしに世界がすでに分割されているのだから、詩人のようにジュピターの天国に住まわなければならない (*)」。
(*) フォーゲルシュタイン『組織形態』、一〇〇ページ。

 さらに国際亜鉛シンジケートについて一言すると、これは一九〇九年に設立され、ドイツ、ベルギー、フランス、ス ペイン、イギリスの五ヵ国の工場群のあいだに、生産高をこまかく割り当てた。つぎに国際火薬トラストは、リーフマンのことばによれば、「ドイツのすべての 爆薬製造工場のあいだのまったく現代的な緊密な同盟であって、これらの工場は、のちにこれにならって組織されたフランスとアメリカの爆薬工場とともに、相 互のあいだで、いわば全世界を分割した(*)」。
(*) リーフマン『カルテルとトラスト』、第二版、一六一ページ。

 リーフマンは、ドイツの参加する国際カルテルの数は、一八九七年には全部で約四〇であったが、一九一〇年ころにはすでに一〇〇ほどあったと見つもった。
一部のブルジョア著述家たち(いまではK・カウツキーも、たとえば一九〇九年の彼のマルクス主義的立場を完全に裏切って、彼らの仲間にくわわった 〔51〕)は、国際カルテルは資本の国際化の最もきわだった現れの一つであって、資本主義のもとでの諸国民間の平和を期待する可能性をあたえるものだ、と いう見解を表明した。この見解は、理論的には完全に不合理であり、実践的には論弁であって、最悪の日和見主義を不誠実にも擁護する一方法である。国際カル テルは、いまや資本主義的独占体がどの程度まで成長したか、そしてなにをめぐって資本家団体のあいだの闘争がおこなわれているかを、しめしている。この最 後の事情は最も重要である。この事情だけが、いま起こっていること〔52〕の歴史的=経済的意味をわれわれに明らかにしてくれる。というのは、闘争の形態 は、種々の、比較的部分的で一時的な原因によって変化しうるし、またたえず変化するが、闘争の本質、その階級的内容は、階級が存在するかぎり、どうあって も変化しえないからである。いうまでもなく、現代の経済闘争の内容(世界の分割)を塗りかくし、ときに応じてこの闘争のあれこれの形態を強調することは、 たとえばドイツ・ブルジョアジーの利益になることである――カウツキーはその理論的考察において、本質上彼らの側にうつってしまったのだ(このことについ てはなおあとで述べる)。まさにこの誤りをカウツキーはおかしているのである。もちろん、ここで問題になるのはドイツ・ブルジョアジーではなく、全世界の ブルジョアジーである。資本家たちが世界を分割するのは、彼らに特別に悪意があるからではなく、集積の到達した段階が利潤獲得のために彼らをいやおうなく この道に立たせるからである。そのさい、彼らは世界を「資本に応じて」、「力に応じて」分割する、――商品生産と資本主義の体制のもとでは、これ以外の分 割方法はありえない。ところで、力は経済的および政治的発展に応じて変化する。いま起こっていることを理解するためには、どういう問題が力の変化によって 解決されようとしているかを知らなければならない。そして、これが「純粋に」経済的な変化であるか、それとも経済外的な(たとえば軍事的な)変化であるか という問題は、第二義的な問題であって、資本主義の最新の時代にたいする基本的見解をすこしも変えることはできない。資本家団体のあいだの闘争と協約の内 容の問題を、闘争と協約の形態の問題(きょうは平和的で、あすは非平和的で、あさってもまた非平和的である、というような)にすりかえることは、詭弁家の 役割に身をおとすことを意味する。
最新の資本主義の時代はわれわれにつぎのことをしめしている。すなわち、資本家団体のあいだに世界の経済的分割を基礎として一定の関係が形成されつつあ り、そしてこれとならんで、これと関連して、政治的団体のあいだに、諸国家のあいだに、世界の領土的分割を基礎とし、植民地のための闘争、「経済的領土の ための闘争」を基礎として、一定の関係が形成されつつある、ということである。

 

 

 

★   六 列強のあいだでの世界の分割

 地理学者A・ズーパンは『ヨーロッパの植民地の領土的発展』という著書のなかで、一九世紀末におけるこの発展についてつぎのような簡単な要約をしている。〔第14表を参照〕
(*) A・ズーパン『ヨーロッパの植民地の領土的発展』、一九〇六年、二五四ページ。

〔第14表〕 ヨーロッパの植民地領有列強(合衆国をふくむ)に属する土地面積のパーセント
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・1876年・1900年・ 増加率
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アフリカ   ・  10.8%・  90.4%・+ 79.6%
ポリネシア  ・  56.8%・  98.9%・+ 42.1%
アジア    ・  51.5%・  56.6%・+  5.1%
オーストラリア・  100.0%・  100.0%・  ―
アメリカ   ・  27.5%・  27.2%・-  0.3%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「したがって、この時期の特徴はアフリカとポリネシアの分割である」――彼はこうむすんでいる。だがアジアにも アメリカにも未占取の土地、すなわちどの国家にも属さない土地はないのだから、ズーパンの結論を拡張して、この時期の特徴は地球の最後的分割である、とい わなくてはならない。もっともここに最後的というのは、再分割が不可能だという意味ではなく――それどころか、再分割は可能だし、不可避である――、資本 主義諸国の植民政策がわが地球上の未占取の土地の略取を完了した、という意味である。世界ははじめて分割されつくした。だから今後きたるべきものは再分割 だけである。すなわち、無主の状態から「所有主」への移転ではなくて、ある「所有者」から他の「所有者」への移転である。
したがってわれわれは、世界的植民政策の独特な時代に際会しているのであるが、この植民政策は「資本主義の発展の最新の段階」と、金融資本と、きわめて 緊密に結びついている。だから、この時代とまえの諸時代との相違および現在の事態をできるだけ正確に解明するためには、なによりもまず事実資料をもっと詳 しく見る必要がある。この場合なによりもつぎの二つの事実問題がおこる。すなわち、植民政策の強化、植民地のための闘争の激化が、ほかならぬ金融資本の時 代に見うけられるかどうかということと、現在この点で世界はいったいどのように分割されているかということとである。
アメリカの著述家モリスは、植民史にかんする著書(*)のなかで、一九世紀のいろいろな時期におけるイギリス、フランス、ドイツの植民地領土の規模にかんする資料をつくることを試みている〔53〕。彼の得た結果をつぎに簡略にしてかかげよう。〔第15表を参照〕
(*) へンリー・C・モリス『植民史』、ニューヨーク、一九〇〇年、第二巻、八八ページ、第一巻、四一九ページ、第二巻、三〇四ページ。

〔第15表〕 植民地領土の規模
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・   イギリス   ・   フランス   ・   ドイツ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・  面積  ・人口 ・  面積  ・人口 ・  面積  ・人口 
・(100 万平・(100 ・(100 万平・(100 ・(100 万平・(100
・方マイル)・万人)・方マイル)・万人)・方マイル)・万人)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1815―1830・   ? ・ 126.4・  0.02 ・  0.5・  ―  ・ ―
1860  ・   2.5 ・ 145.1・  0.2  ・  3.4・  ―  ・ ―
1880  ・   7.7 ・ 267.9・  0.7  ・  7.5・  ―  ・ ―
1899  ・   9.3 ・ 309.0・  3.7  ・ 56.4・   1.0 ・ 14.7
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 イギリスにとっては、植民地略取が大いに強まった時期は一八六〇―一八八〇年の諸年のことで、一九世紀の最後の 二〇年間もそれが非常に顕著だった時期である。フランスとドイツにとっては、それはまさにこの二〇年間のことである。われわれがさきに見たとおり、独占以 前の資本主義、自由競争の支配していた資本主義の発展が絶頂に達した時期は、一八六〇年代と一ハ七〇年代である。われわれはいまや、まさにこの時期のあと で植民地略取のおそるべき「高揚」がはじまり、世界の領土的分割のための闘争が極度に激化したことを見るのである。したがって、独占資本主義の段階への、 金融資本への資本主義の移行が、世界の分割のための闘争の激化と結びついているという事実は、疑うべくもない。
ホブソンは帝国主義にかんする彼の著述のなかで、一八八四―一九〇〇年の時代を、主要なヨーロッパ諸国家の猛烈な「膨張」(領土拡張)の時代として、と くに区別している。彼の計算によれば、イギリスはこの時期に五七〇〇万の人口をもつ三七〇万平方マイルを、フランスは三六五〇万の人口をもつ三六〇万平方 マイルを、ドイツは一四七〇万の人口をもつ一〇〇万平方マイルを、ベルギーは三〇〇〇万の人口をもつ九〇万平方マイルを、ポルトガルは九〇〇万の人口をも つ八〇万平方マイルを、獲得した。一九世紀末の、とくに一八八〇年代以降の、すべての資本主義国家による植民地追求は、外交史と対外政策史のあまねく知ら れている事実である。
イギリスで自由競争が最も繁栄した時代、一八四〇―一八六〇年代には、この国の指導的なブルジョア政治家たちは植民政策に反対であって、植民地の解放、 イギリスからの植民地の完全な分離を、不可避で有益なことと考えていた。M・ベアは一八九八年に発表した『現代イギリス帝国主義(*)』という論文のなか で、ディスレイリのような、一般的にいえば帝国主義的な傾向のイギリス政治家が、「植民地はわれわれの首にかけられた石うすだ」、といったことを指摘して いる。だが一九世紀の末には、イギリスにおける時代の英雄は、公然と帝国主義を唱道して最大のあつかましさで帝国主義的政策を実行したセシル・ローズや ジョセフ・チェンバレンであった!
(*) 『ノイエ・ツァイト』、第一六年、第一巻、一八九八年、三〇二ページ。

 最新の帝国主義のいわば純粋に経済的な根底と社会=政治的根底との結びつきが、そのころすでにイギリス・ブル ジョアジーのこれらの指導的政治家たちにとってはっきりしていたことは、興味ないことではない。チェンバレンは、イギリスがいまや世界市場でドイツ、アメ リカ、ベルギーから受けている競争をとくに指摘して、帝国主義を「真実の、賢明な、経済的な政策」として唱道した。救いは独占にある――資本家たちはこう いって、カルテルやシンジケートやトラストをつくった。救いは独占にある――ブルジョアジーの政治的首領たちはおうむがえしにこういって、世界のまだ分割 されていない部分の略取をいそいだ。セシル・ローズは、彼の親友の新聞記者ステッドが語ったところによれば、一八九五年に自分の帝国主義的思想についてス テッドにつぎのように言った。「私はきのうロンドンのイースト・エンド(労働者街)にゆき、失業者たちの集会をおとずれた。そしてそこで、パンを、パン を、という叫びだけの荒っぽい演説を聞き、家にかえる途中でそのときの光景をよく考えてみたとき、私はいままでよりもっと帝国主義の重要性を確信するよう になった。・・・・胸に秘めた私の理想は社会問題の解決である。すなわち、連合王国の四〇〇〇万の住民を血なまぐさい内乱から救うためには、われわれ植民 政治家は、過剰人口を住まわせ、工場や鉱山で生産される商品の新しい販路を得るための、新しい土地を手に入れなければならない。私がいつも言っているよう に、帝国とは胃の腑の問題である。もし内乱を欲しないならば、諸君は帝国主義者にならなければならない(*)」。
(*) 『ノイエ・ツァイト』、第一六年、第一巻、一八九八年、三〇四ページ。

 百万長者、金融王、そしてボーア戦争の張本人であるセシル・ローズは、一八九五年にこのように言った。ところ が、彼の帝国主義擁護はやや荒っぽくてあつかましいというだけで、本質的には、マスロフ、ジュデクム、ポトレソフ、ダーヴィドやロシア・マルクス主義の創 始者、その他等々の諸氏の「理論」と違いはない。セシル・ローズはすこしばかりより正直な社会排外主義者だったのである〔54〕・・・・
世界の領土的分割とこの点での最近数十年間における変化のできるだけ正確な姿を描きだすために、世界のすべての強国の植民地領有の問題にかんする前述の 著書のなかでズーパンがあたえている総括的資料を利用しよう。ズーパンは一八七六年と一九〇〇年をとっているが、われわれは一八七六年と一九一四年をと る。一八七六年はきわめて選択の当を得た時点である。なぜなら、大体においてまさにこのころに独占以前の段階における西ヨーロッパ資本主義の発展が完了し た、と考えることができるからである。もうひとつの一九一四年については、ズーパンの数字のかわりにヒューブナーの『地理統計表』によって新しい数字をあ げよう。またズーパンは植民地しかとっていないが、われわれは――世界の分割の完全な姿をしめすために――、非植民地諸国と半植民地諸国にかんする数字を 簡単につけくわえるのが有益だと考える。われわれが半植民地の部類に入れるのはペルシア、中国、トルコで、このうち第一の国はすでにほとんどまったく植民 地になったし、第二と第三の国はそうなりつつある〔55〕。
こうしてつぎの表が得られる。〔第16表を参照〕

〔第16表〕 列強の植民地領土
(面積―100万平方㎞,住民―100万人)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・       植民地       ・   本国   ・   本国
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・  1876年  ・  1914年  ・  1914年  ・  1914年
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 面積 ・ 住民 ・ 面積 ・ 住民 ・ 面積 ・ 住民 ・ 面積 ・ 住民
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イギリス ・ 22.5・ 251.9・ 33.5・ 393.5・  0.3・ 46.5・ 33.8・ 330.0
ロシア  ・ 17.0・ 15.9・ 17.4・ 33.2・  5.4・ 136.2・ 22.8・ 169.4
フランス ・  0.9・  6.0・ 10.6・ 55.5・  0.5・ 39.6・ 11.1・  95.1
ドイツ  ・  ―・  ―・  2.9・ 12.3・  0.5・ 64.9・  3.4・  77.2
合衆国  ・  ―・  ―・  0.3・  9.7・  9.4・ 97.0・  9.7・ 106.7
日本  ・  ・・  ・・  0.3・ 19.2・  0.4・ 53.0・  0.7・  72.2
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6大強国総計・ 40.4・ 273.8・ 65.0・ 523.4・ 16.5・ 437.2・ 81.5・ 960.6
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その他の強国(ベルギー,オランダ,等)の植民地・・・・・・・・・・・・・  9.9・  45.3
半植民地(ペルシア,中国,トルコ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14.5・ 361.2
その他の諸国・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28.0・ 289.9
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全世界・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 133.9・1,657.0
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 われわれはここに、一九世紀と二〇世紀との境目で世界の分割が「完了」したことをはっきり見る。植民地領土は一八七六年以後巨大な規模に拡大した。すなわち、六大強国にあっては四〇〇〇万平方キロメートルから六五〇〇万平方キロメートルへ、一倍半以上に拡大した。増加面
積は二五〇〇万平方キロメートルであって、これは本国の面積(一六五〇万平方キロメートル)の一倍半にあたる。三つの強国は一八七六年にはすこしも植民地 をもっておらず、第四の強国フランスもほとんどもっていなかった。だが一九一四年までに、これらの強国は一四一〇万平方キロメートルの面積の植民地を獲得 していた。これはヨーロッパの面積のほぼ一倍半であって、その人口はほとんど一億人になる。植民地領土の拡大における不均等は非常に大きい。たとえばフラ ンスとドイツと日本を比較すると、これらは面積と人口の点であまり違わないのに、フランスは、ドイツと日本をあわせたもののほとんど三倍(面積の点で)の 植民地を獲得したことがわかる。だが金融資本の規模の点では、フランスはこの時期の初めのころには、おそらく、ドイツと日本をあわせたよりもこれまた何倍 も富裕であった。植民地領土の規模には、純経済的な条件のほかに、それを基礎にして、地理的な条件その他が影響をおよぼす。最近数十年のあいだに、大工業 や交易や金融資本の圧迫のもとで、世界の平準化、さまざまな国における経済条件や生活条件の平均化がどんなにいちじるしくすすんだとしても、それでもやは り少なからぬ相違が残っているのであって、上記の六ヵ国のなかにも、われわれは、一方では、異常に急速に進歩しつつある若い資本主義諸国(アメリカ、ドイ ツ、日本)を見るかとおもうと、他方では、近年前記の諸国よりも進歩がはるかにゆっくりしていた、資本主義的発展の古い国々(フランス、イギリス)を見る し、第三には、経済の点で最も立ちおくれた国(ロシア)を見る。ここでは、最新の資本主義的帝国主義が、いわば、前資本主義的諸関係のとくに細かな網の目 でおおわれている。
列強の植民地領土とならべて、われわれは小国の小さな植民地をかかげておいたが、これらの植民地は、おこりうべき、そしてたしかにおこりそうな植民地 「再分割」の、いわば最も手近な対象である。これらの小国の大部分がその植民地を維持しているのは、ひとえに、大国のあいだに獲物の分配についての協定を 妨げる利害の対立やあつれきその他があるおかげである。「半植民地」国家についていえば、それらは、自然と社会のすべての分野に見うけられるあの過渡的形 態の一例をしめしている。金融資本は、あらゆる経済関係とあらゆる国際関係において、きわめて大きな、決定的ともいえるほどの力であるから、それは、完全 な政治的独立を享有している国家をさえ従属させる能力があるし、実際にも従属させている。われわれはすぐあとでその実例を見るであろう。だが、いうまでも なく、金融資本に最大の「便宜」と最大の利益をあたえるのは、従属する国と民族との政治的独立の喪失と結びついているような従属である。半植民地はこの点 での「中間物」として典型的である。これらの半従属諸国をめぐる闘争が、残りの世界がすでに分割されてしまった金融資本の時代にとくに激化せずにおかな かったのも、当然である。
植民政策と帝国主義は資本主義の最新の段階以前にも存在したし、資本主義以前にすら存在した。奴隷制に基礎をおくローマは植民政策を遂行し、帝国主義を 実現した。しかしもろもろの経済的社会構成体の根本的相違をわすれ、あるいは背後に押しやって、帝国主義について「一般的」に論じるような議論は、不可避 的に、「大ローマと大ブリテン」とを比較するというような空虚な駄弁や駄ぼらにならずにはおかない(*)。資本主義の従前の諸段階の資本主義的植民政策で さえ、金融資本の植民政策とは本質的に異なるのである。
(*) C・P・ルーカス『大ローマと大ブリテン』、オックスフォード、一九一二年、あるいはクローマー伯『古代帝国主義と近代帝国主義』、ロンドン、一九一〇年。

 最新の資本主義の基本的特質は、巨大企業家たちの独占団体の支配ということである。このような独占体は、すべて の原料資源を一手ににぎっているときに最も強固である。そして国際的資本家団体が、対抗者から競争のあらゆる可能性をうばうために、たとえば、鉄鉱山や油 田その他を買いしめるために、どんなに熱心に努力しているかは、すでにわれわれが見たとおりである。植民地の領有だけが、競争相手との闘争のあらゆる偶発 事――対抗者が国家専売法によって自分をまもろうと思うかもしれないというような偶発事までもふくめて――にたいして、独占が成功する完全な保障をあたえ る。資本主義が高度に発展すればするほど、原料の不足が強く感じられれば感じられるほど、また全世界における競争と原料資源の追求が激化すればするほど、 植民地獲得のための闘争はそれだけ死にものぐるいになる。
シルダーはつぎのように書いている。「一部の人にはおそらく逆説的と思われるだろうが、都市工業人口の増加は、多少とも近い将来に、食料品の不足による よりはむしろ工業原料の不足によって抑制されることになりかねない、という主張をすることもできよう」。たとえば、木材の不足がひどくなっているので、木 材価格はますます高騰している。皮革や繊維工業の原料もおなじである。「工業家の団体は世界経済全体の範囲で農業と工業との均衡をつくりだそうと試みてい る。その例として一九〇四年以来存在している、いくつかの最も重要な工業国における綿紡績業者の団体の国際的連合や、一九一〇年にこれにならって設立され たヨーロッパの麻紡績業者団体の連合を、あげることができる(*)」。
(*) シルダー、前掲書、三八―四二ページ。

 もちろん、ブルジョア的改良主義者たちは、また彼らのなかでとくに今日のカウツキー主義者たちは、この種の事実 の意義を弱めようと試みて、つぎのことを指摘している。すなわち、原料は「高価で危険な」植民政策なしにも自由市場で入手することが「できるであろう」と か、原料の供給は農業一般の条件の「たんなる」改善によっていちじるしく増大させることが「できるであろう」とかいうのである。しかしこのような指摘は帝 国主義の弁護、美化に転化する。なぜなら、その基礎には、最新の資本主義の主要な特質である独占の忘却があるからである。自由市場はますます過去のものと なりつつあり、独占的なシンジケートやトラストは日ごとに自由市場を狭めている。そして農業の条件の「たんなる」改善というのは、つきつめれば、大衆の状 態を改善し、賃金を引き上げ、利潤を減少させることである。いったい、植民地を征服するかわりに大衆の状態に配慮することのできるトラストなどというもの が、甘ったるい改良主義者の幻想以外のどこに存在するだろうか?
金融資本にとっては、すでに開発されている原料資源だけが意義をもっているのではない。ありうべき資源もまたそうである。なぜなら、今日、技術は信じら れないほどの速さで発展しており、きょうは役にたたない土地も、新しい方法が発見されれば(このために、大銀行は技師や農学者その他の特別遠征隊を用意す ることができる)、またもっと多くの資本支出がなされるなら、あすは役にたつものになりうるからである。鉱物資源の探査、あれこれの原料の新しい加工法や 利用法、その他等々についても、おなじである。そこで、金融資本は不可避的に経済的領土の拡張、さらには領土一般の拡張に努力することになる。トラスト が、将来「ありうべき」(現在のではなく)利潤を計算に入れ、独占の将来の成果を計算に入れて、その財産を二倍にも三倍にも評価して資本化するのとおなじ ように、一般に金融資本も、ありうべき原料資源を計算に入れ、まだ分割されていない世界の土地の最後の一片のための、あるいはすでに分割されている土地の 再分割のための、気違いじみた闘争でおくれをとることをおそれて、どんな土地であろうと、それがどこにあろうと、どのようにしてであろうと、できるだけ多 くの土地を略取しようと努力するのである。
イギリスの資本家は自分たちの植民地エジプトで綿花の生産を発展させようと、さまざまに努力している。一九〇四年には、エジプトの可耕地二三〇万ヘク タールのうちすでに六〇万ヘクタールが、すなわち四分の一以上が綿花栽培地であった。またロシアの資本家は自分たちの植民地トゥルケスタンでおなじことを している。それは、こうすることによって彼らは、よりたやすく外国の競争相手に打撃をくわえることができるし、よりたやすく原料資源を独占するようになる ことができるし、また、「結合された」生産をもち、綿花の生産と加工のすべての段階を一手に集中した、より経済的で利潤の多い繊維トラストを、よりたやす く設立できるようになるからである。
資本輸出の利益も同様に植民地の征服に押しやる。なぜなら、植民地市場では、独占的方法によって競争相手を排除し、供給を確保し、適当な「結びつき」をかためる等々のことが、よりたやすい(いや、ときにはここでだけそういうことが可能である)からである。
金融資本の基礎上に成長する経済外的上部構造、すなわち金融資本の政策やイデオロギーは、植民地征服の熱望を強める。「金融資本は、自由ではなく支配を 欲する」とヒルファディングは正当にも述べている〔56〕。またフランスの一ブルジョア著述家は、さきに引用したセシル・ローズの思想をいわば発展させ補 足して、現代の植民政策の経済的諸原因に社会的諸原因をつけくわえるべきだと書いている。「生活が複雑になり、生活難が増大して、これが労働大衆だけでな く中産階級をも圧迫するようになるため、すべての旧文明諸国で『焦慮、憤怒、憎悪が蓄積されて、これが社会の平穏を脅かしている。ある一定の階級的軌道か らほとばしりでるエネルギーは、行き場を見つけなければならない。国内で爆発しないように、そのエネルギーは国外で発散させられなければならない (*)』」。
(*) ワール『植民地におけるフランス』――アンリ・リュシエ『大洋州の分割』、パリ、一九〇五年、一六五ページから引用。

 資本主義的帝国主義の時代の植民政策について述べる以上、金融資本とそれに照応する国際政策――それは、世界の 経済的および政治的分割のための列強の闘争に帰着するが――は、国家的従属の一連の過渡的形態をつくりだすということを、注意しておかなければならない。 この時代にとって典型的なのは、植民地領有国と植民地という二つの基本的国家群だけでなく、政治的に、形式的には独立国でありながら、実際には金融上およ び外交上の従属の網でがんじがらめにされている、種々さまざまな形態の従属国もそうである。これらの形態のうちの一つ――半植民地――については、すでに さきに指摘した。もう一つの形態の見本は、たとえばアルゼンティンである。
シュルツェ―ゲーヴァニッツはイギリス帝国主義にかんする著述のなかでつぎのように書いている。「南アメリカ、とくにアルゼンティンは、ほとんどイギリ スの商業植民地と呼んでもよいほど、ロンドンに金融的に従属している(*)」。イギリスがアルゼンティンに投下している資本を、シルダーは、ブエノスアイ レス駐在オーストリア=ハンガリー領事の一九〇九年度報告によって、八七億五〇〇〇万フランと算定した。このためイギリスの金融資本――およびその忠実な 「友人」である外交――が、アルゼンティンのブルジョアジー、その国の経済生活と政治生活全体の指導者層と、どんなに強固な結びつきをもつようになってい るかは、想像にかたくない。
(*) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『二〇世紀初頭のイギリス帝国主義とイギリス自由貿易』、ライプツィヒ、一九〇六年、三一八ページ。ザルトリウス・ フォン・ヴァルタースハウゼンもおなじことを述べている。『国外投資の国民経済体系』、ベルリン、一九〇七年、四六ページ。

 政治的独立をたもちながら金融的および外交的に従属していることのいくらか違った形態をしめしているのが、ポル トガルの例である。ポルトガルは独立の主権国家であるが、事実上は二〇〇年以上のあいだ、すなわちスペインの王位継承戦争(一七〇一―一七一四年)のとき 以来、イギリスの保護下にある。イギリスは自分の対抗者であるスペインやフランスとの闘争での自分の立場を強化するために、ポルトガルとその植民地領土を 擁護した。イギリスはそれとひきかえに通商上の特恵、すなわち、ポルトガルおよびその植民地への商品の輸出ととくに資本の輸出のための他国より有利な条件 や、ポルトガルの港湾、島、海底電線を利用する可能性、その他等々を獲得した(*)。個々の大国と小国とのあいだのこの種の関係はいつの世にもあった。し かし資本主義的帝国主義の時代には、それは一般的な体系となり、「世界の分割」の諸関係の総体のなかの一部分となり、世界金融資本の諸活動の鎖の環に転化 している。
(*) シルダー、前掲書、第一巻、一六〇―二八一ページ。

 世界の分割の問題を終えるにあたって、なおつぎのことを注意しておかなければならない。アメリカ=スペイン戦争 後のアメリカ文献とボーア戦争後のイギリス文献だけが、まさに一九世紀末から二〇世紀初めにかけてこの問題をまったく公然と、そしてきっぱり提起したので はないし、まただれよりも「嫉妬ぶかく」「イギリス帝国主義」をあとづけていたドイツ文献だけがこの事実を系統的に評価したのでもない。フランスのブル ジョア文献のなかでも、この問題は、ブルジョア的見地から考えられるかぎりで十分にきっぱり、また広範に提起されている。歴史家ドリオを引合いに出そう。 彼は著書『一九世紀末における政治問題と社会問題』のなかの「列強と世界の分割」という章でつぎのように書いている。「近年、中国をのぞき、地球上のすべ ての自由な土地は、ヨーロッパと北アメリカの列強によって占取された。このことが基礎になってすでにいくつかの衝突と勢力の移動がおこったが、これは近い 将来におけるもっと恐ろしい爆発の前兆である。なぜなら、いそがなければならないからである。なにも確保しなかった国民は、今後けっして自分の分け前をも らえず、またつぎの世紀(すなわち二〇世紀)の最も本質的な事実となるであろう地球のあの大規模な開発に参加できない恐れがある。だからこそ全ヨーロッパ とアメリカは近時、植民地拡張の熱病に、一九世紀末の最も顕著な特徴である『帝国主義』の熱病に、とりつかれてしまったのである」。そして著者はつけくわ えている。「この世界分割のもとで、地上の宝庫と大市場をめざすこの気違いじみた追求のなかで、今一九世紀に建設された諸帝国の相対的な力は、それらの帝 国を建設した諸国民がヨーロッパで占めている地位とまったく釣りあわなくなっている。ヨーロッパで優位にある諸強国、すなわちヨーロッパの運命の決定者 が、全世界でも同様に優位にあるわけではない。そして植民地の威力、まだ算定されていない富を支配しようという希望は、明らかにヨーロッパの列強の相対的 な力に反作用をおよぼすであろうから、そのため、すでにヨーロッパ自身の政治的諸条件を変化させた植民地問題――あるいはそういいたければ『帝国主義』 ――は、その政治的諸条件をさらにいっそう変化させるであろう(*)。」
(*) J・ドリオ『政治問題と社会問題』、パリ、一九〇七年、二九九ページ。

 

★  七 資本主義の特殊の段階としての帝国主義

 いまやわれわれは一応のしめくくりをし、帝国主義について以上に述べたことを総括してみなければならない。帝国 主義は、資本主義一般の基本的諸特質の発展および直接の継続として生じた。だが資本主義が資本主義的帝国主義になったのは、やっとその発展の一定の、非常 に高い段階でのことであり、資本主義のいくつかの基本的特質がその対立物に転化しはじめ、資本主義からより高度の社会=経済制度への過渡期の諸特徴があら ゆる面で形成され、表面に現われたときのことである。この過程で経済的に基本的なのは、資本主義的自由競争に資本主義的独占がとってかわったことである。 自由競争は資本主義および商品生産一般の基本的特質である。独占は自由競争の直接の対立物であるが「この自由競争が、大規模生産をつくりだし、小規模生産 を駆逐し、大規模生産を巨大な規模の生産によっておきかえ、生産と資本との集積を、そのなかから独占――カルテル、シンジケート、トラスト、および、幾十 億の金をちごかすおよそ一〇ほどの銀行の、これらと融合した資本――がすでに発生し、いまも発生しつつあるほどにまでみちびき、こうしてわれわれの目のま えで独占に転化しはじめたのである。それと同時に、独占は、自由競争から生長しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえにこれとならんで存在し、そ のことによって幾多のとくに先鋭で激烈な矛盾、あつれき、衝突を生みだす。独占は資本主義からより高度の制度への過渡である
もし帝国主義のできるだけ簡単な定義をあたえなければならないとしたら、帝国主義とは資本主義の独占段階である、というべきであろう。この定義は最も主 要なものをふくんでいるであろう。なぜなら、一方では、金融資本は、産業家の独占団体の資本と融合した、少数の独占的な巨大銀行の銀行資本であり、他方で は、世界の分割は、まだどの資本主義的強国によっても略取されていない領域へ妨げられずに拡張しうる植民政策から、くまなく分割された領土の独占的領有と いう植民政策への移行だからである。
しかしあまりにも簡単すぎる定義は、なるほど主要なものを総括するので便利であるとはいえ、定義すべき現象のきわめて本質的な特徴をその定義からとくに 引きださなければならないとなると、やはり不十分である。だから、定義というものはけっして現象の全面的な関連をその完全な発展のうちにとらえうるもので はないという、一般にすべての定義のもつ条件的で相対的な意義をわすれることなしに、つぎの五つの基本的標識をふくむような、帝国主義の定義をあたえなけ ればならない。(一)生産と資本との集積が、経済生活で決定的な役割を演ずる独占をつくりだすほどに高い発展段階に達したこと。(二)銀行資本と産業資本 が融合し、この「金融資本」を基礎にして金融寡頭制がつくりだされたこと。(三)商品の輸出とは異なる資本の輸出がとくに重要な意義を獲得しつつあるこ と。(四)世界を分割する資本家の国際的独占団体が形成されつつあること。(五)最大の資本主義列強による地球の領土的分割が完了していること。帝国主義 とは、独占体と金融資本との支配が形成されて、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、最大の資本主義諸国による地球 の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である。
なおあとで見るように、もし基本的な純経済的概念(右の定義はこれに限定されている)だけでなく、資本主義一般にたいする資本主義のこの段階の歴史的地 位とか、あるいは労働運動の内部における二つの基本的傾向と帝国主義との関係を考慮に入れれば、帝国主義についてこれとは別様に定義することができるし、 またしなければならない。だがいまは、右に指摘した意味に理解される帝国主義は、疑いもなく、資本主義の特殊の発展段階であるということを、注意しておく 必要がある。帝国主義についてできるだけ根拠ある観念を読者にあたえるために、われわれはことさら、最新の資本主義経済のとくに争う余地なく明確な事実を 承認することをよぎなくされているブルジョア経済学者の論説を、できるだけ多く引用することにつとめた。銀行資本等々がまさにどの程度まで成長したか、量 の質への移行、すなわち発展した資本主義の帝国主義への移行がまさにどういう点に現われているか、ということを見せてくれる詳しい統計資料を引用したの も、これと同じ目的からであった。もちろん、いうまでもなく、自然や社会における境界はすべて条件的で可動的なものであるから、たとえば帝国主義が「最終 的に」確立されたのは何年のことか、あるいは何十年代のことか、などということについて論争するのは、ばかげたことであろう。
しかし帝国主義の定義について、まずだれよりも、いわゆる第二インタナショナルの時代の、すなわち一八八九―一九一四年の二五年間の、主要なマルクス主 義理論家であるK・カウツキーと論争しなければならない。われわれがあたえた帝国主義の定義のなかで表現されている基本的思想にたいして、カウツキーは一 九一五年に、いやすでに一九一四年一一月にまったく決然と反対して、つぎのように言明した。――帝国主義は、経済の一「局面」あるいは段階と理解すべきで はなくて、政策と、すなわち金融資本が「好んでもちいる」一定の政策と、理解すべきである。帝国主義と「現代資本主義」とを同一視してはならない。もし帝 国主義を「現代資本主義のすべての現象」――カルテル、保護政策、金融業者の支配、植民政策――と理解すると、資本主義にとっての帝国主義の必然性の問題 は、「最も月なみな同義反復」に帰してしまう。なぜなら、そうとすると、「帝国主義は、当然、資本主義にとって死活の必要物だ」ということになるからであ る。等々。カウツキーのこの考えは、われわれの叙述した思想の本質にまっこうから反対して彼があたえた帝国主義の定義を引用することによって、なによりも 正確にあらわせるであろう(なぜなら、長年のあいだこれと同様の思想を説いてきたドイツのマルクス主義者の陣営内の異論は、マルクス主義内の一定の潮流の 異論として、カウツキーには早くから知られていたことだからである)。
カウツキーの定義はつぎのようにいっている。
「帝国主義は高度に発展した産業資本主義の産物である。それは、そこにどんな民族が住んでいるかにかかわりなく、ますます大きな農業地域(傍点はカウツキー)を隷属させ併合しようという、あらゆる産業資本主義的民族の志向である(*)」。
(*) 『ノィエ・ツァイト』、一九一四年、第二巻(第三二年)、九〇九ページ、一九一四年一一月一一日号。なお一九一五年、第二巻、一〇七ページ以下を参照〔57〕。

 この定義はまったくなんの役にもたたない。なぜなら、それは一面的だからである。すなわち、それはかってに民族 問題だけを(それは、そのものとしても、また帝国主義にたいする関係においても、いちじるしく重要なものではあるが)とりだし、しかもそれを、かってに、 またまちがって、他の民族を併合する国の産業資本とだけ結びつけ〔58〕、おなじくかってに、またまちがって、農業地域の併合を取りだしているからであ る。
帝国主義は併合への志向である――カウツキーの定義の政治的部分はまさにこれに帰着する。その部分は正しいが、しかしきわめて不完全である。なぜなら、 政治的には、帝国主義は一般に強圧と反動とへの志向だからである。しかしわれわれがここで論じているのは問題の経済的側面であって、カウツキー自身もその 側面を彼の定義のなかにとりいれているのである。カウツキーの定義のなかの誤りは明白である。帝国主義にとって特徴的なのは、まさに産業資本ではなく、金 融資本である。フランスで、産業資本が弱まったのに、まさに金融資本がとくに急速に発展したため、前世紀の八〇年代に併合(植民)政策が極度に先鋭化した のも、げっして偶然ではない。また帝国主義にとって特徴的なのは、まさに、農業地域だけでなく最も工業的な地域をも併合しようという志向である(ドイツは ベルギーに、フランスはローレーヌに食指をうごかしている)。というのは、第一に、地球の分割が完了しているので、再分割にあたっては、どんな土地にも手 を出さなければならなくなっているからであり、第二に、帝国主義にとっては、ヘゲモニーをにぎろうと努力する、すなわち、直接に自分のためというよりも、 むしろ相手を弱めてそのヘゲモニーをくつがえすために土地を略取しようと努力する、いくつかの強国の競争が本質的だからである(ドイツにとってはベルギー はイギリスにたいする拠点として、イギリスにとってはバグダードはドイツにたいする拠点として、特別に重要である、等々)。
カウツキーは、帝国主義ということばの純政治的意義を彼カウツキーのいう意味で確立したといわれるイギリス人たちを、とくに――しかもたびたび――引合 いに出している。そこでイギリス人ホブソンをとってみよう。一九〇二年に出版された彼の著書『帝国主義論』には、つぎのように書いてある。
「新しい帝国主義はつぎの点で古い帝国主義と異なる。第一に、一個の成長しつつある帝国の野望にかわって、それぞれ政治的膨脹と商業的利益とにたいする 同様の欲求によって誘導されている、競争しあういくつかの帝国の理論と実践が現われたことであり、第二に、金融上の利益あるいは資本投下の利益が商業上の 利益に優越していることである(*)」。
われわれは、カウツキーがイギリス人を一般に引合いに出すのは事実のうえから絶対にまちがいであることを知る(彼はせいぜい、イギリスの俗流帝国主義者 あるいは帝国主義の公然たる弁護者を引合いに出せるだけであろう)。われわれはまた、カウツキーが、自分ではマルクス主義の擁護をつづけているつもりに なっていても、実際には社会自由主義者ホブソンとくらべて一歩後退していることを知る。ホプソンは現代帝国主義の二つの「歴史的に具体的な」(カウツキー は彼の定義によってこの歴史的具体性をまさに愚弄しているのだ!)特性を、すなわち(一)いくつかの帝国主義の競争と(二)商人にたいする金融業者の優越 を、より正しく考慮に入れている。だがもし工業国が農業国を併合することが主として問題であるのなら、商人の傑出した役割が前面に押しだされるわけであ る。
カウツキーの定義はまちがっていてマルクス主義的でないだけでない。それは、すべての面でマルクス主義理論ともマルクス主義的実践とも手を切ったもろも ろの見解の全体系の基礎として役だつものであるが、このことについてはなおあとで述べよう。カウツキーがもちだした用語上の争い、すなわち、資本主義の最 新の段階を帝国主義と呼ぶべきか、金融資本の段階と呼ぶべきかということは、まったくくだらないことである。呼びたいように呼ぶがよい。それはどうでもよ いことだ。ことの本質は、カウツキーが帝国主義の政策をその経済から切りはなし、併合を金融資本の「好んでもちいる」政策と説明し、この政策に、金融資本 というこの同じ基盤のうえで可能であるという他のブルジョア的政策を対置していることにある。これでは、経済における独占が政治における非独占的な、非強 圧的な、非侵略的な行動様式と両立しうることになる。また、ほかならぬ金融資本の時代に完了し、最大の資本主義諸国家のあいだの競争の現代の形態の特異性 の基礎をなす地球の領土的分割が、非帝国主義的政策と両立しうることになる。こうして、資本主義の最新の段階の最も根本的な諸矛盾の深刻さをあばきだすか わりに、それらを塗りかくし、鈍く見せることになり、マルクス主義のかわりにブルジョア的改良主義が得られるのである。
カウツキーは帝国主義と併合のドイツ人弁護者クノーと論争している。クノーは不器用に、しかもあつかましくつぎのように論じている。帝国主義は現代資本 主義である。資本主義の発展は不可避であり進歩的である。だから帝国主義は進歩的である。だから帝国主義のまえにひれふし、これを賛美しなければならな い!と。これは、一八九四―一八九五年にナロードニキが〔60〕ロシアのマルクス主義者に反対して描いた漫画と、まずは同じようなものである。もしマルク ス主義者がロシアにおける資本主義を不可避で進歩的なことと考えるのなら、マルクス主義者は居酒屋でもひらいて資本主義の扶植に従事すべきである 〔61〕、というのである。カウツキーはクノーに反論していう。いや、帝国主義は現代資本主義のことではなく、現代資本主義の政策の一形態にすぎない。だ からわれわれはこの政策とたたかい、帝国主義、併合、等々とたたかうことができるし、またたたかわなければならない、と。
この反論はいかにももっともらしく見えるが、実際には、それは帝国主義との和解のより巧妙な、より隠蔽された(だからまたより危険な)説教である。なぜ なら、トラストや銀行の経済の基礎に手を触れないでトラストや銀行の政策と「闘争」することは、ブルジョア的改良主義と平和主義に帰着し、お人好しであど けない願望に帰着するからである。存在する諸矛盾をその全根底から暴露するかわりに、それらの矛盾を回避し、それらのうちの最も重要なものをわすれるこ と、――これこそ、マルクス主義とは緑もゆかりもないカウツキー理論である。このような「理論」がクノー一派との統一の思想を擁護するのに役だつだけなの は、明らかである!
カウツキーは書いている。「純経済的見地からすれば、資本主義がなお一つの新しい段階を、すなわち、カルテルの政策の対外政策への転移を、超帝国主義の 段階をとおることは、ありえないことではない(*)」。この超帝国主義の段階というのは、全世界の帝国主義者があいたたかうのではなくて合同する段階であ り、資本主義のもとで戦争がなくなる段階であり、「国際的に連合した金融資本による世界の共同搾取(**)」の段階なのである。
(*) 『ノイエ・ツァイト』、一九一四年、第二巻(第三二年)、一九一四年一一月一一日号、九二一ページ。一九一五年、第二巻、一〇七ページ以下を参照。
(**) 『ノイエ・ツァィト』、一九一五年、第一巻、一九一五年四月三〇日号、一四四ページ。

 この「超帝国主義の理論」については、それがマルクス主義とどれほど決定的に、どうにもならないまでに絶縁して いるかを詳しくしめすために、われわれはまたあとで論じなければならない。ここでは、この概説の一般的計画にしたがって、この問題に関係ある正確な経済的 資料に目を向けてみる必要がある。いったい「純経済的な見地から」して「超帝国主義」は可能であろうか、それともこれは超ノンセンスであろうか?
もし純経済的見地ということを「純粋の」抽象と解するなら、言いうろことのすべては、要するに、発展は独占にむかっており、したがって一つの全世界的独 占に、一つの全世界的トラストにむかっている、という命題に帰着するであろう。これは争う余地がない。だがこれは、「発展は」実験室内での食糧の生産に 「むかっている」という指摘とおなじように、まったく無内容である。この意味で、超帝国主義の「理論」は「超農業の理論」とおなじくらいばかげている。
もし二〇世紀の初めにあたる歴史的に具体的な時代としての金融資本の時代の「純経済的」事情について語るなら、「超帝国主義」という死んだ抽象(現存す る諸矛盾の深刻さから人々の注意をそらすという、きわめて反動的な目的に役だつもの)にたいする最良の回答は、現代の世界経済の具体的な経済的現実をそれ に対置することである。超帝国主義にかんするカウツキーの無内容きわまるおしゃべりは、とりわけ、金融資本の支配は、実際には世界経済の内部の不均等性と 矛盾を激化させているのに、それらを弱めるかのようにいう、根本からまちがった、そして帝国王義の弁護者たちに力をかす思想を、鼓吹するものである 〔62〕。
R・カルヴァーは小著『世界経済入門(*)』のなかで、一九世紀と二〇世紀との境目のころにおける世界経済内部の相互関係について具体的な観念をあたえ うる、最も主要な純経済的資料を総括する試みをした。彼は全世界をつぎの五つの「主要な経済地域」に区分している。(一)中央ヨーロッパ地域(ロシアとイ ギリスをのぞく全ヨーロッパ)、(二)イギリス地域、(三)ロシア地域、(四)東アジア地域、(五)アメリカ地域。植民地は、それが属する国家の「地域」 にふくめてあるが、どの地域にも配分されない少数の国、たとえばアジアのペルシア、アフガニスタン、アラビア、アフリカのモロッコ、アビシニアなどは、 「度外視してある」。
(*) R・カルヴァー『世界経済入門』、ベルリン、一九〇六年。

 つぎに、これらの地域にかんする彼のあげた経済的資料を、簡略にしてしめそう。〔第17表を参照〕

〔第17表〕
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・ 面積 ・ 人口 ・  交通機関  ・ 貿易 ・ 工業
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世界の主要な・(100 万・(100 ・ 鉄道 ・商船 ・輸出入・石炭採・銑鉄生・綿紡績
経済的地域 ・平方㎞)・万人)・(1000・(100 ・合計 ・堀高 ・産高 ・業の紡
・    ・   ・ ㎞)・ 万ト ・(10億・(100 ・(100 ・錘数
・    ・   ・   ・ ン)・ マル ・ 万ト ・ 万ト ・(100
・    ・   ・   ・   ・ ク) ・ ン) ・ ン) ・ 万)
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(1) 中央ヨーロ・ 27.6 ・ 388 ・ 204 ・  8 ・  41 ・ 251 ・ 15  ・  26
ッパ地域 ・(23.6)・ (146)・   ・   ・   ・   ・   ・
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(2) イギリス ・ 28.9 ・ 398 ・ 140 ・  11 ・  25 ・ 249 ・ 9  ・  51
地域   ・(28.6)・ (355)・   ・   ・   ・   ・   ・
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(3) ロシア地域・  22 ・ 131 ・  63 ・  1 ・  3 ・  16 ・ 3  ・  7
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(4) 東アジア ・  12 ・ 389 ・  8 ・  1 ・  2 ・  8 ・ 0.02・  2
地域   ・    ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・
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(5) アメリカ ・  30 ・ 148 ・ 379 ・  6 ・  14 ・ 245 ・ 14  ・  19
地域   ・    ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・
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( )内の数字は植民地の面積と人口

 われわれは、資本主義の高度に発展した(交通機関も貿易も工業も大いに発展した)三つの地域、すなわち中央ヨー ロッパ地域、イギリス地域、アメリカ地域を見る。これらの地域には世界を支配している三つの国家、ドイツ、イギリス、合衆国がある。それらのあいだの帝国 主義的競争と闘争は、ドイツがとるにたりない地域とわずかな植民地しかもっていないことから、極度に先鋭化している。「中央ヨーロッパ」ができあがるのは なお将来のことであって、それが生まれるのは死にものぐるいの闘争のうちにである。いまのところ、全ヨーロッパの特徴は政治的細分状態である。イギリス地 域とアメリカ地域では、これと反対に、政治的集中度が非常に高い。しかし、前者は広大な植民地をもっているのに後者はとるにたりない植民地しかもっていな いという大きな不均衡がある。ところで植民地では資本主義は発展しはじめたばかりである。南アメリカをめざす闘争はますます激化している。
二つの地域は資本主義の発展の微弱な地域で、これはロシア地域と東アジア地域である。前者では人口の密度がきわめて低く、後者ではきわめて高い。また前 者では政治的集中度が大きいが、後者ではそれが欠けている。中国の分割はやっとはじまったばかりである。そして中国をめぐる日本、合衆国、その他のあいだ の闘争は、しだいにますます激化している。
この現実――経済的および政治的諸条件がこのように非常に多様であり、さまざまな国の成長速度その他に極度の不均衡があり、帝国主義諸国家のあいだに凶 暴な闘争がおこなわれているというこの現実――を、「平和な」超帝国主義というカウツキーのばかげきったおとぎ話と対比してみたまえ。これは、びっくり仰 天した小市民が恐ろしい現実から身をかくそうという反動的な企てではないだろうか? カウツキーには「超帝国主義」の萌芽と思われる(実験室での錠剤の生 産を超農業の萌芽と宣言「できる」のと同様に)国際カルテルは、世界の分割と再分割の実例平和的な分割から非平和的な分割への移行およびその逆の移行の実 例を、われわれにしめすものではないだろうか? ドイツの参加を得てたとえば国際軌条シンジケートや国際海運トラストにおいて全世界を平和的に分割してい た、アメリカその他の金融資本は、まったく非平和的な方法によって一変されつつある新しい力関係にもとづいて、いま世界を再分割しつつあるのではないだろ うか?
金融資本およびトラストは、世界経済のさまざまな部分の成長速度の相違を弱めるものではなく、むしろ強めるものである。ところで、力関係が変化した場 合、資本主義のもとでは、矛盾の解決は力による以外になににもとめえようか? 世界経済全体における資本主義と金融資本との成長速度の相違についてのきわ めて精密な資料を、われわれは鉄道統計のうちに見いだす(*)。帝国主義発展の最近の数十年間に、鉄道の延長はつぎのように変化した。〔第18表を参照〕
(*) 『ドイツ帝国統計年鑑』、一九一五年、『鉄道事業記録』、一八九二年。一八九〇年度におけるいろいろな国の植民地のあいだの鉄道の分布については、細部はいくらか概算しなげればならなかった。

〔第18表〕
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・1890年・1913年・ 増加率
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ヨーロッパ    ・ 224   ・ 346   ・+ 122
アメリカ合衆国  ・ 268   ・ 411   ・+ 143
全植民地     ・ 82・ 125・ 210・ 347・+ 128・ 222
アジアとアメリカの・ 43・  ・ 137・  ・+ 94・
独立国と半独立国 ・     ・     ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 617   ・1,104   ・
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 したがって、鉄道の発展は、アジアとアメリカの植民地と独立国(および半独立国)で最も急速にすすんだわけであ る。周知のように、四つか五つの最大の資本主義国家の金融資本が、この地域で全面的に君臨し支配している。植民地とアジア、アメリカのその他の国々におけ る二〇万キロメートルの新しい鉄道、それは、四〇〇億マルク以上の新しい資本の投下がとくに有利な条件でおこなわれ、収益がとくに保障され、製鋼所に利益 の多い注文がなされる、その他等々のことを意味する。
資本主義は植民地と海外諸国で最も急速に成長しつつある。それらのなかに新しい帝国主義的諸強固(日本)が出現している。世界帝国主義の闘争は激化して いる。金融資本が植民地や海外のとくに有利な企業から取りたてる貢物が増大している。この「雑物」の分配にあたって、異常に大きな部分が、生産力の発展速 度の点でかならずしも第一位を占めていない国々の手に落ちている。植民地をふくめた最大の諸強国における鉄道の延長は、つぎのとおりであった。〔第19表 を参照〕

〔第19表〕  (単位 1000㎞)
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・1890年・1913年・ 増加
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合衆国   ・ 268 ・ 413 ・ 145
イギリス帝国・ 107 ・ 208 ・ 101
ロシア   ・ 32 ・ 78 ・ 46
ドイツ   ・ 43 ・ 68 ・ 25
フランス  ・ 41 ・ 63 ・ 22
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5強国合計 ・ 491 ・ 830 ・ 339
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 このように、鉄道の全延長の約八〇%が五つの最大の強国に集積されている。しかしこれらの鉄道の所有の集積、金 融資本の集積は、これよりずっといちじるしい。なぜなら、アメリカ、ロシアその他の鉄道の大量の株式や社債が、たとえばイギリスとフランスの百万長者の手 にあるからである。
イギリスはその植民地のおかげで「その」鉄道網を一〇万キロメートル増加させたが、これはドイツの増加の四倍にあたる。ところが周知のように、この期間 におけるドイツの生産力の発展は、とくに石炭業と製鉄業の発展は、フランスやロシアはいうまでもなく、イギリスとくらべてさえ、比較にならないくらい急速 であった。一八九二年には銑鉄の生産高はイギリスの六八〇万トンにたいしてドイツは四九〇万トンであったが、一九一二年にはもはや九〇〇万トンにたいして 一七六〇万トンであって、イギリスより圧倒的に優位にある(*)! そこでたずねるが、資本主義の基礎上では、一方における生産力の発展および資本の蓄積 と、他方における金融資本のための植民地および「勢力範囲」の分割とのあいだの不均衡を除去するのに、いったい戦争以外にどんな手段がありえようか?
(*) なお、エドガー・クラモンド『イギリス帝国とドイツ帝国との経済的関係』――『王立統計協会雑誌』、一九一四年七月、七七七ページ以下を参照。

 

 

★  八 資本主義の寄生性と腐朽

 さてこんどは、帝国主義のもう一つの非常に重要な側面について論じなければならない。この側面は、このテーマに かんする大多数の議論で、多くの場合十分に評価されていないものである。マルクス主義者ヒルファディングの欠陥の一つは、彼がこの点で非マルクス主義者ホ ブソンとくらべて一歩後退したことである。私がいうのは、帝国主義に固有の寄生性のことである。
さきに見たように、帝国主義の最も奥深い経済的基礎は独占である。これは資本主義的独占であり、すなわち、資本主義から成長してきて、資本主義、商品生 産、競争という一般的環境のうちにある、そしてこの一般的環境とのたえまない、活路のない矛盾のうちにある、独占である。しかしそれにもかかわらず、それ は、あらゆる独占とおなじように、不可避的に停滞と腐朽の傾向を生みだす。たとえ一時的にでも独占価格が設定されると、技術的進歩にたいする、したがって またあらゆる他の進歩、前進運動にたいする刺激的要因がある程度消滅し、さらには技術的進歩を人為的に阻止する経済的可能性が現われる。たとえば、アメリ カでオーウェンスという人が、ビンの製造に革命をもたらすようなビン製造機を発明した。ドイツのビン製造業者のカルテルがオーウェンスの特許を買いとり、 それをしまいこんで、それの応用を妨げるのである。もちろん、独占は資本主義のもとで、世界市場から競争を完全に、長期にわたって排除することはけっして できない(ちなみに、超帝国主義の理論がばかげていることの理由の一つはここにある)。もちろん、技術的改善をとりいれることによって生産費を引き下げ利 潤を高める可能性があることは、変化をうながす作用をする。しかし停滞と腐朽とへの傾向は独占に固有であって、それはそれで作用をつづけ、個々の産業部門 で、個々の国で、一定期間優位を占める。
とくに広大な、豊かな、あるいはよい位置を占めている植民地の領有の独占も、これとおなじ方向に作用する。
さらに、帝国主義とは少数の国に貨幣資本が大量に蓄積されることであって、その額は、すでに見たように、有価証券で一〇〇〇億―一五〇〇億フランに達し ている。その結果、金利生活者の、すなわち「利札切り」で生活する人々の、どんな企業にも全然参加していない人々の、遊惰をもって職業とする人々の階級、 あるいはより正確にいえば階層が、異常に成長してくる。帝国主義の最も本質的な経済的基礎の一つである資本輸出は、金利生活者層の生産からのこの完全な断 絶をさらにいっそう強め、いくつかの海外諸国と植民地の労働を搾取することによって生活する国全体に、寄生性という刻印をおす。
ホブソンは書いている。「一八九三年に、外国に投下されているイギリス資本は、連合王国の富全体の約一五%であった(*)」。一九一五年までにこの資本 はおよそ二倍半に増大したことを思いおこそう。ホプソンはさらにいっている。「納税者には非常に高くつき、製造業者と貿易業者には非常にわずかな意義しか もたない侵略的帝国主義も、・・・・自分の資本の投下場所を探しもとめている資本家」(英語ではこの概念は「インヴェスター」――「投資家」、金利生活者 ――という一語で表現される)「にとっては、大きな利得の源泉である」。・・・・「大ブリテンが外国貿易と植民地貿易の全体、すなわち輸出入から得ている 年間所得は、統計家ギッフェンによると、ハ億ポンドの取引額にたいする二・五%と見て、一八九九年には一八〇〇万ポンド(約一億七〇〇〇万ルーブリ)と見 つもられている」。だがこの額がどんなに大きかろうとも、それは大ブリテンの侵略的帝国主義を説明することはできない。それを説明するものは、九〇〇〇万 ―一億ポンドという額の、「投下された」資本からの所得、金利生活者層の所得である。
(*) ホブソン、五九、六〇ページ〔63〕。

 世界の最も「商業的な」国で、金利生活者の所得が外国貿易からの所得の五倍にものぼっている! ここに帝国主義と帝国主義的寄生性との本質がある。
だから、「金利生活者国家」(Rentnerstaat)とか高利貸国家とかいう概念が、帝国主義にかんする経済学文献のなかで一般にもちいられるよう になっている。世界はひとにぎりの高利貸国家と圧倒的に多数の債務者国家とに分裂した。シュルツェ―ゲーヴァニッツは書いている。「国外投資のなかで首位 を占めるのは、政治的に従属しているか同盟関係にある国々へ向けられる投資である。イギリスはエジプト、日本、中国、南アメリカに借款をあたえている。そ してその艦隊は、必要とあれば執達吏の役割を演じる。その政治的威力はイギリスを債務者の反逆から保護するのである」。ザルトリウス・フォン・ヴァルター スハウゼンは著述『国外投資の国民経済体系』のなかで、オランダを「金利生活者国家」の見本としてあげ、いまではイギリスやフランスもそのようになりつつ あることを指摘している(**)。シルダーは、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、スイスの五つの工業国は「明白な債権者国家」だと考えている。彼が オランダをこのなかに入れないのは、この国が「あまり工業的でない(***)」からにすぎない。合衆国はアメリカ大陸にたいしてだけ債権者である。
(*) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『イギリス帝国主義』、三二〇ページ、その他。
(**) ザルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼン『・・・・国民経済体系』、ベルリン、一九〇七年、第四編。
(***) シルダー、三九三ページ。

 シュルツェ―ゲーヴァニッツはこう書いている。「イギリスは工業国からしだいに債権者国家に転化しつつある。工 業生産と工業品輸出が絶対的に増加しているにもかかわらず、国民経済全体にとっての、利子と配当金からの所得、証券発行、手数料、投機からの所得のもつ意 義が相対的に増大している。私の考えでは、この事実こそ帝国主義的高揚の経済的基礎である。債権者と債務者とは、売り手と買い手とよりももっと恒久的に結 びつく(*)」。ドイツについては、ベルリンの雑誌『バンク』の発行人A・ランスブルグは一九一一年に、『金利生活者国家ドイツ』という論文のなかでつぎ のように書いた。「ドイツでは、人々はフランスで見られる金利生活者への転化傾向を嘲笑したがるが、そのさい彼らは、ブルジョアジーにかんするかぎり、ド イツの状態はフランスの状態にますます似てきつつあることをわすれている(**)」。
(*) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『イギリス帝国主義』、一二二ページ。
(**) 『バンク』、一九一一年、第一号、一〇―一一ページ。

 金利生活者国家は寄生的な腐朽しつつある資本主義の国家であり、そしてこの事情は、一般にはその国のあらゆる社 会=政治情勢に、またとくには労働運動における二つの基本的な潮流に、反映しないではおかない。このことをできるだけはっきりしめすために、証人としてだ れよりも「信頼できる」ホブソンに語らせよう。というのは、彼が「マルクス主義的正統」をえこひいきしているという容疑をかけることはだれにもできない し、他方では、彼はイギリス人であって、植民地にも金融資本にも帝国主義的経験にも最も富んでいるこの国の事情を、よく知っている人だからである。
ホブソンは、ボーア戦争のなまなましい印象のもとに、帝国主義と「金融業者」の利害との結びつき、請負や納入その他からの彼らの利潤の増大を記述して、 つぎのように書いた。「この明確に寄生的な政策を指導するのは資本家であるが、これとおなじ動機は労働者の特殊の部類にも作用している。多くの都市で、最 も重要な産業諸部門が政府の注文に依存している。冶金業や造船業の中心地の帝国主義は、少なからずこの事実に起因している」。この著者の見解によれば、つ ぎの二通りの事情が古い帝国の力を弱めた。すなわち、(一)「経済的寄生」と(二)従属民族から成る軍隊の編成である。「第一は経済的寄生の習慣であっ て、これによって、支配する国家は、自国の支配階級を富ませ、自国の下層階級を買収しておとなしくさせておくために、その領土、植民地、属領を利用し た」。われわれはこれにつけくわえて言おう、――どんな形でおこなわれようと、このような買収が経済的に可能になるためには、独占的高利潤が必要である。
第二の事情についてホブソンはつぎのように書いている。「帝国主義の盲目さかげんの最も奇妙な徴候の一つは、イギリス、フランス、その他の帝国主義諸国 民がこの危険な道に乗りだしている、あの無頓着さである。大ブリテンはこの点で最も先にすすんでいる。われわれがわがインド帝国を征服したさいの戦闘の大 部分は、現住民から編成されたわが軍隊によっておこなわれた。インドでは、また最近はエジプトでも、大きな常備軍がイギリス人司令官のもとにおかれてい る。われわれのアフリカ平定と関連する戦争は、南部をのぞけば、ほとんどすべて原住民がわれわれのためにおこなったのである」。
中国分割の見通しはホブソンにつぎのような経済的評価をさせている。「〔分割が完了した〕そのときには、西ヨーロッパの大部分は、イングランド南部や、 リヴィエラや、またイタリアとスイスの観光地帯あるいは邸宅地帯がすでに呈しているのと同じ外観と性格をおびるようになりかねない。すなわち、そこには、 極東からの配当や年金を受けとる富裕な貴族の一小群のほかに、それよりいくらか大きなおかかえ自由職業者と商人の一群と、召使および、運輸業や消耗品の最 終の生産工程に従事する労働者の大群がいる。そして重要な産業部門はみな消滅して、主食品と工業製品は貢物としてアジアとアフリカから流れこむようなこと になるかもしれない」。「われわれのまえには西欧諸国のもっと大きな同盟、大国のヨーロッパ連邦の可能性がひらかれているが、それは世界文明の大義を促進 するどころか、西欧の寄生状態という絶大な危険をまねきかねないものであり、またそれは、その上層諸階級がアジアとアフリカから膨大な貢物を受けとって、 それでもって非常に多数の手なずけられた従者たち――彼らはもはや農工業製品の生産には従事しないで、新しい金融貴族の統制下に個人的なサーヴィスあるい は第二義的な産業労働をさせられるだけである――を扶養している、先進的工業諸国民の一集団であろう。このような理論」(見通しというべきであろう) 「を、考慮に値しないものとしてはねつけようとするものがいるなら、そういう人は、すでにこのような状態に陥っている今日のイングランド南部の諸地方の経 済的および社会的事情をしらべてみるがよい。そして、金融業者、『投資家』、政界や実業界の役員たちの同様のグループが、中国を自分たちの経済的支配に従 属させ、世界がかつて知らなかったこの最大の潜在的な利潤貯水池から利潤を汲みだして、それをヨーロッパで消費するとき、このような制度がどんなに広く拡 大されうるかを、考えてみるがよい。もちろん、事態はあまりにも複雑であり、世界の諸勢力の動きはあまりにも測りがたいものがあるから、将来についての解 釈は、この解釈だろうが他のどんな解釈だろうが、それだけしかありえないということはない。しかし、今日西ヨーロッパの帝国主義を左右している力はこの方 向にうごいており、なにものかがこれに抵抗するかその方向を変えさせないかぎり、大体においてこのような結末にむかってすすんでゆくのである(*)」。
(*) ホブソン、一〇三、二〇五、一四四、三三五、三八六ページ〔64〕。

 著者はまったく正しい。もし帝国主義の勢力が抵抗に出あわないなら、それはまさにこのような状態にみちびくだろ う。現代の、帝国主義的な環境のもとでの「ヨーロッパ合衆国」の意義が、ここでは正しく評価されている。ただ、労働運動の内部でも、大多数の国でいまさし あたって勝利を占めている日和見主義者たちが、ほかならぬこの方向に系統的にたゆみなく「働いている」ことを、つけくわえておくべきであろう。帝国主義 は、世界の分割を意味し、ひとり中国にかぎらない他の国々の搾取を意味し、ひとにぎりの最も富裕な国々のための独占的高利潤を意味するのであって、それは プロレタリアートの上層部を買収する経済的可能性をつくりだし、そのことによって日和見主義をつちかい、形どらせ、強固にする。ただ、一般に帝国主義にた いして、とくに日和見主義にたいして抵抗している勢力のことを、わすれてはならない。当然のことながら、この勢力は社会=自由主義者ホブソンの目にはいら ないのである。
ドイツの日和見主義者ゲルハルト・ヒルデブラント――彼は帝国主義を擁護したという理由でかつて党から除名されたが、いまならドイツのいわゆる「社会民 主」党の首領になることができよう――は、ホブソンをみごとに補足して、・・・・アフリカの黒人に対抗するための、「大イスラム運動」に対抗するための、 「強大な陸海軍」を維持するための、「日中提携」に対抗するための、その他等々のための「共同」行動を目的とする、「西ヨーロッパ合衆国」(ロシアをのぞ く)をとなえている(*)。
(*) ゲルハルト・ヒルデブラント『産業支配と産業社会主義との動揺』、一九一〇年、二二九ページ以下。

 シュルツェ―ゲーヴァニッツの『イギリス帝国主義』の記述も、寄生性の同じ特徴をわれわれにしめしてくれる。イ ギリスの国民所得は一八六五年から一八九八年までにほぼ二倍になったが、「国外からの」所得はこの期間に九倍に増加した。帝国主義の「功績」が「黒人に労 働を教えこむこと」(強制なしにはすまされない・・・・)であるとすれば、帝国主義の「危険」はつぎのことにある。すなわち、「ヨーロッパは肉体労働を ――まずはじめに農業労働と鉱山労働を、のちには熟練のいらない工業労働を――黒色人種の肩に負わせ、自分は金利生活者の役におさまり、それによって、お そらく、銅色人種と黒色人種の経済的解放と、のちには政治的解放を準備する」ということにある。
イギリスでは、土地のますます大きな部分が農業生産から引きあげられて、金持のスポーツや娯楽の用に供されている。スコットランド――狩猟やその他のス ポーツのための最も貴族的な土地――については、「この土地は、その過去とカーネギー氏」(アメリカの億万長者)「とによって暮らしている」といわれてい る。競馬と狐狩りのためだけに、イギリスは年々一四〇〇万ポンド(約一億三〇〇〇万ルーブリ)を費やしている。イギリスにおける金利生活者の数はほぼ一〇 〇万人である。そして生産的人口のパーセントはつぎのように低下している。〔第20表を参照〕

〔第20表〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・イギリスの ・主要産業部門に・総人口にた
・人口    ・おける労働者数・いする%
・(100万人) ・ (100万人) ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1851年 ・  17.9  ・   4.1   ・  23%
1901年 ・  32.5  ・   4.9   ・  15%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 また、「二〇世紀初頭のイギリス帝国主義」を研究した一ブルジョア研究家は、イギリスの労働者階級について語る さいに、労働者の「上層」と「本来のプロレタリア的下層」とを系統的に区別をつけることをよぎなくされている。上層から、協同組合や労働組合やスポーツ団 体や数多くの宗教団体の役員が多数出ている。選挙権はこの層の水準にあわされているのであって、それはイギリスでは「いまなお、本来のプロレタリア的下層 を排除するのに十分なだけ制限されている」!! イギリスの労働者階級の状態を美化するために、人々はふつう、プロレタリアートの少数者をなすにすぎない この上層のことしか語らない。たとえば、「失業の問題は、もっぱらロンドンおよびプロレタリア的下層にかんする問題であって、政治家はこの層にあまり注意 をはらっていない(*)」・・・・と。この場合、ブルジョア的政治屋と「社会主義的」日和見主義者はこの層にあまり考慮をはらっていない、と言うべきで あった。
(*) シュルツェ―ゲーヴァニッツ、『イギリス帝国主義』、三〇一ページ。

 いま記述している一群の現象と関連する、帝国主義の特性の一つに、帝国主義諸国からの移出民の減少と、これらの 国への賃金の低い遅れた国々からの移入民(労働者の流入と一般住民の移住)の増大ということがある。イギリスからの移出民は、ホブソンが指摘しているよう に、一八八四年以来減少している。それは、この年には二四万二〇〇〇人であったが、一九〇〇年には一六万九〇〇〇人になった。ドイツからの移出民は、一八 八一―一八九〇年の一〇年間に最高に達して一四五万三〇〇〇人になったが、その後の二〇年には、一〇年ごとにそれぞれ五四万四〇〇〇人と三四万一〇〇〇人 に減少した。そのかわり、オーストリア、イタリア、ロシアその他からドイツにやってくる労働者の数がふえた。一九〇七年のセンサスによると、ドイツには 一、三四二、二九四人の外国人がいたが、そのうち工業労働者は四四〇、八〇〇人、農業労働者は二五七、三二九人であった(*)。フランスでは、鉱山業にお ける労働者は「大部分」外国人――ポーランド人、イタリア人、スペイン人(**)――であった。合衆国では、東および南ヨーロッパからの移住民は最も賃金 の安い職業についており、他方アメリカ人労働者は、監督に昇進した者や最も俸給の高い仕事をしている者のなかで最大のパーセントを占めている(***)。 帝国主義は、労働者のあいだでも特権をもつ部類を分離して彼らをプロレタリアートの広範な大衆から引きはなす傾向をもっている。
(*) 『ドイツ帝国統計』、第二一一巻。
(**) へンガー『フランスの投資』、シュトゥットガルト、一九一三年。
(***) グールヴィチ『移民と労働』、ニューヨーク、一九一三年。

 労働者を分裂させ、彼らのなかで日和見主義を強め、労働運動を一時腐敗させるという帝国主義の傾向は、イギリス では、一九世紀末から二〇世紀初めにかけてよりもずっと以前に現われたということを、とくに指摘しておく必要がある。そうなったのは、帝国主義の二つの大 きな特徴が、イギリスでは一九世紀のなかごろから存在していたからである。その特徴とは、広大な植民地領土と世界市場における独占的地位のことである。マ ルクスとエンゲルスは、労働運動における日和見主義とイギリス資本主義の帝国主義的特質とのこの関連を、数十年にわたって系統的に研究した。たとえば、エ ンゲルスは一八五八年一〇月七日にマルクスにあててつぎのように書いた。「イギリスのプロレタリアートは、事実上ますますブルジョア化しつつあり、その結 果、すべての国民のうちで最もブルジョア的なこの国民は、ついにはブルジョアとならんで、ブルジョあ的貴族とブルジョア的プロレタリアートをもつところま で行きつこうとおもっているように見える。全世界を搾取している国民にあっては、これはたしかにある程度当然のことである」。それからほぼ四分の一世紀 たったのち、一八八一年八月一一日付の手紙のなかで、彼は、「ブルジョアジーに身売りしたかあるいは少なくとも彼らから金をもらっている連中にあまんじて 指導されている、最悪のイギリス労働組合」について語っている。さらに一八八二年九月二一日付の力ウツキーあての手紙で、エンゲルスはつぎのように書い た。「イギリスの労働者は植民政策をどう考えているかとのお尋ねですが、それは一般に彼らが政治について考えているのとまさに同じようにです。事実、当地 には労働者政党はないのであって、あるのは保守党と急進自由党だけです。そして労働者は気軽に、イギリスの世界市場独占と植民地独占のおすそわけにあず かっているのです(*)」。(おなじことを、エンゲルスは一八九二年の『イギリスにおける労働者階級の状態』の第二版の序文のなかで述べている)。
(*) 『マルクス=エンゲルス往復書簡』、第二巻、二九〇ページ、第四巻、四三三ページ、――K・カウツキー『社会主義と植民政策』、ベルリン、一九〇七年、七九ページ〔79〕。この小冊子は、カウツキーがマルクス主義者であったはるか遠い昔に書かれたものである。

 「ここでは原因と結果がはっきりしめされている。原因は、(一)この国による全世界の搾取、(二)世界市場にお けるこの国の独占的地位、(三)その植民地独占である。結果は、(一)イギリス・プロレタリアートの一部のブルジョア化、(二)プロレタリアートの一部 が、ブルジョアジーに身売りしたか、あるいは少なくとも彼らから金をもらっている人々にあまんじて指導されていること、である。二〇世紀初めの帝国主義は ひとにぎりの国家による世界の分割を完了し、そしていまやそれらの国はそれぞれ、「全世界」のうち、一八五八年のイギリスにくらべてわずかしかおとらない 部分を搾取(超過利潤を引きだしているという意味で)している。それぞれの国は、トラスト、カルテル、金融資本、債務者にたいする債権者の関係のおかげ で、世界市場で独占的地位を占めている。またそれぞれの国は、ある程度、植民地独占をもっている(すでに見たように、世界の全植民地七五〇〇万平方キロ メートルのうち、六五〇〇万平方キロメートルすなわち八六%は六大強国の手に集中されており、そのうちの六一〇〇万平方キロメートルすなわち全体の八一% は三大強国の手に集中されている)。
今日の状態の特徴は、日和見主義と労働運動の一般的で根本的な利益とのあいいれない対立を強めずにはおかないような、経済的および政治的諸条件にある。 帝国主義は萌芽から支配的な体制に成長した。資本主義的独占体は国民経済と政治で首位を占めるにいたった。世界の分割が究極までおこなわれた。他方では、 イギリスの全一的な独占にかわって、少数の帝国主義列強のあいだで独占に参加しようとする闘争がおこなわれているが、この闘争は二〇世紀初頭全体を特徴づ けるものである。日和見主義は、もはや今日では、一九世紀の後半にイギリスで勝利を得たように、数十年の長きにわたってある一国の労働運動で完全な勝利者 となることはできない。それは幾多の国で最終的に成熟し、爛熟し、腐朽してしまい、社会排外主義としてブルジョア政治と完全に融合するにいたったのである (*)。
(*) ロシアの社会排外主義は、ポトレソフ、チヘンケリ、マスロフ、等々の一味の諸君の公然たる形のものも、隠然たる形のもの(チヘイゼ、スコーベレ フ、アクセリロード、マルトフ、その他の諸氏)も、日和見主義のロシア的変種すなわち解党主義〔66〕から成長したものである。

 

★  九 帝国主義の批判

 帝国主義の批判ということを、ここでは広い意味に、すなわち、社会の種々の階級がそれぞれの一般的イデオロギーとの関連において帝国主義の政策にたいしてとる態度のことと理解する。
一方では、少数の者の手に集積されていて、もろもろの関係や結びつきの異常にひろく張りめぐらされている細かな網の目――中小資本家ばかりでなく、極小 の資本家や経営主までも大量に金融資本に従属させている網の目――をつくりだしている、巨大な規模の金融資本、他方では、世界の分割と他国の支配のため の、他の民族国家の金融業者グループとの激烈な闘争、――これらすべてのことは、すべての有産階級をこぞって帝国主義の側に移行させている。帝国主義の前 途にたいする「全般的」熱狂、気違いじみた帝国主義擁護、ありとあらゆる方法での帝国主義の美化、――これが時代の象徴である。帝国主義的イデオロギーは 労働者階級のなかにも浸透している。労働者階級は万里の長城で他の階級からへだてられているわけではない。今日のいわゆるドイツ「社会民主」党の指導者た ちは正当にも「社会帝国主義者」――すなわち口さきでは社会主義者、行動では帝国主義者――という称号をもらったが、ホブソンはすでに一九〇二年に、イギ リスには日和見主義的な「フェビアン協会〔67〕」に属する「フェビアン帝国主義者」が存在することを指摘している〔68〕。
ブルジョア学者や政論家たちは、ふつう、いくらか隠蔽された形で帝国主義の擁護者として立ちあらわれ、帝国主義の完全な支配とその奥深い根源を塗りかく し、部分的なことや第二義的な細かな点をつとめて前面に押しだし、トラストや銀行にたいする警察の監督などのようなまったくくだらない「改革」案でもって 本質的なものから人の注意をそらそうと懸命になっている。帝国主義の基本的諸特性を改革しようという考えがばかげたものであることを認めるだけの勇気を もった、あつかましいむきだしの帝国主義者は、めったに現われない。
一例をあげよう。出版物『世界経済アルヒーフ』にいるドイツの帝国主義者たちは、植民地――といっても、もちろん、とくにドイツのではないのだが――に おける民族解放運動をあとづけようとつとめている。彼らはインドにおける不穏状態や抗議、ナタール(南アフリカ)やオランダ領インドにおける運動、等々を 指摘している。彼らの一人は、外国の支配下にあるアジア、アフリカ、ヨーロッパのさまざまな民族の代表があつまって一九一〇年六月二八―三〇日にひらい た、従属民族・人種会議についての英文の報告にかんする記事のなかで、この会議での演説を評価してつぎのように書いている。「彼らは言う。帝国主義とたた かわなければならない。支配する国家は従属民族の自主権を認めなければならない。国際司法裁判所は強大国と弱小民族とのあいだでむすばれた条約の履行を監 視しなければならない、と。会議はこれらのあどけない願望以上には出ていない。帝国主義は今日の形態の資本主義と不可分に結びついており、だから(!!) 帝国主義との直接の闘争は、個々のとくにいまわしい過度の不法にたいする反対行動に限定されないかぎり望みがないこと、――こういう真理を理解している痕 跡さえ見られない(*)」。帝国主義の基礎を改良主義的に修正するというのは欺腕であり、「あどけない願望」であるから、また被抑圧民族のブルジョア的代 表者たちは「それ以上」に出ないから、だから抑圧する側の民族のブルジョア的代表者は「それ以上」後退して、帝国主義のまえに自称の「科学性」でおおわれ た追従をする。これも「論理」ではある!
(*) 『世界経済アルヒーフ』、第二巻、一九三ページ。

 帝国主義の基礎を改良主義的に改めることが可能かどうか、事態は帝国主義の生みだす諸矛盾のいっそうの激化と深 刻化にむかって前進するか、あるいはその鈍化にむかって後退するかという問題は、帝国主義批判の根本問題である。帝国主義の政治的特質は、金融寡頭制の抑 圧および自由競争の排除に関連する、あらゆる面での反動と民族的抑圧の強化とであるから、帝国主義にたいする小ブルジョア民主主義的反対派が、二〇世紀の 初めにほとんどすべての帝国主義国で出現している。そしてカウツキーおよびカウツキー主義の広範な国際的潮流のマルクス主義との絶縁はまさに、カウツキー が、この小ブルジョア的で、改良主義的で、経済的には根本から反動的な反対派に対抗しようと心がけず、またそうする能力をもたなかったばかりか、逆にこの 反対派と実践上で融合した点にこそある。
合衆国では、一八九八年のスペインにたいする帝国主義戦争は「反帝国主義者」という反対派を生みだした。ブルジョア民主主義のこの最後のモヒカン族 〔69〕は、この戦争を「犯罪的」と呼び、他国の土地の併合を憲法違反とみなし、フィリピン土着民の首領アグィナルドにたいするふるまいを「排外主義者の 欺瞼」と言明し(はじめ彼にむかって彼の国の自由を約束しておきながら、のちにアメリカの軍隊を上陸させ、フィリピンを併合してしまった)、そしてリン カーンのつぎのことばを引用した。「白人が自分自身を統治するなら、それは自治である。しかし白人が自分自身とともに他人をも統治するなら、それはもはや 自治ではない。それは専制である(*)」。しかしこの批判全体が、帝国主義とトラストとの、したがって資本主義の基礎との不可分の結びつきを認めることを おそれ、大規模資本主義とその発展が生みだした勢力と結合することをおそれているかぎり、それは「あどけない願望」にとどまったのである。
(*) J・パトゥイエ『アメリカ帝国主義』、ディジョン、一九〇四年、二七二ページ。

 帝国主義批判におけるホブソンの基本的立場も、これとおなじである。ホブソンはカウツキーに先んじて、「帝国主 義の不可避性」に反対し、住民の「消費能力を高める」(資本主義のもとで!)必要を訴えている。帝国主義、銀行の全能、金融寡頭制、その他の批判で小ブル ジョア的立場に立っているものに、われわれがなんども引用したアガード、A・ランスブルグ、L・エシュヴェーゲがあり、またフランスの著述家には、一九〇 〇年に出た『イギリスと帝国主義』という浅薄な本の著者ヴィクトル・ベラールがある。彼らはみな、すこしもマルクス主義を僭称せず、帝国主義に自由競争と 民主主義を対置し、衝突と戦争にみちびくバグダード鉄道のもくろみを非難し、平和への「あどけない願望」を表明し、等々している。さらに国際証券の統計研 究家A・ネイマルクにいたっては、幾千億フランの「国際」有価証券を計算して、一九一二年にこうさけんでいる。「平和が破壊されるかもしれないと考えるこ とができようか?・・・・これほども膨大な額の証券があるのに、戦争をひきおこす冒険をおかすと考えられようか?」。
(*) 『国際統計研究所所報』、第一九巻、第二冊、二二五ページ。

 ブルジョア経済学者にしてみれば、このような素朴さはあやしむにたりない。そればかりか、これほども素朴に見せ ること、帝国主義のもとでの平和について「大まじめで」説くことは、彼らにとって有利ですらある。だがカウツキーが一九一四年、一九一五年、一九一六年に これとおなじブルジョア改良主義的見地に立ち、平和については「万人が」(帝国主義者と、えせ社会主義者と、社会平和主義者とが)「一致している」と主張 したとき、彼のもとにいったいマルクス主義のなにが残っていただろうか? 帝国主義の諸矛盾の根底の分析と暴露のかわりに、ここにあるのは、これらの矛盾 を見まいとし、言いのがれしようとする改良主義的な「あどけない願望」だけである。
カウツキーによる帝国主義の経済学的批判の見本をあげよう。彼は一八七二年と一九一二年におけるイギリスのエジプトとの輸出入の資料をとりあげる。そう すると、この輸出入はイギリスの全輸出入よりも増加が微弱だったことがわかる。そこでカウツキーは推論する。「エジプトの軍事占領がなく、たんなる経済的 要因の力にたよっていたなら、エジプトとの貿易はもっとわずかしか増加しなかっただろうと考える根拠は、なにもない」。「資本の膨脹欲は」、「帝国主義の 強圧的方法によってではなく、平和的な民主主義によって最もよく達成されうる(*)」。
(*) カウツキー『民族国家、帝国主義国家、国家連合』、ニュールンベルグ、一九一五年、七二および七〇ページ。

 カウツキーのこの議論は、ロシアでの彼の太刀(たち)持ち(そして社会排外主義のロシアでの擁護者)スペクター トル氏によって、いろいろな調子で歌いかえされているものだが、この議論こそ、カウツキーの帝国主義批判の基礎をなすものなので、これについてもうすこし 詳しく立ちいる必要がある。まずヒルファディングの引用からはじめよう。彼のこの結論は、カウツキーがなんども、一九一五年四月にも、「すべての社会主義 理論家によって一致して受けいれられている」と言明したものである。
ヒルファディングはこう書いている。「より進歩した資本主義的政策に対置して、自由貿易と国家敵視との時代の古びた政策をもちだすことは、プロレタリ アートのなすべきことではない。金融資本の経済政策、帝国主義にたいするプロレタリアートの回答となりうるのは、自由貿易ではなく、社会主義だけである。 いまやプロレタリアートの政策の目標でありうるのは、自由貿易の復活というような、いまや反動的になった理想ではなく、ただひとつ、資本主義の克服による 競争の完全な廃絶だけである(*)」。
(*) 『金融資本論』、五六七ページ〔70〕。

 カウツキーは、金融資本の時代のために「反動的な理想」、「平和的民主主義」、「たんなる経済的要因の力」を擁 護することによって、マルクス主義と絶縁した。というのは、この理想は客観的には、独占資本主義から非独占資本主義へひきもどすものであり、改良主義的欺 腕だからである。
エジプトとの(あるいは他の植民地または半植民地との)貿易は、軍事占領がなく、帝国主義がなく、金融資本がなければ、もっと勢いよく「増大したであろ う」。これはなにを意味するか? それは、もし自由競争が独占一般によっても、金融資本の「結びつき」あるいは抑圧(すなわちこれまた独占)によっても、 個々の国による独占的な植民地領有によっても制限されなかったら、資本主義はもっと急速に発展したであろう、ということだろうか?
カウツキーの議論はこれ以外の意味はもちえない。だがこの「意味」が無意味なのだ。どのような独占もなかったら、自由競争は資本主義と貿易をもっと急速 に発展させたであろうということを、かりに肯定してみよう。しかし貿易と資本主義が急速に発展すればするほど、生産と資本との集積はいっそう強力で、これ が独占を生みだすのではないのか。そしてもろもろの独占がすでに生まれたのだ――まさに自由競争のなかから! 独占がいまや発展をおくらせはじめていると しても、それでもやはりそれは自由競争を支持する論拠にはならない。自由競争は、それが独占を生みだしたあとでは、もはや不可能なのである。
カウツキーの議論をいくらひねくりまわしてみても、反動性とブルジョア的改良主義以外のものはそのなかになにもない。
この議論を手直しして、スペクタートルがいっているように、イギリス植民地のイギリスとの貿易は、いまでは他の国々との貿易よりもゆっくり発展している といってみたところで、これまたカウツキーを救いはしない。なぜなら、イギリスをうちまかしているのはこれまた独占であり、これまた帝国主義――ただし他 の国(アメリカ、ドイツ)の――であるからである。周知のように、カルテルは新しい特異な型の保護関税をもたらした。保護されるのは(すでにエンゲルスが 『資本論』第三巻で指摘したことだが〔71〕)、まさに輸出能力のある生産物である。さらにまた、カルテルと金融資本に特有の制度である「捨て値輸出」、 イギリス人のいう「ダンピング」も、周知のところである。国内ではカルテルはその生産物を独占的な高価格で売るが、国外へは、競争者をやっつけ、自己の生 産を最大限に拡張する、等々のために、捨て値で売りさばくのである。もしドイツがイギリス植民地との貿易をイギリスよりも急速に発展させているとしても、 それは、ドイツ帝国主義がイギリス帝国主義よりも若々しく、強力で、組織的で、高度のものであることを証明するにすぎず、けっして自由貿易の「優越」を証 明するものではない。なぜなら、自由貿易が保護貿易と、植民地的従属とたたかっているのではなく、ある帝国主義が他の帝国主義と、ある独占体が他の独占体 と、ある金融資本が他の金融資本とたたかっているのだからである。イギリス帝国主義にたいするドイツ帝国主義の優越は、植民地の境界や保護関税の壁よりも 強い。このことから自由貿易と「平和的民主主義」を支持する「論拠」をつくりあげようというのは、低俗なことであり、帝国主義の基本的特徴と特質をわすれ ることであり、マルクス主義を小市民的改良主義によっておきかえることである。
帝国主義をカウツキーとおなじように小市民的に批判しているブルジョア経済学者A・ランスブルグでさえ、なおかつ貿易統計資料をもっと科学的に加工して いることは、興味ぶかい。彼は、でまかせにとりあげた一国と一つの植民地だけを他の国々と比較するようなことはせず、ある帝国主義国からの、(一)その国 に金融的に従属し、その国から借金している国への輸出と、(二)金融的に独立している国への輸出とを、比較している。そしてつぎのような結果が得られた。 〔第21表を参照〕

〔第21表〕 ドイツからの輸出
(単位 100万マルク)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・         ・1889年・1908年・ 増加率
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ド従・ルーマニア    ・  48.2 ・  70.8 ・+ 47%
イ属・ポルトガル    ・  19.0 ・  32.8 ・+ 73%
ツし・アルゼンティン  ・  60.7 ・  147.0 ・+ 143%
にて・ブラジル     ・  48.7 ・  84.5 ・+ 73%
金い・チリ       ・  28.3 ・  52.4 ・+ 85%
融る・トルコ      ・  29.9 ・  64.0 ・+ 114%
的国・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
にへ・合計       ・  234.8 ・  451.5 ・+ 92%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ド独・イギリス     ・  651.8 ・  997.4 ・+ 53%
イ立・フランス     ・  210.2 ・  437.9 ・+ 108%
ツし・ベルギー     ・  137.2 ・  322.8 ・+ 135%
かて・スイス      ・  177.4 ・  401.1 ・+ 127%
らい・オーストリア   ・  21.2 ・  64.5 ・+ 205%
金る・オランダ領インド ・   8.8 ・  40.7 ・+ 363%
融国・         ・     ・     ・
的へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
に ・合計       ・ 1,206.6 ・  451.5 ・+ 87%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ランスブルグは合計を出さなかったので、奇妙にも、もしこれらの数字がなにかを証明するとしたら、彼の言おうと するのと反対のことしか証明しないということに、気づかなかった。というのは、金融的に従属している国への輸出は、金融的に独立している国への輸出より も、わずかながら、それでもやはりより急速に増大しているからである(われわれが「もし・・・・としたら」というところに傍点をうったのは、ランスブルグ の統計は完全というにはほど遠いからである)。
輸出と借款との関連を研究して、ランスブルグはつぎのように書いている。
「一八九〇/九一年に、ドイツの銀行の仲介でルーマニアへの借款が締結されたが、銀行はこれに先だつ数年間にすでに前貸ししていた。借款は主として、ド イツから受けとる鉄道材料の買入れにあてられた。一八九一年にはルーマニアへのドイツの輸出は五五〇〇万マルクであった。翌年にはそれは三九四〇万マルク におち、そしてときに増減はあったが、一九〇〇年には二五四〇万マルクまでおちた。やっとこの数年来、新しい二つの借款のおかげで、ふたたび一八九一年の 水準に達した。
ポルトガルへのドイツの輸出は、一八八八/八九年の借款の結果、二一一〇万マルク(一八九〇年)にふえた。つづく二ヵ年に一六二〇万マルクと七四〇万マルクにおち、やっと一九〇三年にもとの水準に達した。
ドイツとアルゼンティンとの貿易の資料はもっときわだっている。一八八八年と一八九〇年の借款の結果、アルゼンティンへのドイツの輸出は一八八九年には 六〇七〇万マルクに達した。二年後には、輸出はたった一八六〇万マルクで、以前の三分の一以下になった。やっと一九〇一年に一八八九年の水準に達し、これ を上まわったが、それは、新しい国債と市債、電機工場建設のための資金交付、その他の信用供与と結びついていた。
チリへの輸出は、一八八九年の借款の結果四五二〇万マルク(一八九二年)にふえたが、一年たつと二二五〇万マルクにおちた。一九〇六年にドイツの銀行の 仲介でむすばれた新しい借款ののち、輸出は八四七〇万マルク(一九〇七年)にのぼったが、一九〇八年にはまたもや五二四〇万マルクにおちた(*)」。
(*) 『バンク』、一九〇九年、第二号、八一九ページ。

 ランスブルグはこれらの事実から、借款と結びついた輸出がどんなに不安定で不均等なものであるか、母国の産業を 「自然的に」「調和よく」発展させるかわりに資本を国外に輸出することがどんなに良くないことであるか、対外借款のさいの幾百方マルクもの賄賂(わいろ) がクルップにとってどんなに「高く」つくか等々という、笑うべき小市民的な道徳を引きだしている。しかし事実はつぎのことをはっきり物語っている。すなわ ち、輸出の上昇はまさに金融資本の詐欺的な術策と結びついており、金融資本はブルジョア道徳なんか気にせずに、一頭の牛から二枚の皮をとる――第一に、借 款から利益をあげ、第二に、借款がクルップの製品や鉄鋼シンジケートの鉄道材料などの購入にあてられるときに、そのおかげ借款から利益をあげる――のであ る。
繰りかえしていうが、われわれはランスブルグの統計をけっして完全なものとは考えない。しかし、どうしてもそれを引用しなければならなかった。なぜな ら、それはカウツキーやスペクタートルの統計よりも科学的であり、またランスブルグは問題に正しく接近しようとしているからである。輸出における金融資本 の意義、等々を論じるためには、輸出と金融業者の術策との関連だけをとくに、また輸出とカルテル生産物の販路との関連、等々だけをとくに、べつにとりだす ことを心得ていなければならない。単純に植民地一般と非植民地とを、ある帝国主義と他の帝国主義とを、ある半植民地あるいは植民地(エジプト)とその他の すべての国とを比較するようなことは、ほかならぬことの本質を回避し塗りかくすことを意味する。
カウツキーにおける帝国主義の理論的批判は、マルクス主義とまったく無縁であり、日和見主義および社会排外主義との和平と統一の説教への前口上として役 だつものにすぎないのだが、それはなぜかといえば、この批判がまさに帝国主義の最も奥深い根本的な諸矛盾――もろもろの独占と、それとならんで存在する自 由競争との矛盾、金融資本の巨大な「業務」(および巨大な利潤)と自由市場における「正直な」商売との矛盾、カルテルおよびトラストと、カルテル化されて いない産業との矛盾、等々――を回避し塗りかくしているからである。
カウツキーが編みだしたあの悪名高い「超帝国主義」の理論も、まったくこれとおなじような反動的な性格をもっている。このテーマについての一九一五年の彼の議論を、一九〇二年のホブソンの議論と比較してみたまえ。
カウツキー――「・・・・今日の帝国主義政策が新しい超帝国主義政策によって駆逐され、後者が、諸国の金融資本相互の闘争を、国際的に連合した金融資本 による世界の共同搾取によっておきかえることは、ありえないことだろうか? いずれにせよ、資本主義のこのような新しい段階は考えられる。それが実現され るかどうか、それをきめるにはまだ十分な前提がない(*)」。
(*) 『ノイエ・ツァイト』、一九一五年、四月三〇日号、一四四ページ。

 ホブソン――「それぞれ幾多の未開の植民地と従属国をもつ少数の強大な連合帝国のなかで強固になったキリスト教 は、多くの人々に、現在の傾向の最も法則にかなった発展であるように見える。しかもそのような発展は、なによりも、国際帝国主義という強固な基礎のうえに きずかれる恒久平和への希望をあたえるであろう〔72〕」。
カウツキーがウルトラ・インペリアリスムスすなわち超帝国主義と名づけたものは、彼より一三年まえにホブソンがインター・インペリアリズムすなわち国際 帝国主義と名づけたものである。ことばの一部のラテン語を他のラテン語でおきかえることによって、新しい小むずかしいことばを編みだしたことを別とすれ ば、カウツキーの「科学的」思考の進歩は、ひとえに、ホブソンが本質的にはイギリスの小坊主の偽善として記述していることを、カウツキーはマルクス主義だ と詐称している点にある。ボーア戦争以後は、この至尊の身分にしてみれば、イギリスの金融業者にいっそう高い利潤を保障するために南アフリカの戦闘で少な からぬ死傷者を出し、増税に苦しめられていた、イギリスの小市民と労働者を慰めることに主要な努力をはらうことは、まったく当然であった。それには、帝国 主義はそれほど悪いものではなく、それは、恒久平和を保障しうる国際(インター)(あるいは超(ウルトラ))帝国主義の真近にある、ということ以上によい 慰めがありえようか?イギリスの小坊主たちや甘っちょろいカウツキーの善良な意図がどうであろうと、彼の「理論」の客観的な、すなわち現実的な社会的意味 は、ただ一つ、つぎのことにある。すなわち、現代の先鋭な諸矛盾と先鋭な諸問題から大衆の注意をそらせ、なにか新しそうに見える将来の「超帝国主義」とい う偽りの見通しに注意を向けさせることによって、資本主義のもとでも恒久平和が可能であるという希望で大衆を慰めるという、反動的きわまるものである。大 衆を欺瞞すること――カウツキーの「マルクス主義的」理論のなかには、これ以外のものはなにもない。
実際に、カウツキーがドイツの労働者(およびすべての国の労働者)に吹きこもうとつとめている見通しがどんなに虚偽のものであるかを納得するには、だれ でも知っている、争う余地のない事実をこれにはっきり対比してみるだけで、十分である。インド、インドシナ、中国をとってみよう。周知のように、六億―七 億の人口をもつこれら三つの植民地・半植民地国は、いくつかの帝国主義的強国、すなわちイギリス、フランス、日本、合衆国、等々の金融資本の搾取を受けて いる。いま、これらの帝国主義国の一部のものが、上記のアジア諸国家における自分たちの領土、利益、「勢力範囲」を守り、あるいは拡張する目的で、他の一 部のものに対抗して同盟をむすぶと仮定しよう。これは「国際帝国主義的」あるいは「超帝国主義的」同盟であろう。 また、すべての帝国主義列強が上記のアジア諸国の「平和的」分割のために同盟をむすぶと仮定しよう。これは「国際的に連合した金融資本」であろう。このよ うな同盟の実例は、二〇世紀の歴史に、たとえば中国にたいする列強の関係のうちに、いくつもある〔73〕。そこでたずねるが、資本主義が維持されていると いう条件のもとで(カウツキーはまさにこういう条件を前堤しているのだが)、このような同盟が短期のものではないとか、それらはありとあらゆる可能な形態 の摩擦、衝突、闘争を除去するとか推測することが、はたして「考えられる」だろうか?
この問題をはっきり提起するだけで、それには否定的な解答以外のものはあたえられないことがわかる。なぜなら、資本主義のもとでは、勢力範囲、利益、植 民地その他の分割のための根拠としては、分割に参加する者の一般経済上、金融上、軍事上、等々の力の計算以外のことは、考えられないからである。だがこれ らの分割参加者のあいだで、力は一様に変化するわけではない。なぜなら、個々の企業、トラスト、産業部門、国の均等な発展は、資本主義のもとではありえな いからである。半世紀まえにはドイツは、その資本主義的力を当時のイギリスの力と比較してみれば、あわれなほど微々たる存在であった。ロシアとくらべた日 本も同様であった。一〇年、二〇年たっても、帝国主義列強の力関係が依然として変わらないと推測することが、「考えられる」だろうか? 絶対に考えられな い。
だから、イギリスの坊主あるいはドイツの「マルクス主義者」カウツキーの低俗な小市民的幻想のうちにあるのではなく、資本主義の現実のうちにある「国際 帝国主義的」あるいは「超帝国主義的」同盟は――それらの同盟がどういう形態でむすばれていようとも、すなわち、ある帝国主義的連合にたいする他の帝国主 義的連合という形態であろうと、すべての帝国主義列強の全般的同盟という形態であろうと――、不可避的に、戦争と戦争とのあいだの「息ぬき」にすぎない。 平和的な同盟が戦争を準備し、戦争からこんどは平和的な同盟が成長するのであって、両者は相互に制約しあいながら、世界経済と世界政治の帝国主義的な関連 および相互関係という同一の基盤から、平和的な闘争と非平和的な闘争との形態の交替を生みだすのである。だがいとも賢明なカウツキ-は、労働者をしずめ、 彼らを、ブルジョアジーの側にうつった社会排外主義者と和解させるために、一つの鎖の一つの環を他の環から切りはなし、中国を「しずめる」ためのすべての 列強のきょうの平和的な(そして超帝国主義的な――いや超々帝国主義的ですらある)同盟(義和団の蜂起の鎮圧〔74〕を思いおこせ)を、あすの非平和的な 衝突から切りはなすのであるが、これがまたあさっては、たとえばトルコを分割するための「平和的な」全般的同盟を準備するのである、その他、等々。帝国主 義的平和の時期と帝国主義的戦争の時期との生きた関連のかわりに、カウツキーは労働者に死んだ抽象を贈り、こうして労働者たちを彼らの死にそこないの指導 者と和解させようとしているのである。
アメリカ人ヒルは、その著『ヨーロッパの国際的発展における外交史』の序文のなかで、近代の外交史をつぎの時期に分けている。(一)革命の時代、(二) 立憲運動、(三)今日の「商業帝国主義」の時代(*)。またある著述家は、一八七〇年以降の大ブリテンの「世界政策」の歴史を四つの時期に区分している。 (一)第一次アジア時代(インドに目を向けたロシアの中央アジア進出にたいする闘争)、(二)アフリカ時代(ほぼ一八八五―一九〇二年)――アフリカの分 割をめぐるフランスとの闘争(一八九八年の「ファショダ」事件〔75〕――フランスとの戦争まで危機一髪、(三)第二次アジア時代(ロシアに対抗しての日 本との条約〔76〕)、(四)「ヨーロッパ」時代――主としてドイツに対抗して(**)。「政治的前哨戦が金融面で演じられている」――銀行「実務家」 リーサーはすでに一九〇五年にこのように書いて、イタリアで活動しているフランスの金融資本がいかに両国の政治的同盟を準備したか、ペルシアをめぐるドイ ツとイギリスとの闘争、中国への借款をめぐるすべてのヨーロッパ資本の闘争、その他がどのように展開されたかを、指摘している。これこそ、通常の帝国主義 的衝突と不可分に結びついている「超帝国主義的」な平和的同盟の生きた現実である。
(*) デイヴィド・ジェーン・ヒル『ヨーロッパの国際的発展における外交史』、第一巻、序文一〇ページ。
(**) シルダー、前掲書、一七八ページ。

 カウツキーが帝国主義の最も奥深い諸矛盾を塗りかくしていることは、不可避的に帝国主義を美化することになりお わるのであるが、それはまた、この著述家による帝国主義の政治的特質の批判にも痕跡を残さないではおかない。帝国主義は金融資本と独占体の時代であるが、 これらのものはいたるところに、自由への志向ではなく支配への志向をもちこむ。政治制度のいかんにかかわりなくすべての方面での反動、この分野でも見られ る諸矛盾の極端な激化――これが以上の傾向の結果である。民族的抑圧と、併合への、すなわち民族的独立の侵犯への志向(なぜなら、併合は民族自決の侵犯に ほかならないから)もまた、とくに激化する。ヒルファディングは帝国主義と民族的抑圧の激化との関連を正当に指摘して、つぎのように書いている。「あらた に開発された諸国についていえば、そこでは、輸入された資本は諸矛盾を増進させ、民族的自覚に目ざめつつある諸民族の侵入者にたいする抵抗をたえず増大さ せる。この抵抗は容易に、外国資本に向けられる危険な手段にまで成長しかねない。古い社会関係は根本から変革され、『歴史なき民族』の数千年来の農業的孤 立は破壊され、彼らは資本主義の渦(うず)のなかに巻きこまれる。資本主義そのものが被征服者に、解放のための手段と方法とをしだいにあたえてゆく。そし て彼らも、かつてヨーロッパ諸民族にとって最高のものであったあの目標を、すなわち、経済的および文化的自由の手段としての民族統一国家の建設を、おした てる。この独立運動は、最も輝かしい展望のある最も貴重な搾取分野でヨーロッパ資本を脅かす。そしてこのヨーロッパ資本は、たえずその武力を増強すること によってしか自己の支配を維持できなくなる(*)」。
(*) 『金融資本論』、四八七ページ〔77〕。

 なお、あらたに開発された国々ばかりでなく、古い国々でも、帝国主義は併合を、民族的抑圧の強化を、したがって また抵抗の激化をもたらしていることを、つけくわえておかなければならない。カウツキーは、帝国主義による政治的反動の強化に反対しながらも、帝国主義の 時代には日和見主義者との統一は不可能であるという、とくに緊要になった問題をぼかしている。彼はまた、併合に反対しながらも、この反対論に、日和見主義 者にとってちっとも気にさわらず、彼らにとって最も受けいれやすい形態をあたえている。彼は直接ドイツの聴衆に訴えているのだが、それにもかかわらず、た とえばアルサス=ローレーヌはドイツが併合したものであるという、まさに最も重要で緊要なことをおしかくしている。カウツキーのこの「思想の偏向」を評価 するために、一例をあげよう。たとえば、ある日本人がアメリカのフィリピン併合を非難すると仮定しよう。さてこの場合、これが併合一般をにくむことからな されたのであって、自分でフィリピンを併合しようという願望からなされたものではないということを、多くの人々が信じるかどうか? この日本人の併合反対 「闘争」は、彼が日本による朝鮮の併合に反対して立ちあがり、日本からの朝鮮の分離の自由を要求する場合にのみ、誠実で政治的に公明なものと考えることが できる、ということを認めるべきではなかろうか?
カウツキーのおこなった帝国主義の理論的分析にも、帝国主義の経済的ならびに政治的批判にも、最も根本的な諸矛盾を塗りかくしもみ消そうという、マルク ス主義とは絶対にあいいれない精神、ヨーロッパの労働運動で日和見主義との崩壊しつつある統一をなにがなんでもまもりぬこうという志向が、骨の髄までしみ こんでいる。

 

 

★  一〇 帝国主義の歴史的地位

 すでに見たように、その経済的本質からすれば、帝国主義は独占資本主義である。すでにこのことによって、帝国主 義の歴史的地位が規定されている。なぜなら、自由競争を基盤として、ほかならぬその自由競争から成長する独占は、資本主義制度からより高度の社会経済制度 への過渡だからである。ここでとくに、いま考察している時代にとって特徴的な独占の、あるいは独占資本主義の主要な現れの、四つの主要な種類を指摘しなけ ればならない。
第一に、独占は、生産の集積の非常に高度の発展段階で、生産の集積から生じた。これは資本家の独占団体、すなわちカルテル、シンジケート、トラストであ る。それらが現代の経済生活でどんなに巨大な役割を演じているかは、すでに見たところである。二〇世紀の初めにそれらは先進諸国で完全な優位を占めるよう になった。カルテル化の最初の歩みをまっさきに踏みだしたのは高率関税の国(ドイツ、アメリカ)であったが、自由貿易制度のイギリスも、わずかばかりおく れただけで、生産の集積からの独占体の発生という同じ基本的事実をしめした。
第二に、独占体は、最も重要な原料資源の、それもとくに、資本主義社会の基本的な、そして最もカルテル化された産業、すなわち石炭業と製鉄業のための原 料資源の、略取を強化させた。最も重要な原料資源の独占的領有は、大資本の力をおそろしく増大させ、カルテル化された産業とカルテル化されていない産業と の矛盾を激化させた。
第三に、独占は銀行から生じた。銀行は控えめな仲介者的企業から金融資本の独占者に転化した。最もすすんだ資本主義的民族のどれ一つをとってみても、三 つか五つほどの巨大銀行が産業資本と銀行資本との「人的結合」を実現し、全国の資本と貨幣収入との大部分をなす幾十億の金(かね)の処理権をその手に集中 した。現代ブルジョア社会の例外なくすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の細かな網の目を張りめぐらしている金融寡頭制――これがこの独占の最 もきわだった現れである。
第四に、独占は植民政策から生じた。金融資本は、植民政策の多数の「古い」動機に、原料資源のための、資本輸出のための、「勢力範囲」――すなわち、有 利な取引、利権、独占利潤その他を得る範囲――のための、さらに経済的領土一般のための、闘争をつけくわえた。一八七六年にまだそうであったように、ヨー ロッパの列強がたとえばアフリカの一〇分の一をその植民地として占取していたにすぎないときには、植民政策は、土地をいわば「早いもの勝ち」に占取すると いう形で、非独占的に発展することができた。しかしアフリカの一〇分の九が奪取され(一九〇〇年ごろに)、全世界が分割されてしまうと、不可避的に、植民 地の独占的領有の時代が、したがってまた世界の分割と再分割のためのとくに激化した闘争の時代が、到来した。
独占資本主義が資本主義のあらゆる矛盾をどれほど激化させたかは、周知のとおりである。物価騰貴とカルテルの圧迫を指摘すれば十分であろう。諸矛盾のこのような激化は、世界金融資本が最終的に勝利したときからはじまった歴史的過渡期の、最も強力な推進力である。
独占、寡頭制、自由への志向にかわる支配への志向、ごく少数の最も富裕なあるいは強大な民族によるますます多数の弱小民族の搾取、――これらすべてのこ とは、帝国主義を寄生的なあるいは腐朽しつつある資本主義として特徴づけさせる、帝国主義のあのきわだった諸特徴を生みだした。「金利生活者国家」、高利 貸国家の形成が、帝国主義の傾向の一つとしてますます明瞭に現われてきて、その国のブルジョアジーはますます資本の輸出と「利札切り」で生活するようにな る。この腐朽の傾向が資本主義の急速な発達を排除すると考えたら、それは誤りである。いや、個々の産業部門、ブルジョアジーの個々の層、個々の国は、帝国 主義の時代に、程度の差はあれ、この二つの傾向のうち、あるときは一方を、あるときは他方をあらわすのである。そして全体として、資本主義は以前よりもは るかに急速に発達する。だがこの発達は総じてより不均等になるばかりでなく、不均等はまたとくに資本力の最も強大な国(イギリス)の腐朽のうちに現われる のである。
ドイツの急速な経済的発展については、ドイツの大銀行の研究をおこなった著者リーサーがつぎのようにいっている。「まえの時代(一八四八―一八七〇年) のそれほどゆっくりでなかった進歩と、この時代(一八七〇―一九〇五年)にドイツの全経済およびとくに銀行が進歩した速度との関係は、ほぼ、在りし良かり し昔の郵便馬車の速度と、今日の自動車の速度――のんびり歩いている歩行者にとっても、自動車に乗っている人目身にとっても、危険となっているほどの―― との関係のようなものである」。ところで、この異常に急速に成長した金融資本は、まさにこれほども急速に成長したため、より富んだ国民からかならずしも平 和的手段だけによらずに奪取すべき植民地を、むしろ「平穏に」領有する方向にうつるのをいとわないのである。合衆国では、最近の数十年の経済発展はドイツ よりも急速であった。そしてまさにそのため、最近のアメリカ資本主義の寄生的特徴がとくに明白に現われた。他方では、共和国アメリカのブルジョアジーと君 主国日本あるいはドイツのブルジョアジーとをくらべてみると、きわめて大きな政治上の相違も帝国主義の時代には極度に減殺されることがわかる。――もっと もそれは、その相違が一般に重要でないからではなく、これらすべての場合に、問題になるのが寄生性の一定の特徴をもつブルジョアジーだからである。
多くの産業部門のうちの一つ、多くの国のうちの一国、等々で資本家たちが独占的高利潤を獲得することは、彼らに、労働者の個々の層を――一時的に、しか もかなり少数の者にすぎないが――買収し、彼らを残りのすべての労働者に対抗して、その部門あるいはその国のブルジョアジーの側に引きつける経済的可能性 をあたえる。そして世界の分割のための帝国主義諸国民の敵対の激化は、この志向を強める。こうして帝国主義と日和見主義との結びつきがつくりだされる。こ の結びつきは、他のどこよりも早く、どこよりも明瞭にイギリスで現われたが、それは発展のいくつかの帝国主義的特徴がここでは他の国よりもずっと早く見う けられたからである。一部の著述家、たとえばエリ・マルトフは、帝国主義と労働運動における日和見主義との結びつきの事実を――いまではとくに強く目につ く事実を――つとめて見まいとして、つぎのような種類の「お役所ふうに楽観的な」(カウツキーやユイスマン流の)議論をその手段につかっている。すなわ ち、もしほかならぬ先進資本主義が日和見主義を強化させ、あるいはほかならぬ最も高給を得ている労働者が日和見主義に傾くのなら、資本主義反対者の事業は 望みないものとなろう、うんぬん。この種の「楽観論」の意義について、思い違いをしてはならない。これは日和見主義についての楽観論であり、日和見主義の 隠蔽に役だつ楽観論である。実際には、日和見主義の発展がとくに早くとくに醜いものであることは、けっしてそれの恒久的勝利の保障となるものではないので あって、それはちょうど、健康な肉体にできた悪性の腫(は)れ物が早く大きくなることが、その腫れ物が早くつぶれて治癒が早くなるだけであるのとおなじで ある。この点で最も危険なのは、帝国主義との闘争は、もし日和見主義にたいする闘争と不可分に結合されないなら、空虚で偽りの言辞にすぎないことを、理解 しようとのぞまない人々である。
帝国主義の経済的本質について以上に述べたすべてのことから、帝国主義は過渡的な、あるいはより正確にいえば、死滅しつつある資本主義として特徴づけら れなければならない、という結論が出てくる。この点できわめて教訓的なのは、最新の資本主義について記述するブルジョア経済学者のあいだで、「絡みあい」 とか、「孤立性の欠如」等々ということばが常用されていることである。いわく、銀行は、「その任務からしても、その発展からしても、純然たる私経済的な性 格をもつものではなく、純然たる私経済的〔78〕な規制の範囲を越えてますます成長しつつある企業である」と。しかもこれらのことを書いているリーサーそ の人は、大まじめな顔つきで、「社会化」にかんするマルクス主義者の「予言」は「実現されなかった」と言明しているのだ!
この「絡みあい」ということばはいったいなにをあらわすか? それは、われわれの目のまえで進行している過程の、最も目につく特徴をとらえているにすぎ ない。それは、観察者が木を見て森を見ないことをしめしている。それは表面の、偶然的な、混沌としたものを、ただそのまま書きうつしているだけである。そ れは、観察者が、素材に圧倒されてその意味も重要性もまったく理解できない人間であることを証明している。株式の所有、私的所有者の関係が「偶然に絡み あっている」。だが、この絡みあいの裏面にあるもの、その基礎をなすものは、変化しつつある社会的生産関係である。大企業が巨大企業になり、大量の資料の 精密な計算にもとづいて、第一次原料の供給を、幾千万の住民にとって必要な総量の三分の二とか四分の三までも計画的に組織化するとき、またときには幾百あ るいは幾千ヴェルスタもはなれている最も便利な生産地点へのこの原料の輸送が系統的に組織されるとき、幾多の種類の完成品が得られるまでの一貫した原料加 工のすべての段階が一個の中心から管理されるとき、またこれらの生産物の分配が幾千万、幾億人の消費者のあいだに単一の計画にしたがっておこなわれるとき (アメリカの「石油トラスト」によるアメリカとドイツでの石油の販売)――そのときには、われわれの目のまえにあるのはけっして単純な「絡みあい」ではな く、生産の社会化であること、私経済的関係と私的所有の関係は、もはやその内容にふさわしくない外皮をなすこと、そしてこの外皮は、その除去を人為的に引 きのばされても、不可避的に腐敗せざるをえないこと、(最悪の場合に日和見主義の腫れ物の治癒が長びくと)その外皮も比較的長いあいだ腐敗したままの状態 にとどまりかねないが、しかしそれでもやはり不可避的に除去されるであろうことが、明白になるのである。
ドイツ帝国主義の熱狂的な崇拝著シュルツェ―ゲーヴァニッツはさけんでいる。
「もしドイツの銀行にたいする指導が結局において一ダースほどの人の手にゆだねられているとすれば、彼らの活動は、すでに今日、国民の福祉にとって大多 数の国務大臣の活動よりも重要である」。(銀行家と大臣と実業家と金利生活者の「絡みあい」については、このさいわすれたほうが有利であ る・・・・)・・・・「すでに見た発展傾向を最後までつきつめて考えてみると、国民の貨幣資本は銀行に統合され、その銀行はカルテルを結成し、国民の投下 資本は有価証券の形に鋳こまれることになる。そのときには、サン―シモンのつぎの天才的なことばが実現される。『経済関係が統一的な規制なしに展開される という事実に照応する、生産における今日の無政府状態は、生産の組織化に席をゆずるにちがいない。生産を指導するのは、相互に独立していて人々の経済的欲 求を知らない孤立した企業家ではない。この仕事はある社会機関の手に帰するであろう。より高い見地から社会経済の広い領域を見わたすことのできる中央の管 理委員会が、社会経済を全社会にとって役だつように規制し、生産手段を最も適当な人の手にゆだね、とくに生産と消費とがいつも調和をたもつように配慮する であろう。経済活動の一定の組織化をすでにその任務にとりいれている機関がある。それは銀行である』。われわれはまだサン―シモンのこのことばを実現する にはほど遠い。しかしわれわれはすでにその実現途上にある。これは、マルクス自身が考えていたのとは異なる、だが形態の点だけで異なる、マルクス主義であ る(*)」。
(*) 『社会経済学大綱』、一四六ページ。

 たしかに、これはみごとなマルクス「反駁」であるが、マルクスの正確な科学的分析から、天才的ではあったがやはり推測にすぎなかったサン―シモンの推測への、一歩後退である。

 一九一六年・一―六月に執筆
はじめ一九一七年なかごろに、ベトログラードの出版社『ジーズニ・イ・ズナーニエ』から、単行の小冊子として発行「フランス語とドイツ語版の序文」は、一九二一年に雑誌『コムニスチーチェスキー・インテルナツィオナール』、第一八号に発表
全集第五版、第二七巻、二九九―四二六ページ所収
邦訳全集、第二二巻、二一三―三五二ページ所収

 

☆ 付録 バーゼルにおける臨時社会主義者大会の宣言
(一九一二年一一月二四―二五日)

 インタナショナルはシュトゥットガルトとコペンハーゲンの両大会で、万国のプロレタリアートのためにつぎのことを反戦闘争の指導原理として確認した。
「戦争が勃発するおそれがあるので、加盟諸国の労働者階級とその議会代表者は、インタナショナル事務局の総括的活動に支持されながら、彼らに最も有効と おもわれる手段を適用することによって戦争の勃発を防止することに、全力をつくすべき義務がある。それらの手段は、階級闘争が激化し一般的政治情勢が激化 するに応じて当然変化するものである。
それでもなお戦争が起こった場合には、すみやかな終結のためにつくし、戦争によってひきおこされた経済上および政治上の危機を、国民を揺りうごかすのに利用し、そのことによって資本主義的階級支配の排除を促進することに全力をあげてつとめることが、義務である」。
近時の諸事件はプロレタリアートにいままでよりももっと、その計画的な行動に最大の力と精力を付与する義務を課した。一方では、全般的な軍備拡張熱は生 活手段のいっそうの値上りをもたらし、そのことによって階級対立を先鋭化し、労働者階級のなかにおさえがたい憤激をもちこんだ。労働者たちは、不安と浪費 のこの体制を制限したくおもっている。他方では、たえずくりかえしやってくる戦争の脅威が、ますます刺激的に作用している。ヨーロッパの諸大国民は、人間 性と理性とにたいするこの攻撃が国民の利益という最もくだらない口実によって正当化されうることすらなしに、たがいに駆りたてられるはめに、たえずおかれ ている。
すでに今日までに恐ろしい惨禍をまねいてきたバルカンの危機は、もし拡大すれば、文明とプロレタリアートにとって最もおそるべき危険となるであろう。そ れは同時に、破局が大きいのに賭けられる利益は微々たるものにすぎないという歴然たる対照をなすので、世界史の最大の非行となるであろう。
それゆえ本大会は、万国の社会主義政党と労働組合が戦争に反対する戦争において完全な一致をみていることを、満足をもって確認する。
万国のプロレタリアがいっせいに反帝国主義闘争に立ちあがり、インタナショナルの各支部が自国の政府にプロレタリアートを反抗させ、国民の世論をあらゆ る好戦欲に反対して動員したことによって、万国の労働者の大規模な協力が生じ、この協力はすでにいままでに、脅かされた世界平和を救うのに非常に大きな貢 献をした。世界戦争の結果プロレタリア革命が起こりかねないという支配階級の懸念が、平和の重大な保障であることがわかった。
したがって大会は社会民主主義諸党にたいして、目的にかなうと諸党におもわれるすべての手段をもってそれぞれの行動をつづけるべきことを要求する。大会は、各社会主義政党のこの共同行動において、それぞれの特別任務をつぎのように指示する。
バルカン半島の社会民主主義諸党は一つの困難な任務をもっている。ヨーロッパの列強は、あらゆる改革を系統的に妨害することによって、トルコ国内に耐え がたい経済的、国民的および政治的状態が生じるのを促進したが、このような状態は必然的に反乱と戦争にみちびかずにはおかなかった。バルカンの社会民主主 義諸党は、このような状態を王朝とブルジョアジーのために利用することに反対して、英雄的な勇気をもって、民主主義的連邦という要求をかかげた。大会はこ れら諸党に、その賛美すべき態度を固守することを要求する。大会は、バルカンの社会民主主義勢力が戦後に、おそるべき犠牲をもってあがなわれたバルカン戦 争の成果が、バルカン諸国の王朝や軍国主義や膨張欲のあるブルジョアジーによって彼らの目的のために悪用されるのを防止するために、全力をあげることを期 待する。
しかしとくに大会はバルカンの社会主義者に、セルビア人、ブルガリア人、ルーマニア人、ギリシア人のあいだの古い敵対関係が復活するのに反対するだけで なく、現在もう一つの陣営に立っているバルカン民族、すなわちトルコ人とアルバニア人にたいするどんな迫害にも反対することを、勧告する。したがってバル カンの社会主義者は、これらの民族のどのような権利剥奪ともたたかい、荒れくるう民族的排外主義に反対して、アルバニア人、トルコ人、ルーマニア人をふく むすべてのバルカン民族の友好を宣言すべき義務をもっている。
オーストリア=ハンガリー、クロアチアとスロヴェニア、ボスニアおよびヘルツェゴヴィナの社会民主主義諸党は、ドナウ君主国のセルビア攻撃にたいする各 党の有効な反対行動を、全力をもってつづけるべき義務をもっている。武力をもってセルビア人から戦争の諸成果をちばい、この国をオーストリアの植民地に変 え、王朝の利益のためにオーストリア=ハンガリーの国民自身を、また彼らとともにヨーロッパのすべての国民を、最大の危険にひきずりこもうとする計画に、 いままでとおなじく今後とも抵抗することは、それら諸党の任務である。それと同様に、オーストリア=ハンガリーの社会民主主義諸党は将来においても、オー ストリア=ハンガリー王国の版図内でハップスブルグ家の支配する南スラヴ民族地域のために民主主義的自治権が獲得されるように、たたかうであろう。
オーストリア=ハンガリーの社会民主主義諸党ならびにイタリアの社会主義者は、アルバニア問題に特別の注意をはらわなければならない。大会はアルバニア 民族の自治権を承認する。しかし大会は、自治の美名のもとにアルバニア人がオーストリア=ハンガリーとイタリアの支配欲の犠牲とされることに、抗議する。 大会はそのことのうちにアルバニア人自身にたいする危険を見るばかりでなく、遠くない将来にオーストリア=ハンガリーとイタリアとの平和がやぶられる恐れ をも見る。民主主義的バルカン連邦の自治的構成員としてのみ、アルバニア人は真に独立の生活を営むことができる。だから大会はオーストリア=ハンガリーと イタリアの社会民主主義者にたいして、アルバニア人を自国の勢力範囲に入れようとするそれぞれの政府のいかなる企てともたたかい、そしてオーストリア=ハ ンガリーとイタリアとの平和的関係の確立のためにそれぞれの努力をつづけることを、要求する。
大会はロシアの労働者の抗議ストライキを、ロシアとポーランドのプロレタリアートがツァーリの反革命のくわえた打撃から立ちなおりはじめたことをしめす ものとして、大きな喜びをもってむかえる。大会はそこに、ツァーリズムの犯罪的陰謀に反対する最も強力な保障を見いだす。このツァーリズムは、自国の諸民 族をむごたらしくたたきふせ、バルカン諸民族をも何回となく裏ぎって彼らの敵の犠牲に供したすえに、いまや、一方では自分自身にとっての戦争の結果をおそ れ、他方では自分自身がっくりだした民族主義運動の急進展をおそれて、そのあいだを動揺している。しかしツァーリズムがいまやふたたびバルカン諸国民の解 放者をよそおいはじめるとしたら、それは、この偽善者的なロ実のもとに、血ぬられた戦争のうちにバルカンでの優位をふたたび奪取しようとするためにほかな らない。大会は、ロシア、フィンランド、ポーランドの強くなった都市と農村のプロレタリアートが、この虚構をひきさき、ツァーリズムのどんな好戦的冒険に も反対し、アルメニアにたいしてであれ、コンスタンティノープルにたいしてであれ、ツァーリズムのどのような陰謀ともたたかい、ツァーリズムにたいする革 命的解放闘争の再開に全力を集中するであろうことを、期待する。ツァーリズムこそはヨーロッパの全反動勢力の希望であり、民主主義の最も凶暴な敵であっ て、全インタナショナルは、ツァーリズムによって支配されている諸民族を解放にみちびくことを、その最も気高い任務とみなさなければならない。
しかしインタナショナルの行動の内部での最も重要な任務をになうのは、ドイツ、フランス、イギリスの労働者階級である。現時点においてはこれら諸国の労 働者の任務は、それぞれの政府にたいして、オーストリア=ハンガリーにもロシアにもどんな援助もあたえず、バルカン紛争へのどんな干渉もさしひかえ、絶対 的中立をたもつことを、要求することである。セルビアとオーストリアの港湾争いのために三つの指導的な大文明民族のあいだに戦争が起こるようなことがあれ ば、それは犯罪的な狂気のさたであろう。ドイツとフランスの労働者階級は、秘密協定によってもたらされた、バルカン紛争へ介入するというなんらかの義務が 存在するのを、承認することはできない。
しかし事態がさらにすすんでトルコの軍事的崩壊が近東におけるオスマンの支配を動揺させるようなことになったら、イギリス、フランス、ドイツの社会主義 者の任務は、まっすぐに世界戦争にみちびきかねない近東侵略欲に全力をあげて反対することである。大会は、大ブリテン国とドイツ国とのあいだの人為的につ ちかわれた敵対を、ヨーロッパの平和にたいする最大の危険とみなす。
そして大会は、この対立を調停しようというそれら両国の労働者階級の努力を歓迎する。大会は、海軍拡張の休止と海上捕獲権の廃止とについてドイツとイギ リスのあいだに協定がむすばれることを、この目的のための最良の手段とみなす。大会はイギリスとドイツの社会主義者に、そのような協定のための扇動をつづ けることを要求する。
一方におけるドイツと他方におけるフランスおよびイギリスとの対立を克服することは、世界平和にとっての最大の危険を除去することになり、この対立を利 用しているツァーリズムの権勢を動揺させることになり、オーストリア帝国のセルビア侵略を不可能にして平和を確保することになるであろう。だからとりわけ この目標にインタナショナルの努力を向けなければならない。
大会は、社会主義インタナショナル全体が外交政策にたいするその諸原則の点で一致していることを確認する。大会は万国の労働者にむかって、資本主義的帝 国主義にプロレタリアートの国際的連帯の力を対置することを要求する。大会はすべての国家の支配階級にむかって、資本主義的生産様式がもたらした大衆の貧 困を戦争行為によってさらにひどくすることのないように警告し、おごそかに平和を要求する。諸国政府は、ヨーロッパの現状と労働者階級の気分にかんがみれ ば、自分自身にとっての危険なしには戦争をひきおこすことはできないことを、わすれないがよい。また諸国政府は、独仏戦争がその結果としてコンミューンの 革命的爆発をともなったこと、日露戦争がロシア帝国の諸民族の革命的力を始動させたこと、また陸海軍備拡張がイギリスと大陸で階級衝突をかつてなかったほ どに激化させ大規模なストライキをひきおこしたことを、おぼえているがよい。もし諸国政府が、世界戦争という凶行を思いつくだけでも労働者階級の憤激と反 逆を呼びおこさずにはおかないことを理解しなかったら、それは狂気のさたであるち。プロレタリアは、資本家の利潤や王朝の野望のために、また外交的秘密協 約のために、たがいに撃ちあうようなことを、犯罪だと感じる。
もし支配権力が正常な発展の可能性をたちきり、そのことによってプロレタリアートを絶望的な行動に駆りたてるにいたったなら、彼らのまねいた危機の結果にたいして彼ら自身が全責任を負うべきであろう。
インタナショナルは、この危機を防止するためにその努力を倍加するであろう。それは、ますます語勢を強めてその抗議の声をあげ、ますます精力的にますま す広範にその宣伝をおこなうであろう。大会は国際社会主義ビューローに、ますます大きな注意をはらって諸事件をあとづけ、なにが起ころうともプロレタリア 諸党のあいだの結合を維持し強化すべきことを、委任する。
プロレタリアートは、現時点において人類の全将来の担い手であることを自認する。
あらゆる民族の繁栄は大量殺害と飢餓と疫病のあらゆる災禍によって脅かされているが、この繁栄が破壊されるのを防止するために、プロレタリアートはその全精力を傾けるであろう。
万国のプロレタリアおよび社会主義者よ、かくて大会は諸君につぎのように呼びかける。この決定的な時点で諸君の声をあげよ! あらゆる形式で、あらゆる 場所で諸君の意志を告知し、議会で力いっぱい諸君の抗議を申したて、大挙して大示威運動に結集し、プロレタリアートの組織と力が手中にもっているあらゆる 手段を利用せよ! 諸国政府がプロレタリアートの油断ない情熱的な平和意欲をつねに注視するようにさせよ! こうして搾取と大量殺害の資本家的世界に、平 和と諸民族の友好のプロレタリア的世界を対置せよ!

 一九一二年一一月二六日付『フォルヴェルツ』第二七六号に発表
ディーツ出版社版の『帝国主義論』ドイツ語訳の付録
(一四〇―一四四ページ)に再録されたテクストから翻訳

 

 


 

☆  事項注

〔1〕 一九一四―一七年に外国で書いた論文の再録版――レーニンは『第二インタナショナルの崩壊』(全集第二一 巻所収)をはじめ、いくつかの政治論文をあつめて、『流れに抗して』という標題の論文集を出す計画であった。しかしその発行はかなりおくれ、レーニンは やっと一九一八年三月にそのための「序文」を書いている(全集第二七巻、二二五ページを参照)。
〔2〕 『フランス語版およびドイツ語版への序文』――どういう理由からか、このフランス語版とドイツ語版は、レーニンがこの序文を書いた当時出版されな かった。これはやっと一九二一年一〇月に、『資本主義と帝国主義』という標題で、雑誌『コムニスチーチェスキー・インテルナツィオナール』の第一八号には じめて発表された。
〔3〕 ブレスト―リトフスクの講和――一〇月革命の勝利の瞬間から、ソヴエト政府は公正な民主主義講和について交戦諸国と交渉を開始した。イギリス、フ ランスはソヴェト政府の提唱を拒絶したので、ソヴェト政府はドイツ、オーストリアと単独に講和することにきめ、その交渉を一九一八年二月にブレスト―リト フスクではじめた。生まれたばかりのソヴェト共和国は、息つぎの時間をつくってソヴェト権力を強化するために、たとえ犠牲をはらってもこの講和を必要とし た。しかしメンシェヴィキやエス・エル、白衛派などはこぞって講和に反対した。この会談はトロツキーの背信行為によっていったん決裂し、のちに同年三月 に、ドイツのいうがままのもっと耐えがたい屈辱的な条件で講和が成立した。
〔4〕 ヴェルサイユの講和――第一次世界大戦の後始末をつけるための講和会議は、一九一九年一―六月にパリでひらかれた。この会議は、イギリス、アメリ カ、フランス、イタリア、日本のいわゆる五大国が敗戦諸国の犠牲において世界の再分割をおこなうためのものであった。この会議を実際に指図したのはロイド ―ジョージ(英)、ウィルソン(米)、クレマンソー(仏)の三巨頭であった。六月二九日にヴェルサイユ宮殿で調印された条約は、ドイツからあらゆる植民地 領土を取りあげたうえ、ドイツに天文学的数字の賠償を支払うことを強要した。このヴェルサイユ条約はその第一部で、この不公正な帝国主義的な性格の「平 和」を維持することを目的とした、国際連盟の創立を規定した。ソヴェト・ロシアはもちろんこの会議に参加しなかった。
〔5〕 ウィルソン主義――アメリカ大統領ウィルソンは、ヴェルサイユの平和会議にあたって、いわゆる「ウィルソンの一四ヵ条」の原則を提案した。この第 一条で彼は国際連盟の創設を提唱し、第二条で民族自決権をとなえていたが、しかしこの「一四ヵ条」は、結局は、五大帝国主義国で世界の再分割をおこなうこ とを目的とするものにほかならなかった。
〔6〕 第二インタナショナル――一八八九年にフランス革命一〇〇周年を記念して、諸国の社会主義者がパリでひらいた大会によって創立された。はじめのう ちはエンゲルスの指導もあったが、彼の死後ベルンシュタインが修正主義をもちこんだ。カウツキーたちはこれにたいしてマルクス主義の「正統」をまもってた たかったが、彼らも帝国主義の本質を理解できなかったので、この組織はついに革命的な組織になることができなかった。第一次世界大戦が起こると、これに加 入していた主要な諸国の社会主義政党は――ボリシェヴィキ党をのぞき――祖国防衛主義の立場に立つにいたった。こうしてそれはそのときをもって不名誉な崩 壊をとげた。
〔7〕 バーゼル宣言――一九一二年一一月二四―二五日にバーゼルでひらかれた第二インタナショナルの臨時大会で採択された有名な宣言。これは、切迫して いる戦争が帝国主義的性格の世界戦争であることを強調し、万国の社会主義者が国際主義の立場に立ってあくまでも戦争にたいして反対するように訴えるととも に、さらに、もし不幸にも戦争が起きた場合には諸国の労働者階級は政府の行為にたいして反逆するであろうと警告した。なお、「宣言」の全文は付録として本 文のあとに収めてある。
〔8〕黄色インタナショナル――解消した第二インタナショナルにかわって、西ヨーロッパの社会主義諸党の指導者たちが一九一九年二月にベルリンに結成した組織。黄色は「革命的」な赤色に対応する形容詞で、「階級協調主義的」な立場をあらわす。
〔9〕 ドイツ独立社会民主党――一九一六年三月に国会で軍事予算に反対投票したためにドイツ社会民主党から除名されたカウツキー以下一七名は、一時、院 内活動のため「社会民主党同志団」をつくったのち、一九一七年四月にスパルタクス団(注一四を参照)と合同してあらたにドイツ独立社会民主党を結成した。 しかし一九一八年一一月のドイツ革命を契機として、彼らはスパルタクス団とはなれた。一九二〇年一〇月のハレ大会で党内の左派がスパルタクス団にはしった のち、残党はますます反革命的性格を明らかにし、一九二二年九月にドイツ社会民主党と合同した。
〔10〕 第三インタナショナル――共産主義インタナショナル、略称――コミンテルン。レーニンの主唱によって一九一九年三月六日に共産主義を指導原理と してモスクワで結成された。諸国の共産党の統一的指導機関で、一九三五年にはソ連邦共産党をはじめ七六の党が加盟していた。第二次世界大戦のさなか、一九 四三年五月一五日に解散を決議した。
〔11〕 ボリシェヴィキ――ソ連邦共産党の前身ロシア社会民主労働党内のレーニン派の総称。一九〇三年の第二回党大会(党は事実上はこのときに結成され た)で、レーニン派と反しーニン派が鋭く対立したが、前者が多数を占めたので、これ以来レーニン派はボリシェヴィキ(多数派)と呼ばれるようになった。そ の後ボリシェヴィキは、真の革命的社会民主主義者=レーニン主義者=共産主義者の代名詞としてもちいられるにいたった。
〔12〕 メンシェヴィキ――第二回党大会でボリシェヴィキに対立して敗れたメンシェヴィキ(少数派)は、口さきでは革命をとなえながら、本質的には改良 主義者、日和見主義者で、第一次世界大戦にさいしては祖国防衛主義の立場に立って帝国主義戦争に協力した。さらに十月社会主義革命の勝利後は、ボリシェ ヴィキ勢力に反対するために白色反革命軍と直接手をにぎるにいたった。
〔13〕 社会革命党――一九〇一年に結成された小ブルジョア政党で、種々のナロードニキ(後出注六〇を参照)的潮流を源流としていた。農民を基盤とし て、ロシアの社会運動で一時かなりの役割を演じた。しかし十月革命後、農村にも社会主義的変革の波が押しよせると、これに反対し、ついには白衛軍と協力し て反革命行動をとるにいたった。
〔14〕 スパルタクス団――第一次大戦が起こったあと、ドイツ社会民主党内の国際主義者たちは党主流の日和見主義的・社会排外主義的傾向に反対してたた かい、そのため党から除名された。彼らK・リープクネヒト、ルクセンブルグ、メーリング、ツェトキン、ピークらのグループは、のちにスパルタクス団と呼ば れた。これが母体となって、一九一八年一二月にドイツ共産党が結成された。
〔15〕 「コンミューン派」と「ヴェルサイユ派」――一八七一年のパリ・コンミューンのとき、パリの労働者たちは、自分たちの革命政府の樹立と自由なフ ランスのために、コンミューンに拠って英雄的にたたかった。これに反して、旧政府首脳ティエールらブルジョアジーの代表者たちは、ヴェルサイユにのがれて そこに売国的偽政府をつくり、自分たちの階級支配を維持するために、きのうまでの敵であるプロイセン侵略軍と恥ずべき講和をむすび、その支持のもとにパ リ・コンミューンを攻撃し弾圧した。
〔16〕 アメリカ=スペイン戦争――一八九〇年代の後半にスペインの海外植民地に反乱が勃発したのに乗じ、アメリカはそれらの領土を強奪しようとして一 八九八年にスペインに戦争をしかけた。戦争はスペインの敗北におわり、アメリカは同年一二月のパリ条約によってグァム、プェルトリコ、フィリピンを獲得 し、形式的な独立を得たキューバを完全な支配下においた。
〔17〕 ポーア戦争――イギリスは、南アフリカのボーア人共和国トランスヴァールとオレンジを滅ぼし強奪するために、一八九九年にこの国に戦争をしかけ た。ボーア人ははじめ随所でイギリス軍を負かしたが、力つきて一九〇二年にプレトリアで講和条約をむすび、イギリス国王の支配下にはいることをよぎなく承 認した。イギリスはこの戦争で限りない暴虐をボーア人にくわえた。
〔18〕 レーニンはホブソンの『帝国主義論』の詳細な検討を、『帝国主義論ノート』の《κ》(《カッパ》)でおこなっている(全集第三九巻、三七三―四 〇二ページを参照)。また『ノート』のべつの箇所で、レーニンはこの著書につぎのような評価をあたえている。「ホブソンの帝国主義にかんする著書は一般に 有益である。しかしそれがとくに有益であるのは、この問題についてのカウツキー主義の基本的な虚偽を暴露するのをたすけているからである」(前掲書、八六 ページ)。なお、レーニンは早くからこの著書に深い関心をしめしており、すでに一九〇四年に翻訳を手がけたが(全集第三七巻、三二五ページを参照)、その 手稿は残っておらず、翻訳が完了したかどうかもわからない。
〔19〕 正しくは、ヒルファディングの著書の標題はつぎのとおりである。『金融資本。資本主
義の最近の発展についての一研究』。
〔20〕 ケムニッツとバーゼルの両大会――一九一二年九月にひらかれたドイツ社会民主党のケムニッツ大会と、同年一一月にひらかれた第二インタナショナ ルのバーゼル大会のこと。これらはともにその決議で、社会民主主義者はきたるべき帝国主義戦争に積極的に反対することを決定した。
〔21〕 本訳書では、すべて邦訳して各段落の直後につけることにする。だが、レーニンは文献をとくに原語でしめしているので、本訳書でも、研究者の便宜 のために、レーニンの引用した文献を著者名のアルファベット順に配列して、著者名のない年鑑類などは書名のアルファベット順に配列して、付録としてまとめ てかかげることにする。
〔22〕 集積と集中――資本の集積というのは、直接に資本の蓄積にもとづくものであって、剰余価値の一部を原資本に付加することを通じて、資本の規模が 拡大することである。これにたいして、資本の集中とは、すでに存在する資本の合同または合併によって個々の資本が大きくなることである。両者はたがいに制 約しあうものであるが、資本主義的生産の発展の過程でより基本的なのは、集積である。
ところで、レーニンは本書では、わずかの例外をのぞき、内容的には集中(ツェントラリザーツィヤ)Zentralisation について述べている箇所でも、集積(コンツェントラーツィヤ)Konzentration という術語をもちいている。これは、レーニンの読んだ『資本論』第一巻が、一八七二年に出た第二版であったことと関連するようにおもわれる(この事実は、 全集第五版、第三巻、注一五による)。マルクスは第二版ではまだ Konzentration と Zentralisation という二つの術語の使いわけをしておらず、たとえば現行の第四版で、「これは、蓄積(Akkumulation)および集積 (Konzentration)とは区別される、本来の集中(Zentralisation)である」(原書、全集版、六五四ページ、旧ディーツ版、六五 九ページ)となっている箇所が、第二版ではたんに、「これは蓄積と区別される本来的集積(Konzentration)である」(六五一ページ)と書かれ ていた。そしてこの段落のあとに出てくる現行版における「集中」の語も、第二版では「集積」となっていた。マルクスが「集積」と「集中」という二つの術語 を明確につかいわけたのは、一八七二―七五年に出たフランス語版が最初であった(同書、二七五ページ以下を参照)。
この訳書では、レーニンがどういう術語をもちいているかを明確にしめす意味で、「コンツェントラーツィヤ」はすべて「集積」と訳した(もっとも、引用文 のなかでとくに「集中」と訳すほうが適当とおもわれた場合は、そう訳した箇所がある)。しかしここでいう「集積」は、狭い意味での「集積」にかぎられず、 集積に制約されつつ進行する「集中」の過程および概念をもふくんでいる、と理解すべきであろう。なおレーニンは、集中について述べる場合、「ツェントラリ ザーツィヤ」という外来語のほかに、「ソスレドトーチェニエ」という伝来のロシア語をもつかっている。
〔23〕 独占と独占体――レーニンは本書で「独占」を単数で使ったり複数でつかったりしている。単数の場合はそのまま「独占」と訳して問題ないが、複数 の場合は、いくつかの例外を除き、「独占体」と訳しておいた。複数でも、もろもろの独占の現象をさしているとおもわれる場合は、「独占」と訳出した。
なお、レーニンの原稿によれば、この箇所は「モノポーリイ」と複数になっているが、出版社がかってに手を加え、一九一七年の版では「モノポーリヤ」と単数になっていた。ここを単数にしたのでは、レーニンの意図はゆがめられてしまうであろう。
〔24〕 邦訳、大月書店版、二九九―三〇〇ページを参照。なお、引用文中( )でくくってあるのは、レーニンの挿入したもの。以下同様。
〔25〕 企業の独占団体の諸形態――レーニンが本書であげているものは、つぎのとおりである。カルテル――とくにドイツで発達した形態で、同種の企業が 相互の競争を制限することによって独占的な高利潤を獲得しようという協定によって成立する。それぞれの加盟企業は、商業上および生産上の独立性を保持した ままで、生産物の価格、販売市場、生産量その他について協定をむすぶ。なお、非加盟者はアウトサイダーと呼ばれる。
シンジケート――カルテルよりも高度の形態で、加盟者はもはやその製品を自分の手で販売することをやめ、独立の組織であるシンジケートをとおして売るようになる。そしてシンジケートの内部では、カルテルの場合よりも、大資本の支配がより強まる。
トラスト――とくにアメリカで発達した形態。アメリカでは一九世紀末に独占行為にたいして禁止立法がなされたので、カルテルにかわる脱法的手段としてトラストが考えだされた。ここでは、加盟企業は独立性を失い、トラストの単一の経営と管理に服することになる。
〔26〕 レーニンはここで「リシェーニエ」ということばをつかっているが、これはこの場合は「剥奪」としか訳しようがない。しかしケストナーは Sperre あるいは Sperrung という語をつかっている。すなわち、原料等々を「剥奪」するのではなく、それらがアウトサイダーの手にはいらないように「遮断」するわけである。だがここ では、レーニンの言いかえを直接に訳すことにした。なお『帝国主義論ノート』一八―一九ページを参照。
〔27〕 『バンク』(『銀行』)――ドイツ金融業界の雑誌で、一九〇八年から一九四三年までベルリンで出ていた。レーニンはこの雑誌に掲載された論文や資料を研究した(『帝国主義論ノート』、四八―六四、一四一―一六〇、四五七―四五八ページを参照)。
〔28〕 レーニンによるヤイデルスのこの著書の詳細な検討については、『帝国主義論ノート』、一二七―一三九ページを参照。レーニンはリーサーよりもヤイデルスを高く評価している。
〔29〕 レーニンの原文では表に番号はないが、組みの関係から、本訳書では便宜上〔 〕にかこんで表に番号をつけることにした。
〔30〕 シュルツェ―ゲーヴァニッツの論文『ドイツの信用銀行』の詳しい批判を、レーニンは『帝国主義論ノート』三〇―四一ページでおこなっている。ま た彼の著書『二〇世紀初頭のイギリス帝国主義とイギリスの貿易』の検討は、同書四一二―四二三ページでなされている。レーニンは本書でシュルツェ―ゲー ヴァニッツの著述をかなり利用しているが、それはこの著者の考えや記述がすぐれているからではなく、逆に、彼には「歓喜する帝国主義者の勝ちほこった豚の 調子が随所で見られる」(三三ページ)からであり、また彼が「帝国主義に奉仕する理想主義」(四二三ページ)の立場から意見を述べているからである。
〔31〕 リーフマンの著書『参与会社と融資会社』の批判的検討については、『帝国主義論ノート』三四一―三四九ページを参照。レーニンはリーフマンの理論的水準の低さを随所で笑っている。
〔32〕 ドイツの大銀行にかんするリーサーの著書というのは、『ドイツの大銀行、およびドイツの一般経済の発展との関連におけるその集中』(一九一〇、 一九一二年)のこと。レーニンはこの著書の分析を、他の文献の検討とあわせながら、『帝国主義論ノート』三一三―三四〇ページでおこなっている。
〔33〕 このパラグラフではレーニンは二度とも「ツェントラリザーツィヤ」という術語をつかっている。
〔34〕 全集版、六二〇ページ、旧ディーツ版、六五五ページ。レーニンはロシア語訳をそのまま引用しているが、それはマルクスの原文とはすこし違ってい る。マルクスの原文はつぎのとおりである。「たしかに、それ〔銀行制度〕とともに社会的規模での生産手段の一般的簿記や配分の形態があたえられているが、 しかし形態だけである。」四八
〔35〕 一八七三年の取引所瓦落――一八七三年の前半に、まずオーストリア=ハンガリーで、ついでドイツその他の諸国で起こった。七〇年代の初めに信用 の膨脹、創業行為、株式投機が空前の規模に達した。そして世界経済恐慌の兆候がすでに見られはじめた時期に、株式投機はなお増大した。その反動として、つ いに一八七三年五月九日にウィーンの取引所で大暴落が生じ、二四時間内に株価は数億グルデンさがり、膨大な数の倒産者を出した。
〔36〕 創業スキャンダル――フランス=プロィセン戦争ののち、ドイツの資本主義は急速な発展をとげたが、その当時、一八七〇年代に、株式会社の設立に さいしてもろもろのスキャンダルが生まれた。急激な会社創立にともなって、事業家の詐欺的取引、土地や有価証券の気ちがいじみた投機がひろくおこなわれ た。
〔37〕 『フランクフルター・ツァイトゥンク』(『フランクフルト新聞』)――ドイツの巨大株式取引業界の日刊新聞。一八五六年から一九四三年までフランクフルト・アム・マインで出ていた。
〔38〕 「組織された」資本主義――独占資本主義の段階で巨大資本が相互のあいだで競争を制限する協定をむすんでいる事実に幻惑されて、いまや資本主義 的生産のかつての無政府性が排除され、恐慌はなくなり、国民経済の計画的発展が可能となったと説く、ブルジョア的資本主義弁護論。はじめゾンバルト、リー フマンその他の独占資本の理論的代弁者が唱えたが、のちに、カウツキ-、ヒルファディングらの第二インタナショナルの改良主義的理論家たちもこれにとびつ いた。
〔39〕 邦訳、大月書店版、三四六ページ。第二の引用文は、「産業に充用された資本のますます多くの部分は金融資本、すなわち、銀行の管理下にあって産業資本家が充用している資本である」という一句のなかの、後半の部分である。
〔40〕 さきの文章は第一四章「資本主義的独占と、銀行資本の金融資本への転化」からとられたものであるが、そのまえの二つの章では「カルテルとトラス ト」(第一二章)、「資本主義的独占と商業」(第一三章)が考察され、レーニンのいうように「資本主義的独占体の役割が強調されている」。
〔41〕 原語「ホジャーイニチャニエ」のもとになっている動詞「ホジャーイニチャチ」は、元来は「経営をおこなう」、「家政をつかさどる」という意味で あるが、転じて、「自由にとりしきる」という意味にもちいられる。「ホジャーイニチャニエ」という名詞は、第二の意味でつかわれるのが普通であるが、レー ニンはここでは、独占体の「経営遂行」、「業務遂行」がそれ自体「自由なとりしきり」に通じ、金融寡頭制の支配になることを言いたかったために、「ホ ジャーイニチャニエ」にかっこをつけたのだと察せられる。
〔42〕 ゲ・ヴェ・プレハーノフのこと。彼は戦争中にべトログラードで公刊された論文集『戦争について』のなかで、本文中にあるような意見を述べた。
〔43〕 『ノイエ・ツァイト』(『新時代』)――ドイツ社会民主党の理論雑誌で、一八八三年から一九二三年にかけてシュトゥットガルトで発行されていた。一九一七年一〇月まではカウツキーが、それ以後はクノーが編集者であった。
〔44〕 創業者利得――ヒルファデイング『金融資本論』、第七章の一「配当と創業者利得」、とくに一七一―一七三ページを参照。
〔45〕 レーニンは本書を合法的出版物として出す計画だったため、ロシア帝国主義についてはごく簡単な指摘をするにとどめている。しかし彼が、文献の不 足になやみながらもロシアについても研究をしていることは、『帝国主義論ノート』によって明らかである。彼はアガードの著書『大銀行と世界市場。ロシア国 民経済とドイツ=ロシア関係におよぽす影響から見た世界市場における大銀行の経済的および政治的意義』(ベルリン、一九一四年)のほか、ア・エヌ・ザク 『ロシア産業におけるドイツ人とドイツ資本』(サンクト―ペテルブルグ、一九一四年)、B・イシハニアン『ロシア国民経済における外国の要素』(ベルリ ン、一九一三年)を利用している(『帝国主義論ノート』、八七―一〇四、二一六―二一七、二三八―二三九ページを参照)。
〔46〕 邦訳、一九九ページ。なおヒルファディングの原文では、「より収益の少ない旧資本」ではなく、「より少なく評価された旧資本」となっている。
〔47〕 フランスのパナマ事件――パナマ運河の開堀工事がフランスの手ですすめられていたころ、一八九二―一八九三年に、フランスの諸会社による政治家や官僚や新聞の大規模な買収事件が起こり、センセーションをひきおこした。
〔48〕 レーニンが本書を準備する過程で膨大な統計資料を詳しく研究、点検、分析したことは、『帝国主義論ノート』を一見すれば明らかであるが、全世界 の有価証券発行高(第9表、第10表)については、彼はネイマルクの数字のほかに、W・ツォリンガーの論文『国際価値移転のバランス』(一九一四年、イェ ナ、『世界経済の諸問題』、第一八号)を利用し、両者を比較して、独自の計算を試みている (『帝国主義論ノート』、六四―六六、一一四―一一九、三五五 ―三五六ページを参照)。
〔49〕 レーニンがあげている著書のうち、ホブソン『帝国主義論』については、岩波文庫版、上巻、一一四―一一五ページを、ヒルファディング『金融資本論』については、大月書店版、四七五―四七六ページを参照。
〔50〕 一九一一年八月一九日(新暦九月一日)の日本とフランスとの通商条約――これによって、たとえば、(一)フランスは日本のすべての植民地で特恵 をあたえられることになったが、日本は、絹をほとんど購入しないアルジェリアで特恵をあたえられたにとどまる。また、(二)フランスはサーディン、ぶどう 酒、石けん、香水、自動車、機械その他の商品の日本への輸出で特恵を得たが、日本は生糸の輸出について特恵をあたえられただけであった。
〔51〕 括弧のなかの文章は、一九一七年の版では削除されていた。これは、この著書を出版した「パールス」社にいたメンシェヴィキたちが、カウツキーを かばってしたことである。このように、カウツキーやその他の日和見主義者たちを批判したレーニンのことばが一九一七年版で削除されたり訂正されたりした例 は、このほかにも多くあるが、研究上重要ではないので、あと一ヵ所をのぞき、いちいち指摘しないことにする。
〔52〕 いま起こっていること――第一次世界大戦のこと。レーニンは検閲を顧慮してこのような言い方をしたのであって、「奴隷のことば」の一例である。
〔53〕 レーニンはモリスの著書『植民史』の検討を、『帝国主義論ノート』二一九―二二五ページで試みている。そして、この本「そのものは事実の無味乾燥な羅列のようである」にしても、「統計的概括は興味ぶかい」という両面の評価をあたえている。
〔54〕 三行まえの「ところが」以下この段落の最後までの文章は、一九一七年の初版では削除されていた。なお、ロシア・マルクス主義の創始者というのはプレハーノフのことである。
〔55〕 ズーパンの著書『ヨーロッパの植民地の領土的発展』とヒューブナーの『地理統計表』からの詳細な引用と分析が、『帝国主義論ノート』二六二―二七五ページでなされている。
〔56〕 ヒルファディング『金融資本論』、四九四ページを参照。
〔57〕 カウツキーの論文名は、第一のは『帝国主義』そのものであり、第二のは『再考のための二つの文書』であった。
〔58〕 ここは原文は《・・・・,произвольно и неверно свя его только с промышленным  капиталом в аннектирующие другие нации странах,》であるが、アンダーラインをひいた語が初版では аннектирующих となっていた。それを『レーニン全集』第二版の編集者がレーニンの手稿によって аннектирующие となおし、それが現行版にもとりいれられている(第二版、第一九巻、一四四ページを参照)が、これでは意味がとおらない。ソ連邦で出ている英訳もドイツ語 訳も、ここを аннектирующих と解して訳している。私も同様に訳しておいた。
〔59〕 邦訳、下巻、二二四ページ。
〔60〕 ナロードニキ――一八六〇―一八九〇年代のロシアの革命運動における主要な潮流で、農民社会主義の立場をとっていた一派。ロシアにおける資本主 義の発展がまだ微弱だったあいだは革命的な役割を果たしたが、九〇年代になると、プロレタリアートの立場にたつマルクス主義的社会主義の直接の反対者とな るにいたった。
〔61〕 ロシアにおける資本主義の発展の可能性を否定するナロードニキのひとりクリヴェンコは、その発展の必然性を主張するマルクス主義者に反論して、 もし資本主義の発展が必然的で進歩的であるなら、「農地の買占めをも、店舗や居酒屋の開設をもはばかってはならず」、「国会にいる多数の居酒屋の主人の成 功をよるこび、農民の穀物の多数の買占人を、もっと援助しなければならない」という、こっけいきわまる「結論」を引きだした。レーニン『「人民の友」とは なにか』、全集第一巻、二八二ページ(国民文庫版、一九七ページ)を参照。
〔62〕 レーニンは準備過程で『ノイエ・ツァイト』一九一四年(第三二年)、第二巻第二一号に掲載されたカウツキーの論文『帝国主義』を詳しく批判して いる(『帝国主義論ノート』、二三三―二三八ページを参照)。なおカウツキー一派をレーニンは「新しいプルードン主義」(八六ページ)あるいは「近代的プ ルードン主義」(一六〇ページ)と特徴づけている。
〔63〕 邦訳、上巻、一一五―一一六、一〇六、一〇七ページ。
〔64〕 邦訳、上巻、一五五ページ、下巻、一〇一、三五、二四五、三〇四ページ。
〔65〕 『マルクス=エンゲルス往復書簡』については、『マルクス=エンゲルス全集』、第二九巻、(原)三五八ページ、第三五巻、(原)二〇ページを、 エンゲルスのカウツキーあての手紙については、第三五巻、(原)三五六ページを参照。なお、『イギリスにおける労働者階級の状態』第二版の序文は、同全集 第二巻、六六四―六八〇ページに収録されている。
〔66〕 解党主義――一九〇五―一九〇七年の第一次ロシア革命が失敗におわると、メンシェヴィキたちは、非合法のロシア社会民主労働党の組織を解消し、 非合法の革命活動をやめることを要求した。彼らは、革命を放棄することを代償に、ツァーリ政府から党の合法的な存在の許可を得ようと試みたわけである。
〔67〕 フェビアン協会――一八八四年にイギリスのブルジョア・インテリゲンツィアの一群が設立した改良主義的な結社。この協会の名は、決戦を回避する 戦術をとったことで名高い古代ローマの司令官ファビウス・クンクタトール(ぐずぐずする者、の意)の名にちなんで、一派がみ
ずからつけたものである。この協会の代表的な人物に、バーナード・ショー、シドニー・ウェッブなどがいる。
〔68〕 ホブソンは『帝国主義論』の第二編第四章「帝国主義と劣等人種」の初めの部分で、「キッド氏、ギディングス教授、および『フェビアン』帝国主義 者たちによって有能に提供された真実の論点・・・・」(下巻、一四〇ページ)と書いているが、レーニンはおそらくホブソンのこのことばを思いうかべている のであろう。
〔69〕 最後のモヒカン族――モヒカン族は、かつて北アメリカに住んでいたインディアンの一種族で、いまは死滅している。F・クーパーの同名の小説から転じて、このことばは、死滅しつつある社会現象の最後の代表者をさすのにもちいられる。
〔70〕 邦訳、五三九―五四〇ページ。
〔71〕 エンゲルスは『資本論』第三巻第六章の「注一六」でつぎのように書いている。近代的生産力が資本主義的商品交換の法則からますますはみだしつつ あることは、「・・・・とくに二つの徴候のうちに現れている。第一に、あらたな一般的な保護関税熱であって、これはことに、ほかならぬ輸出能力ある物品を 最もよく保護するものだという点で、旧来の保護関税と異なる。第二に、生産を、したがって価格と利潤を調整するための、大きな生産部面全体の工場主たちの カルテル(トラスト)である」(全集版、一三〇ページ、旧ディーツ版、一四二ページ、「注一六」)。
〔72〕 ホブソン『帝国主義論』、下巻、二六五ページ。
〔73〕 レーニンはここで、後出の義和団の蜂起(注七四)と関連する帝国主義諸国の「共同」歩調を一例として念頭においている。一九〇一年九月七日にイ ギリスを先頭とする帝国主義諸国が中国とのあいだに調印した「北京議定書」によって、中国はこれら諸国に多額の賠償金の支払いと同時に、北京における諸国 軍隊の駐留、広範な治外法権地域の設定などをみとめさせられた。
〔74〕 義和団の蜂起の鎮圧――義和団の蜂起は一九〇〇年六月に北京、天津を中心に起こった。これよりさきにイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本 などの帝国主義諸国は、中国の分割に乗りだし、中国をめぐって相互に対立していたが、中国人がしだいに目ざめて帝国主義諸国の居留民の排斥運動を展開し、 ついに義和団の蜂起にまで発展すると、上記の列強は自国の居留民の安全を確保するという名目で、中国人民の解放運動を、アメリカの軍隊をもくわえて、共同 して武力によって鎮圧した。
〔75〕 ファショダ事件――フランスのマルシャン少佐の率いる特別遠征隊は、アフリカにおける植民地拡張を目的として、一八九八年にナイル河上流のファ ショダを占領した。これが、おなじく東アフリカの侵略をめざすイギリス帝国主義との衝突をひきおこした。しかし、フランスはナイル流域から手をひき、イギ リスはエジプトを確保することで、事態がおさまった。
〔76〕 ロシアに対抗してのイギリスと日本との条約(日英同盟)――ロシアの満州進出が露骨になった一九世紀末に、イギリスはロシアに対抗して極東にお ける自国の「権益」をまもることを目的として、日本と同盟関係にはいろうとした。こうして一九〇二年に日英同盟条約がむすばれた。この条約は、その後情勢 の変化に応じて何回か修正されつつ一九二四年まで存続したが、その年に日英米仏四ヵ国の太平洋条約が発効すると同時に効力を失った。
〔77〕 邦訳、四七一―四七二ページ。なお、ヒルファディングの原文では、「輸入された資本」ではなく「輸入された資本主義」であり、「農業的孤立」ではなく「農業的きずな」であり、また「その武力」は「その権力手段」となっている。
〔78〕 リーサーの原文は「純然たる私経済的」ではなく、「純然たる私法的」となっている。

 

☆ 解 説

★  一

 レーニンが本書の執筆にとりかかったのは、第一次世界戦争(一九一四―一九一八年)がまさにたけなわだった一九 一六年の前半であり、そして本書が出版されたのは、二月革命でツァーリズムが崩壊したあと、勝利するまでの戦争の継続を主張する臨時政府――ブルジョアジ -とブルジョア化した地主の政府、帝国主義戦争の一方の張本人である連合諸国政府の後楯をあてにしていた政府――と、全国の労働者・兵士・農民代表ソヴェ トのまわりにしだいに堅く結集して、パンと土地と自由をもとめてたたかっていた人民の勢力とが、いわゆる「二重権力」の状態のもとでヘゲモニーを争ってい た、一九一七年なかごろのことであった。
このような世界的激動のさなかに準備され出版された本書は、日の目を見るまでにすでにいくつかの受難を経験した。
レーニンがペトログラードの「パールス」(「帆船」)出版社から、帝国主義にかんする著述の執筆の依頼を受けたのは、一九一五年暮のことであった。この 申し出を喜んでひきうけたレーニンは、さっそく、ツァーリズムのもとでも合法的な出版物として出せるような形で原稿を書いて、急いで居住地のツューリヒ (スイス)から、当時フランスに住んでいたエム・エヌ・ポクロフスキーに書留便で送り、「パールス」出版社へ送付するように依頼したが、その原稿はポクロ フスキーのもとにとどかなかった。こういう事態が起こりうることを、レーニンは予期していたのであろう。彼は控えの原稿をもっており、それを送りなおし た。
こうして原稿はやっと「パールス」出版社の手にとどいたが、しかしそれはけっしてすぐそのままの形では出版されなかった。当時この出版社で牛耳をとって いたメンシェヴィキたちは、レーニンの手稿にかってに手を入れた。まず、本の標題からして『資本主義の最新の段階としての帝国主義』とあらため、またカウ ツキーやマルトフらの日和見主義を痛烈に批判した部分を削除したりしたほか、個々のことばもいくつか書きあらためた(これらの改訂のうちのいくつかの重要 なものは、事項注で指摘しておいた)。そうこうするうちに二月革命が起こり、レーニンも四月三日(ロシア旧暦)にロシアに帰ってきて、四月二六日付(同 前)であらたに「序文」を書いた。そしてやっと同年なかごろに(正確な月日はわかっていない)本書が出版されるにいたったのであるが、そのさい「パール ス」出版社は自社の名前を明記せず、当該場所に、「出版所。『ジーズニ・イ・ズナーニエ』〔『生活と知識』〕書店」と記入しただけであった。このような経 過をへて本書はやっと公刊されたのであるが、しかし印刷された本文はメンシェヴィキたちが手を入れた草稿のままであった。レーニンの手稿どおりの『帝国主 義論』が公刊されたのは、一九二九年に出たレーニン全集第二版の第一九巻においてである。

★  二

 レーニンの『帝国主義論』は、その分量の点ではマルクスの『資本論』の数分の一にすぎないが、しかし後者となら んでマルクス主義経済学における最も重要な基礎的文献の一つとみなされている。レーニンのこの著書を読まないでは、人は一般に帝国主義について語ることが できないばかりでなく、現代資本主義についても今日の日本資本主義経済についても語ることはできない。
マルクスが経済学の研究に志してから『資本論』の執筆にむけて多くの努力をかさねていた一八四〇―六〇年代は、イギリスで完全な勝利を収めた産業資本 が、古い重商主義政策をつぎつぎに廃止して自由主義の経済政策を全面的に実現してゆくと同時に、イギリスのそのような発展がもたらした自由貿易制度の影響 を受けて、西ヨーロッパの他の国々でも資本主義が急速に発展し、こうして国際的自由貿易が現出した時代であった。マルクスが資本主義発展のまさにこういう 時代に生きていたことが、彼に、資本主義社会の基礎的な経済的運動法則にかんする著書としての『資本論』を書かせたし、また書くことを可能にしたのであ る。
ところが、一八六〇年代以後は世界資本主義の様相が変わってきた。
第一に、西ヨーロッパとアメリカの発達した資本主義諸国で資本主義の発展がいっそうすすむと、資本と生産との集積(狭い意義の――注二二を参照)となら んで集中の過程が急速に進行しはじめ、そのことがいままでのような自由競争を困難にするとともに、ここに自由競争に対立する原理である独占への強力な傾向 が生まれた。
第二に、独占への傾向は銀行業でも強く現われた。そしてそのことは、七〇年代以降各国で株式会社が広範に普及していったことと結びついて、一方では巨大 資本による「支配の集中」をいちじるしく容易にするとともに、産業と銀行との癒着という新しい現象を生みだすにいたった。いままで支配的な資本形態であっ た産業資本にかわって、あらたに金融資本が支配的な資本形態となるにいたった。
第三に、アメリカの一八六一―六五年の南北戦争における工業的北部の勝利と、一八七〇―七一年のフランスとの戦争におけるドイツの勝利は、すでに、アメ リカとドイツにおける資本主義の急速な発展をしめすものであったが、戦争ののちは、これら両国は、長いあいだ「世界の工場」として君臨していたイギリスの 独占的地位を脅かしはじめた。しかも、イギリスのかつての第一級の地位は、綿工業を中心とする軽工業におけるイギリスの圧倒的強さによるものであったが、 新しくはじまりつつあった時代にアメリカとドイツを台頭させたものは、鉄工業を中心とする重工業のとくに急速な発展であった。だがこのことは、原料資源を めぐる資本主義列強の競争をとくに激化させずにはおかなかった。
第四に、先進諸国の経済における右に述べたような一連の変化を基礎として、経済政策ばかりでなく、植民政策や外交政策その他でも、いままでの自由競争の 時代とは異なる新しい様相が見られるにいたった。たしかに、植民地略取は資本主義の黎(れい)明期に「文明」諸国が暴虐のかぎりをつくしておこなったこと だし、また、あの自由主義の「祖国」イギリスの産業資本はその植民地インドにおける「自由競争」によってインドの人民大衆に塗炭の苦しみを味わせたばかり でなく、セポイの反乱(一八五七年)にたいしては血の弾圧でのぞむことを辞さなかったのであって、植民地支配は資本主義諸国にとってはいつの世にも欠くこ とのできないものであったが、しかし新しい時代には諸国の植民政策にも新しい内容が盛られるにいたった。一八八〇年代以降、あらゆる資本主義国による植民 地追求はいちじるしく激しさをましたばかりでなく、植民地住民にたいする支配の方式も、直接に弾圧的なものになった。たとえば、ホブソンがイギリスについ て指摘しているように、「一八七〇年代以後に植民地もしくは保護領としてイギリスが併合した三九の地域のうちで、第三の等級〔代議機関ならびに責任政府を もつ植民地――引用者〕に属するものはただの一つもなく、第二の等級〔代議機関をもつが、責任政府をもたない植民地〕に属するものはただ一つ(*)」しか なかったのであって、イギリスは、残りの三八の地域を第一級の植民地すなわち「直轄植民地」として支配したのである。ここには、「植民地はわれわれの首に かけられた石うすだ」という考えの片鱗すら見られない(本書、一〇二ページを参照)。そしてこのような傾向はどの植民地領有国にも共通して見られるところ なのである。
(*) ホブソン『帝国主義論』、邦訳、岩波文庫版、上巻、六九ページ。

 資本主義の発展における新しい様相の出現は、数多くの研究家に各種各様の見解を展開させることとなった。レーニ ンが本文の冒頭で述べているように、一九世紀と二〇世紀の境目のころから、「新旧両世界の経済文献ならびに政治文献は、われわれの生活している時代を特徴 づけるために『帝国主義』という概念について論じることが、しだいにますます多くなってい」(一九ページ)たのである。
これらの文献のうち、ホブソンの『帝国主義論』(一九〇二年)とヒルファディングの『金融資本論』(一九一〇年)とは、グールヴィチの『移民と労働』 (一九一三年)とともに、レーニンが本書を書くにあたって利用したブルジョア学者たちの数多くの著作とは異なり、彼がとくに高く評価しているものである が、それにしても前者は平和主義の立場に立ったものであり、また後者は、ヒルファディングののちの日和見主義的立場につながるような欠陥をもっていた。

★  三

 レーニンがマルクス主義者として社会的実践活動にはいった一八九〇年代は、資本主義がすでに古典的な発展期を終 えて、独占期の様相を表面にあらわしはじめた時代であった。だからレーニンは、活動の比較的早い時期に、新しい時代の特徴について書いている。たとえば、 一八九九年末に執筆した『カウツキー「ベルンシュタインと社会民主党の綱領」の書評』のなかには、つぎのような叙述がある。
「最近におけるこの周期〔産業恐慌の一〇年周期――引用者〕の変化は、エンゲルス自身が指摘したところである。ところで、企業家のカルテルは、生産を制 限し調整することによって、恐慌に対抗することができる、という人がいる。だがアメリカはカルテルの国であるが、そこでは生産の制限のかわりに、生産の巨 大な成長が見られる。つぎに、カルテルは、国内市場のためには生産を制限しながら、外国市場のためには生産を拡大し、そこでは欠損価格で商品を売り、祖国 の消費者から独占価格を取りたてる。保護貿易のもとではこの制度は不可避であるのだが、しかし保護貿易に自由貿易の制度がとってかわることを期待する根拠 は、なにもない(*)」。
(*) 全集、第四巻、一ニ六―二一七ページ。

 また、一九〇四年にレーニンは亡命先のジュネーヴでホブソンの『帝国主義論』を手に入れ、さっそくそれの翻訳に とりかかった。そのことは、母親へあてた当時の手紙から知られるところである。だがこれらはすべて、レーニンの帝国主義研究の前史である。彼が帝国主義の 本格的研究の必要を痛感し、そして実際に丹念な研究にとりかかったのは、第一次世界戦争が起こってからまもなくのころのことである。
(*) 全集、第三七巻、三二五ページ。

 レーニンは本書で、この戦争が「両方の側からして帝国主義的な・・・・戦争であり、世界の分け取りのための、植 民地と金融資本の『勢力範囲』の分割と再分割、等々のための戦争であったこと」(一二ページ)を証明しようとしたのであるが、しかし、きたるべき戦争がそ ういう性格の戦争であることは、第二インタナショナルの指導者たちがすでに一九〇〇年のシュトゥットガルト大会と一九一〇年のコペンハーゲン大会で、基本 的にはみとめていたところである。またそのことは、本書の付録に収めた第二インタナショナルの『バーゼル宣言』(一九一二年)がはっきり確認したところで ある。そして彼らは、「大会は万国の労働者にむかって、資本主義的帝国主義にプロレタリアートの国際的連帯の力を対置することを要求する」(一七三ペー ジ)、とおごそかに宣言したほどである。しかし周知のように、一九一四年七月末から八月初めにかけて現実にヨーロッパの列強のあいだで戦争が起きると、諸 国のきわめて多数の社会主義者たちは、二年まえの自分たちの崇高な約束をあっさりわすれ、プロレタリア国際主義の立場を捨てて、「祖国擁護」――じつは 「祖国」の大ブルジョアジーの帝国主義政策の擁護――の立場に転落してしまった。
革命の大義を裏ぎった諸国の第二インタナショナルの指導者たちにたいするきびしい批判と、真のプロレタリア国際主義の立場の宣伝のためのレーニンの努力 は、すでにその年の八月末には開始された。だが、いまはそれらの活動についてくわしい説明をする場所ではないので、問題を経済学の分野に限定しよう。
一九一五年二―三月ごろに、レーニンはつぎのように書いている。「今日の戦争は帝国主義的性格をもっている。この戦争は、資本主義が最高の発展段階に達 し、すでに商品の輸出ばかりでなく資本の輸出もきわめて本質的な意義をもち、生産のカルテル化と経済生活の国際化がいちじるしい規模に達し、植民政策がほ とんど全地球の分割をもたらし、世界資本主義の生産力が民族国家の区分という限られた枠を乗りこえて成長し、社会主義を実現する客観的諸条件が完全に成熟 した、そういう時代の諸条件によってひきおこされたものである(*)」。
(*) レーニン『ロシア社会民主労働党在外支部会議』――全集、第二一巻、一五二―一五三ページ。

 これでわかるように、すでにこのころにレーニンは本書で体系的に確立した見解のまぎわまでゆきついていたのである。
また同年七―八月に書かれた『社会主義と戦争』という小冊子のなかには、「奴隷所有者的『大』強国による世界の分割(*)」にかんする表がのっている が、これは本書の第六章にある「列強の植民地領土」〔第16表〕と内容はまったく同じものである。また八月末に発表された有名な小論文『ヨーロッパ合衆国 のスローガンについて』のなかでは、列強による世界の領土的分割の「完了という条件のもとで、資本主義諸国の経済的発展の不均等性と関連して、帝国主義戦 争が不可避であることが説明されている(**)。
(*) 全集、第二一巻、三〇九ページを参照。
(**) 前掲書、三五一ページを参照。

 このように、実際に帝国主義戦争が起こってからの一年間におけるレーニンの政治的活動のなかで、『帝国主義論』を書くための心の準備が、レーニンにはほとんどできあがっていたのである。
レーニンが帝国主義にかんする文献の丹念な研究に着手したのは、一九一五年のなかごろ、スイスのベルンにおいてであったようである。そして「パールス」 出版社の申入れを受けたあと翌年二月にツューリヒに移ってからは、彼はそこの州立図書館にかよって膨大な資料の収集と研究にはげんだ。この準備過程で、 レーニンがクルプスカヤの助けを得ながら作成した書抜き、要綱、覚え書、統計表、等々は、『帝国主義論ノート』という標題のもとに一九三九年にはじめて単 行の資料集として出版されたが、同じものがレーニン全集(第四版)第三九巻に収められている。

★  四

 レーニンは本書の「序文」で、「私はこの小冊子が、それを研究しないでは現在の戦争と現在の政治を評価するうえ でなにひとつ理解できない基本的な経済問題、すなわち帝国主義の経済的本質の問題を、究明する助けとなることを期待したい」(一〇ページ)と言っている。 このことばのうちに、私は本書の二様の性格がしめされていると考える。
第一に、本書は「帝国主義の経済的本質の問題を究明」しようとしたものであり、そのかぎりではそれはなによりも経済学的文献である。しかし第二に、他方 では、レーニンはこれをたんなるアカデミックな経済学研究の書として書いたのではない。レーニンは、広範な読者大衆が現在の戦争と現在の政治を正しく評価 するための一助となることを期待しつつ、これを書いたのであって、そのかぎりでは、本書はたんなる経済学研究書の枠をはみでている。そして本書のこの二重 の性格は、本書の構成のうえにもその刻印を押している。
本書は全一〇章から成っているが、そのうち第一―第五章は純然たる経済学的研究にあてられている。そして第六章で、独占的金融資本が支配するにいたった 時代の植民政策の基本的特徴が説明され、つづく第七章でいままでの六つの章の総括があたえられている。レーニンはこの章の初めの部分で、帝国主義の五つの 基本的特徴を数えあげたあと、すぐつづいて、「帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成されて、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによ る世界の分割がはじまり、最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である」(一一六ページ)という、帝国主義 の簡潔な定義をあたえている。そしてこの定義のなかで、レーニンは、帝国主義列強による世界の領土的分割の完了という、見ようによっては政治上の契機とお もわれるものまであげているが、しかし彼は右の定義を「基本的な純経済的概念」(同所――傍点は私のもの)に限定したものといっており、そしてレーニンの そのことばは正しい。だが同時に、帝国主義の経済学上の定義をあたえたことが、本書の使命そのものの要請からして、経済学的考察の枠を越えさせることにも なるのである。レーニンはこの章でカウツキーの帝国主義の定義を批判してゆくなかで、結びの部分で、新しい時代における資本主義列強の経済的発展の不均等 性と結びつけて、世界の再分割のための帝国主義戦争の不可避性を論証し、いまたたかわれている戦争が、「金融的強盗のイギリス・グループとドイツ・グルー プのどちらが大きな獲物を手に入れるべきか、ということをめぐる戦争」(一四ページ)にほかならないことを、言外に読者に語っているのである。
つづく第八章では「資本主義の寄生性と腐朽」が考察される。これも、たしかに、一方では経済学上の問題である。寄生性と腐朽という新しい時代の資本主義 の特徴は、先進諸国の膨大な資本輸出という事実と関連している。だがそうして、「もっぱら理論的な――それもとくに経済学的な――分析にごく厳重に局限 し」(九ページ)ながらも、当時の社会主義運動における最も重大な問題の一つ、すなわち日和見主義の問題を――しかしここではやはり経済的土台との関連に おいて――とりあげるのである。
また第九章で社会のさまざまな階級の帝国主義「批判」を批判するときにも、レーニンは同様のやりかたをしている。
こうして本書は、第一義的には、「資本主義の特殊な、最高の段階としての帝国主義」にかんする経済学的考察の書であり、小冊子ながらマルクス主義経済学 の発展のうえで大きな寄与をしたのであるが、それだけでなく、まさにそのことを通じて、広範な読者が政治活動のうえで正しい道を歩むことを可能にするよう な基礎理論を提供したのである。
ところで、現在われわれは、レーニンが本書を書いた時代と、一方ではほぼ同じ性格をもつが、他方ではきわめて異なる特徴をもつ時代に住んでいる。すなわ ち、現在、いくつかの帝国主義諸国があいかわらず巨大な経済的および政治的力を保有しているが、しかし他方では、一九一七年以降は、資本主義はもはや全世 界をおおう体制ではなくなり、いまでは周知のように、地球の陸地面積の約四分の一で、世界の総人口の約三分の一の人々が社会主義社会を建設している。レー ニンの時代とわれわれの時代とではこのような重大な相違があるのだから、われわれは、レーニンの『帝国主義論』から多くのものを学びつつも、この小冊子の なかのレーニンの個々のことばを教条のようにおしいただいて、それを現代に機械的にあてはめるようなことをしてはならない。また逆に、時代の相違を理由 に、レーニンにおける科学的な基本的見解を捨てさるようなことをしてもならない。レーニンの理論を生きたものとして身につけるということは、けっして生や さしいことではないが、広範な読者が、本書を読みつつそのような努力をされることを、私は、訳者およびマルクス主義経済学者として、心から期待したい。          (訳 者)

☆ あとがき

 私が国民文庫版の『帝国主義論』の旧訳の訳者、堀江邑一氏のご了解を得て、私の手になる新訳を出したのは一九六 一年のことであった。それ以来一一年のあいだに二四刷をかさねてきたが、その訳にもいろいろな欠陥が見いだされたので、機会を得て、ここに新訳改訂版を出 すことにした。もっとも、基本的には一九六一年のままで、誤りや不適当な箇所を訂正したにとどまる。
だがこうして新訳改訂版を出すにあたって、体裁を広範な読者にとってより近づきやすいものにあらためた。すなわち、さきの版では、レーニンが注であげた 引用文献は、レーニンのとおりまず原語でしめし、そのあとに邦訳を付すという方法をとったが、こんどは、すべて翻訳してあげるにとどめた。しかしただそれ だけではしーニンがわざわざ原語をしめした意義がそこなわれるので、巻末にすべての引用文献を原語でしめすことにした。
また事項注は、専門研究家にもなにがしか役だつとともに、なによりも広範な学習者により良い手引きになりうるように、かなり書きあらためるとともに、新しい注をいくつか書きたした。
この新しい版が、わが国の学習意欲に満ちた広範な読者にとって、古い版よりももっと読みやすく利用しやすいものになったとしたならば、私の努力はむくいられたと考えることができる。
(訳 者)

 

☆ 人名索引

アガード Agahd,E. ドイツの小ブルジョア経済学者,15年間,露清銀行の職員として勤務した.

アグィナルド,エミリオ Aguinaldo,emilio(1869―1946) 1898年のアメリカ=スペイン戦争当時のフィリピン諸島原住民の独立運動の指導者.

アクセリロード,ペ・べ Аксельрод,П.Б.(1850―1928) メンシェヴィキの指導者.ストルィピン反動期には解党派.第1次世界大戦中,はじめ社会排外主義者,のちに中央派.

アリストパネース(ほぼ紀元前443―385) ギリシアの喜劇作家.

ウィルソン,ウドロー Wilson,Woodrow(1856―1924) アメリカの政治家,第28代大統領(1913―21年).

ヴィルヘルム二世 Wilhelm Ⅱ.(1859―1941) 最後のドイツ皇帝ならびにプロイセン王(在位1888―1918年).1918年革命のため退位させられた.

アルント,パウル Arndt,Paul ドイツの経済学者.

エシュヴェーゲ,ルードヴィヒ Eschwege Ludwig ドイツの経済学者,経済雑誌『バンク』の寄稿家.1912―13年に金融資本の問題について多くの論文を書いた.

エドワード七世 Edward Ⅶ.(1841―1910) イギリス国王(在位1901―10年).

エンゲルス,フリードリヒ Engels,Friedrich(1820―1895)

オーウェンス Owens,M.J. (1859―1923) アメリカのガラスびん製造機械の発明家,のちにこの分野の産業家となる.

カウツキー,カール Kautsky,Karl (1854―1938) 第2インタナショナルとドイツ社会民主 党の指導的理論家.19世紀末―20世紀初めには,ベルンシュタインの修正主義にたいしてマルクス主義の「正統」をまもってたたかったが,1909年ごろ から日和見主義に傾いた.第1次世界大戦中,国際主義と排外主義とのあいだを動揺し,十月革命後は決定的な反ソ・反ボリシェヴィキの立場にたった.

カウフマン,オイゲン Kaufmann,Eugen ドイツの経済学者,雑誌『バンク』の寄稿者.

カーネギー,アンドリュー Carnegie,Andrew (1835―1919) スコットランド出身のアメリ力の大富豪.1848年にアメリカに移住,南北戦争のときに投機でもうけ,1873年に鉄鋼業界に進出,1901年にモルガンの鉄鋼トラストと合同.

カルヴァー,リヒアルト Calwer,Richard (1868―1927) ドイツの社会民主主義者,経済学者,修正主義者,1909年に離党.国会議員.世界経済の統計学的研究に従事.

ギッフェン,ロバート Giffen,Sir Robert (1837―1910) イギリスの統計学者で経済学者.

グヴィンナー,アルトゥール・フォン Gwinner Arthur von (1836―1931) 1894―1914年ドイッチェ・バンクの取締役.ドイツ金融資本の主要人物.

クノー,ハインリヒ Cunow,Heinrich (1862―1936) ドイツの経済史家,人類学者,社会 学者,ベルリン大学教授.はじめマルクス主義に接近したが,のちに修正主義者.第1次世界大戦中,社会帝国主義者,1917―23年『ノイエ・ツァイト』 の編集者.

クラモンド,エドガー Crammond,Edger イギリスの経済学者.

クルップ Krupp l9世紀以後のドイツ最大の重工業者の一族.

グールヴィチ,イ・ア Гурвич,И.А. (1860―1924) ロシア初期のマルクス主義者の1人.医学,哲学をまなぴ,のち経済問題とくに移民問題を研究.80年代末,スウェーデンをへてアメリカにわたり,Hourwich と名のった.エンゲルス,レーニンとも文通があった.

クレマンソー,ジョルジュ Clemanceau,Georges (1841―1929) フランスの保守政治家,第1次大戦末期に首相兼国防相.

クローマー,エヴリン・ベアリング Cromer,Evelyn Baring (1841―1917) イギリスの政治家,1883年から1907年までエジプトの事実上の支配者,伯爵.

ケストナー,フリッツ Kestner,Fritz ドイツのブルジョア経済学者.トラストの発達を研究.

コルチャック,ア・ヴェ Колчак,А.В. (1875―1920) ツァーリ海軍の提督.1918年,シベリアの反革命派の首領.敗北後,とらえられて銃殺された.

ゴンパース,サミュエル Gompers,Samuel (1850―1924) アメリカ労働総同盟の創立者,会長.第1次世界大戦にさいしては主戦論者.労資協調主義者,十月革命後はソヴェト国家に敵対する態度をとった.

ザルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼン,アウグスト Sartorius,Freiherr von Waltershausen,August (1852―?) ドイツの経済学者.近代世界経済史の研究家.

サン―シモン,クロード―アンリ Saint-Simon,Claude-Henri (1760―1825) フランスのすぐれた思想家.空想的社会主義の代表者の1人.

ジーメンス,ゲオルグ Siemens,Georg (1839―1901) ドイツの大産業家,金融業者.1870年に「ドイッチェ・バンク」を創立,その取締役となる.プロイセン下院議員,のちドイツ国会議員.

シャイデマン,フィリップ Scheidemann,Philipp (1863―1939) ドイツ社会民主党の右派.1917年には革命的労働運動に反対,1919年に首相となり,革命運動の弾圧に一役を買う.

シュタウス,エミール・ゲオルグ・フォン Stauss,Emil Georg von(1877年生) グヴィンナーの私設秘書,のちにドイッチェ・バンク,ディスコント―ゲゼルシャフトの取締役.

シュティリッヒ,オスカー Stillich,Oskar (1872―?) ドイツの経済学者,金融問題の著述家.

ジュデクム,アルベルト Suedekum,Albert (1871―1944) ドイツ社会民主党員,修正主義者,社会帝国主義者.第1次世界大戦中,イタリアとスカンディナヴィア諸国をまわって社会民主党多数派の社会排外主義的行動を弁護した.

シュルツェ―ゲーヴァニッツ,ゲルハルト Schulze-Gaevernitz,Gerhard (1864―1943) ドイツのブルジョア経済学者,ブレンターノ派,帝国主義擁護の立場から多くの著書がある.

シルダー,ジーグムント Schilder,Siegmund (?―1932) オーストリアの経済学者,大学教授,世界貿易政策の専門家.

スコーベレフ,エム.イ Скобелев,М.И. (1885―1939) メンシェヴィキ,第4国会議員,第1次世界大戦中は中央派.十月革命後メンシュヴィキからはなれ,22年ロシア共産党に入党.

ステッド,ウィリアム・トマス Stead,William Thomas (1849―1912) イギリスの新聞記者.『レヴュー・オヴ・レヴュース』の編集者.

ズーパン,アレクサンダー Supan,Alexander (1847―1920) ドイツの地理学者,ゴータ大学およびブレスラウ大学の教授.

スベクタートル Cneктатор ナヒムソンの筆名.

ゾンバルト,ヴェルナー Sombart,Werner (1863―1941) ドイツの経済学者.はじめマルクス主義に好意的であったが,のちに「マルクス批判家」となる.資本主義について膨大な量の著述がある.

ダーヴィド,エドゥアルド David,Eduard (1863―1930) ドイツの経済学者.ドイツ社会民 主党に属し,ベルンシュタイン主義者.農業理論でマルクス批判を試みた.第1次世界大戦中は極端な社会排外主義者.1919年連立内閣に入閣,ドイツ革命 およびソヴェト権力に敵対.

ダヴィドフ,エリ・エフ Давыдов,Л.Ф. ロシア大蔵省の信用局長.

ターフェル,パウル Tafel,Paul ドイツの経済学者,エ学士.アメリカに7年間滞在したのち,『北アメリカのトラストおよび技術におよぼすその影響』を書いた.

チェンバレン,ジョゼフ Chamberlain,Joseph (1836―1914) イギリス自由統一党の首領,植民地相.イギリス帝国主義の思想的代表者の1人.ボーア戦争を鼓舞した.

チヘイゼ,エヌ・エス Чхеидзе,Н.С. (1865―1926) グルジア人,メンシェヴィキの指導者.第3,第4国会の議員.戦争問題では中央派的立場をとった.十月革命後ソヴェト権力に敵対,1921年フランスに亡命.

チヘンケリ,ア・イ Чхекели,А.И. (1874―?) グルジアのメンシェヴィキ,第4国会の議員.第1次世界大戦中は社会排外主義者,十月革命後グルジアでメンシェヴィキ政府の内相,のち亡命.

チールシュキー,ジーグフリード Tschierschky,Siegfried (1872―?) ドイツの経済学者.トラストやシンジケートのなかでの実務にも従事した.

ディウリッチ,ジョルジュ Diouritch,Georges フランスの経済学者,主としてドイツ経済を研究.

ディスレイリ,ベンジャミン Disraeli,Benjamin (1804―1881) ベコンスフィールド伯爵,イギリス保守党の指導者.もと青年「イングランド派」,しばしば大臣,首相となる.

デシャネル,ポール Deschanel,Paul (1855―1922) フランス進歩党の指導者,評論家.下院の副議長,議長をつとめた.

デーニキン,ア・イ Деникин,А.И. (1872―1947) ツァーリ軍隊の将軍.第1次世界大戦中,旅団長,軍団長,十月革命後南ロシアとウクライナで白衛軍の司令官.

トマ,アルベール Thomas,Albert (1878‐1932) フランス社会党の改良主義的指導者.極端な社会排外主義者.第1次世界大戦中,ブルジョア政府の労働相.戦後は国際連盟の国際労働局事務総長.

ドリオ,エドワール Driault,Eduard フランスのブルジョア歴史家.

ナヒムソン,エム・イ Нахимсон,М.И. (1880年生) 経済学者.はじめブンド派,第1次世界大戦中は中央派に属した.世界経済の専門家,十月革命後コム・アカデミーその他で働いた.

ネイマルク,アルフレード Neymarck,Alfred フランスの金融財政統計家.

ノスケ,グスタフ Noske,Gustav (1868―1946) ドイツ社会民主党の右派,反動的な組合運動指導者.革命的労働運動を弾圧.ヒトラーのもとで年金生活をした.

ノーベル,アルフレード Nobel,Alfred (1833―96) スウェーデンの工業家,ダイナマイトの発明者.ノーベル賞はこの人の遺言によってもうけられた.

ハイニヒ,クルト Heinig,Kurt (1886―1956) ドイツの経済学者,社会民主党員.主として現代資本主義経済を研究.

ハイマン,ハンス・ギデオン Heymann,Hans Gideon ドイツの経済学者.ドイツの経済事情を研究した.

ハインドマン,ヘンリー・メイヤース Hyndman,Henry Mayers (1842―1921) イギリス社会党の創立者,国際社会主義ビューローの一員.第1次世界大戦期には社会排外主義者,1916年に離党.

バウアー,オットー Bauer,Otto (1882―1938) オーストリア社会民主党および第2インタナショナルの指導者,カウツキー主義者,いわゆるオーストリア派マルクス主義の代表者.

ハヴメイヤー,ジョン Havemeyer,John (1833―1922) アメリカの工業家,最大の製糖トラストの所有者.

パトゥイエ,ジョセフ Patouillet,Joseph フランスの経済学者.

ハルムス,ベルンハルト Harms,Bernhard (1876―?) ドイツの経済学者.

ヒューブナー,オットー Huebner,Otto 年鑑『万国地理統計表』の編集兼発行人.

ヒル,デイヴィド Hill,David Jayne (1850―1932) アメリカの歴史家,外交官.主著『ヨーロッパ外交史』.

ヒルデブラント,ゲルハルト Hildebrand,Gerhard (1878―1921) ドイツの経済学者,修正主義者,ドイツ社会民主党員.日和見主義のために,1912年に党から除名された.

ヒルファディング,ルドルフ Hilferding,Rudolf(1877―1941) 経済学者,ドイツ社会 民主党と第2インタナショナルの主要な理論家の1人.第1次世界大戦期には中央派,のち共産主義に反対.「組織された資本主義」,「経済民主主義」をとな えた.主著『金融資本論』.1923年と28―29年に蔵相になる.のちナチス・ドイツ占領下のフランスで獄死した.

フェルカー Voelker ドイツの官吏,のちに鉄鋼産業合同の指導者となる.

フォーゲルシュタイン,テオドール Vogelstein,Theodor ドイツの経済学者.

ブハーリン,エヌ・イ Бухарин,Н.И. (1888―1938) 20世紀初頭のロシアの社会活動家で すぐれた経済学者,ボリシェヴィキとしてレーニンとともに行動.経済学者.レーニンの死後はじめトロツキー反対の理論活動をおこなったが,1929年に右 翼日和見主義潮流の理論的指導者となり,党から除名された.その後復党をゆるされたが,1938年に反革命陰謀のかどで処刑.

プレハーノフ,ゲ・ヴェ Плеханов,Г.В. (1856―1918) ロシアにおけるマルクス主義の創始者.第1次世界大戦期には社会排外主義の立場をとり,戦争中のストライキの中止,ツァーリズムとの闘争の中止を労働者に訴えた.

ベア,マックス Beer,Max (1864―?) ドイツの社会主義史研究家.ドイツ社会民主党左派であったが,イギリスに移住後,改良主義の影響を受けた.第1次と第2次世界大戦の中間期にひところ共産主義者となった.

ペイシュ,ジョージ Paish,Sir George(1867―?) イギリスのブルジョア経済学者,雑誌『ステーティスト』発行著の1人.

べラール,ヴィクトル Berard,Victor (1864―1931) フランスの小ブルジョア経済学者,政論家.帝国主義に反対し自由競争を支持し,フランスの植民政策に警告をあたえた.

ベルンシュタイン,エドゥアルド Bernstein,Eduard (1850―1932) ドイツの社会民主主義者.いわゆる「修正主義」をとなえ,マルクス主義理論に全面的な修正をくわえようとした.

へンガー,ハンス Henger,Hans ドイツの経済学者.

ポトレソフ,ア・エヌ Потресов,А.Н. (1869―1934) メンシェヴィキの指導者,解党派,社会排外主義者.十月革命後亡命.

ホブソン,ジョン・アトキンソン Hobson,John Atkinson (1858―1940) イギリスの経済学者,フェビアン派.主著『近代資本主義の進化』,『帝国主義論』など.

マクドナルド,ジェームス・ラムゼー MacDonaid,James Ramsay (1866―1939) 1911年から14年までイギリス労働党首領.第1次世界大戦期には平和主義者,戦後3回首相となる.帝
国主義的自由主義的政策をとり,1929年労働党から除名された.

マスロフ,ペ・べ Маслов,П.П. (1867―1946) 経済主義者,メンシェヴィキ,解党派.第1次世界大戦期には社会帝国主義者.十月革命後は政治活動から手をひき,教育と研究に従事し,1929年にはアカデミー会員になった.

マルクス,カール Marx,Karl (1818―1883)

マルトフ,エリ Мартов Л. (1873―1923) メンシェヴィキの指導者.「プラトニック」な国際主義者として社会排外主義者とのブロックを主張した.十月革命後は反ソ活動に従事,1920年にドイツに亡命.

ミルラン,アレクサンドル Millerand,Alexandre (1859―1943) フランスの政治家.ブルジョア政府に入閣した最初の社会主義者.第1次世界大戦中「挙国ブロック」の指導者.のち首相,大統領を歴任した.

モリス,ヘンリー・C Morris,Henry C. (1868―?) アメリカの歴史家.植民史に大著がある.

モルガン,ジョン・ピアポント Morgan,John Pierpont (1867―1943) アメリカの大財閥モルガン家の首領.

ヤイデルス,オットー Jeidels,Otto ドイツの経済学者,金融資本の発展を研究した.

ユイスマン,力ミーユ Huysmans,Camille (1871―?) ベルギーの社会民主主義者,哲学教授.第1次世界大戦まえに国際社会主義ビューロー書記,戦争とともに社会愛国主義者となる.のち文相,首相,下院議長.

ランスブルグ,アルフレード Lansburg,Alfred (1872―?) ドイツのブルジョア経済学者,雑誌『バンク』の発行者.

リーサー,ヤーコブ Riesser,Jacob (1853―1932) ドイツの経済学者,銀行家,政治家.ドイツ民主党の指導著.金融資本と帝国主義の擁護者.

リジス Lysis(Letailleur,E.) (フランスのジャーナリスト,E.ルタイュールの筆名)議会制度反対の反動雑誌『ヌーヴェル・デモクラシー』の編集者.

リーフマン,ロベルト Liefman,Robert (1874―1941) ドイツの経済学者,教授,金融資本の擁護者で研究者.

リンカーン,エイブラハム Lincoln,Abraham (1809―1865) アメリカ合衆国第16代大統領.奴隷解放を支持し,南北戦争後,南部の奴隷制支持勢力の手で殺された.

ルーカス,チャールス・プレスウッド Lucas,Charles Preswood,Sir イギリスの評論家.イギリス帝国主義の擁護者.

レヴィ,ヘルマン Lew,Hermann (1881年生) ドイツのブルジョア経済学者,ハイデルベルグ大学教授,金融資本の研究者.

レスキュール,ジャン Lescure,Jean (1882―1947) フランスの経済学者.

ロイド―ジョージ,デイヴィド Lloyd George,David (1863―1945) イギリスの政治家,自由党首.商相(1905―08年),蔵相(1908―15年),首相 (1916―22年)となる.イギリス帝国主義の代表者であり,十月革命後はソ連邦にたいする反革命運動の全世界的組織者として行動した.
ロックフェラー,ジョン・デイヴィソン Rockefeller,John Davison (1839‐1937) アメリカの大財閥ロックフェラー家の創始者.スタンダード石油会社をおこし,石油独占をおこなった.ロックフェ ラー家はアメリカの対外政策に大きな力をおよぼしている.

ローズ,セシル・ジョン Rhodes,Cecil John (1853―1902) イギリス帝国主義の代表者,植民主義者,ボーア戦争の張本人.アフリカのイギリス領ローデシアは彼の名をとったもの.

ロスチャイルド(あるいはロートシルド) Rothschild ヨーロッパ全土に力をふるっていたフランクフルトの銀行家の一族.19世紀までは世界で最大の金融王であった.

ワール,モリス Wahl,Moris フランスの経済学者.

 

 

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